第14話

 春日陽葵はたまに、ぼーっと何かを眺めている。


 その視線の先にいつもあいつがいる事に、俺はなんとなく気がついていた。



 好きなんだろうか────夏樹のことが。そう思っていた。だからなのかもしれない。あの消しゴムに書かれた自分の名前を見たとき、あんなに舞い上がってしまったのは・・






「あれ。誰それ」



 

 夏樹を見るなり陽葵は、笑えるくらいガチガチに石化した。あ。こいつもしかして、俺たちのこと知らなかったな。

 まぁそうか。普通同じ学年に兄弟がいるはずないし、こいつ友達いないから噂話とか耳に入って来ないんだろう。



「もしかして知らない? 夏樹って俺の、弟ね」



 余程驚きだったのだろう。陽葵は呆然として夏樹を見たまま固まっていた。



「・・何?」


「あっ、へぇ!? すっ、すいませんっ! なんでもありません!!」



 夏樹の無愛想に対して、陽葵は顔を真っ赤にさせて噛み噛みでそう答えた。それを見た時ちょっと不穏な予感がしたんだ。


 こいつってやっぱり・・夏樹を好きだったんじゃないのか?




"正直汐見兄弟のどっちでもいいから付き合いたいわ"

"分かる〜。自慢したいわ〜"




 中学の頃、よく耳にした女子達の心無い声。


 違うよな? 陽葵は絶対、そういうタイプには見えないけど・・。さっきの反応からして、もともと夏樹狙いで俺に近づいたとも思えないし。


 ああ、なんか嫌だ。考えたくないな、こういうの・・







◆◇◆◇◆◇◆



「ていうか何で居るの!?」


 同じテーブルに断りもなくどっしり座った夏樹を見て、俺はイラっとした。


 弟の夏樹は超マイペースな性格で、人に合わせるとか空気を読むとか、そういう器用なことができる人間じゃない。サーフィンにはひた向きな癖にその他の事はボーっとしてるっていうか、お陰で俺は幼い頃からこいつの世話を焼いてきた。割と社交的な性格である俺と違って、こいつは俺と芽留以外とは碌に友達付き合いもしない、狭く深くなタイプ。つまり俺にベッタリで、そんな夏樹が俺も可愛いわけなんだけど。


 でもなぁ。もういい加減高校生だし・・どうにかせねばならん、と思っているのもまた事実。一生兄弟仲良くここで暮らす・・なんてのは現実的にはナイし。俺だって彼女くらい欲しい年頃なわけで。


 できれば夏樹には陽葵と仲良くなって欲しくないんだよなぁ。俺はそこそこモテる方だが・・こいつのこの顔面とスター気質には勝てる気がしないし。どんなに俺が女の子に優しくしたって、こいつの妙な一言でいっつも全部持ってかれるもんなぁ。



「央と一緒にご飯食べたい」



 ほらぁ。こういうとこ。意外とカワいぃぃ夏樹君!て女はなる。俺もなる。



「ええ・・断り辛っ・・」



 その時だった。クスッと小さな笑い声が聞こえたのは。思わず見た。そこには間違いなく────初めて目にする、陽葵の笑顔があった。



 わ・・笑った。


 やば・・地味に嬉しいかも。


 今日一日でだいぶ打ち解けたんじゃないか? 無理矢理サーフィンやらせて良かったかも・・!




「あっ・・すいません」


 

 陽葵は俺の視線に気づいて、笑顔をしまいサッと目を逸らした。ガチガチにガン見すぎてたらしい。ヤバ俺。でもあんなのキュンとするだろ。



「え? あっ、いや別にっ、何にするか決まった?」


「はい・・じゃあ、ガーリックシュリンププレートにします」


「お、おうっ! すぐ作るから任せとけ!」


「父ちゃんがね」


「うるせーって夏樹!」



 マジで夏樹・・邪魔しないでほしいな・・




 なのに。



「央の彼女ってひまりサンなの?」




 ────何でそんなこと言うの?



 待て待て俺がすっごい遊んでるみたいじゃん。そりゃ思春期だし告白してきた子と付き合ってみたりした事もあるけど、そんな取っ替え引っ替えじゃないよ俺。彼女いたことないお前と比べたら、多少経験あるかなくらいのね?



 だけど俺を凍り付かせたのは、次の陽葵の回答だった。




「い、いえその・・そういうわけでは・・ない、ですかね多分・・」




 ────否定した!!



 心の中が・・一気にモヤモヤで埋め尽くされた。



 いやそりゃさ・・「付き合えません」て断られたよ。でもこっちは何とか繋ぎ止めようと頑張ってんじゃん。それを本人の目の前でバッサリ切るなよ。いい加減心折れるよ俺??




 ムカついたから、おもっきり乱暴にドリンク置いてやった。


「夏樹! そういうのは俺に聞けよ!」


 余計なこと聞いて俺のなけなしの勇気をボッキリ折りやがって!



「あ、そ。付き合ってんの?」


「ただのクラスメイトだよ!」



 ああそうだよ。ただの。付き合ってるどころか、特別仲良くもないただの、ね。どーせフラれてるんだもんね俺。



 さっきやっと笑ってくれたと思ったのに────。



 あ。



 そうか。こいつが初めて笑ったの、俺に心開いたわけじゃなくて────夏樹がいるからなのか。




 なんかもう、どうでも良くなってきたな・・








◇◆◇◆◇◆◇◆



 遠くで踏切の音がする。もうすぐ電車が来る。



 最寄り駅はレトロ。改札も一個で吹きっさらしで遮るものなんて何もない。各駅停車しか止まらないから本数も少ないし。



「じゃ。帰り気をつけて」


「きょ・・今日は色々とありがとうございました!・・」


 陽葵は深々と頭を下げた。親父らにもリーマンみたいな挨拶してたし、気は弱いけど礼儀だけはちゃんとした奴だ。育ちがいいんだろうけど。


 俺が手を振るとあの子は向こうのホームへ繋がる階段を上がっていく。




 ・・今日で終わりなんだろうな。これって俺が強引に承諾させた、ただの『お試しデート』だし。


 もっとデートらしいデートが良かった?


 でも・・いつも色々考えすぎてそうなあいつに、見せてやりたかったんだよ。俺と同じで少しは救われた気になるんじゃないかなんて────俺の勝手な決めつけだけど。





"しゃしゃりヒーロー"




 芽留の揶揄が頭に浮かんだ。


 まぁな。結局それも、こいつにとっては余計なお節介で────・・





「────楽しかったです!」




 後ろで響いた声に気付いて、俺は振り返った。


 するとそこには階段の中腹で、顔を真っ赤にさせた陽葵が、いまにも泣き出しそうな表情でこちらを睨んでいた訳で・・




「また・・サーフィン、やってみたいです・・!!」





 あの子がそんなに大きな声を出したのを初めて聞いたんだ。



 あの子が踵を返して階段を走り去るのを、俺は呆然と見つめていた。すぐに電車が入ってきて、乗客達を飲み込んでいく。動きだした電車の中で、まだ赤い顔をした彼女が、一瞬こちらを見た気がした。



 カンカンカンと煩く鳴く踏切が止まった頃、あの子を乗せた電車はもう見えなくなった。周囲に静寂が戻ると、いつもより大きい自分の鼓動の音にやっと気がついた。



「つーか・・そんなこと言うくらいで、んな泣きそうな顔するなよ・・」



 駆け引きだとか社交辞令とか、そういうものとは無縁のあいつにとって、多分その一言がどれだけ勇気を振り絞ったものであるのか・・分かった気がしたから。




「また舞い上がるだろぉ・・」




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