(2)
「やっぱり最初はここだよねっ!」
弾んだ声の碧はにこにこと本棚を端から眺めた。この場所は碧が好きな図鑑エリアだ。図鑑といっても種類がたくさんある。人体、乗り物、花、恐竜、宇宙、きのこ、魚、動物……。動物をひとまとめにしているものもあれば、鳥だけだったり、深海の生物だったり、1つの種類を深掘りする図鑑だったりと盛りだくさんだ。それに、なんて言ったって新しい情報や今までの知識を深掘りできるもの魅力で、調べるのが好きな碧にとって知識欲をかき立てられる図鑑が一番のお気に入りなのだ。
(ここに結局は一番に来ちゃうんだよねー)
いつも違う場所から攻めようと思ってはいるものの、大好きな場所に最初に足が向いてしまう。だって、仕方がない。ご飯も大好物を後に取っておくタイプではなく、誰にも取られないように先に食べるタイプなのだから。これは生まれ持った性質というものだろう。
「さて、どうしよう」
先週借りてリュックに入っているのはきのこ図鑑だから、今回は動物か宇宙とか植物系ではないものがいいかもしれないと、上の段から読んだことのないものを物色していく。それに、もうすぐ夏休みだし、自由研究の題材にしやすい物の方がいいかもしれない。何にしようかなと背表紙に書いてあるタイトルを読んでいく。図鑑はなかなか新しいものが作られなくてほとんどが読んだ本だけど、二周目を読むのも新しい発見があって楽しいのだから、今回は動物に焦点をあてて、その種類の中のどれかを借りていこうと決めた。
そうと決まったら、あとは動物の種類決めだけだな、と、動物の名前を呟きながら借りる本を考えていた碧が首を傾げた。
「あれれ?」
上から順番に見ていた碧の目に飛び込んできたのは、見たことのない図鑑だった。
今まで何度もこの図書館の図鑑コーナーへ足を運んだけれど、ボロボロで古めかしい本なのにもかかわらず見たのは初めてだった。別の地域の図書館から運ばれてきたのか,もしくは住民が寄贈したあのだろうか。でも、初めて見るその本にワクワクが止まらなかった。
(なんの図鑑なんだろう? 久々に読んだことがない本だし、それにどこの出版社のものだろう)
出版社がわかれば、その改訂版は読んだことがあるかもしれないと思ったのだ。でも、背表紙に字が書いてあるようだが、背のびをして眼鏡の奥の目を細めてどうにか読み取ろうとするも、擦り切れていてタイトルや出版社の名前すら読めない。眉間にしわを寄せながら、古い本だか難しい内容なのかな、小学生の自分にも理解できる内容のものが書いているのだろうかと、手が届かない本を眺めて悶々とする。読んでみたいな、でもどうしようと悩む碧。
これは、ケルヌンノスがわざと古めかしい加工をしていかにも大層な本ですというアピールをするためだったのだが、まんまとケルヌンノスの策略にハマった碧は、台に乗っても手の届きそうにない位置にある図鑑を手に取ってみたくて、いつもの係のおじさんやおばさんを探すべくキョロキョロとした。
けれど、係の人どころか、この図鑑ゾーンには人がいなく、足音さえ聞こえなかった。
(誰かに持って行かれるの嫌だから、ここから離れたくないんだけどなぁ……。いつもなら誰か通るのに)
せっかく新しい図鑑を見つけたのについてないなと思った。でも、このままでは碧もこの図鑑を借りることが出来ない。
誰もいないのだから、借りられる率は低いだろうと考え、係の人を探した。ようやくネームプレートをぶら下げている人を見つけた碧は声をかける。
「あのー、すみません」
碧の声に振り返った人を見て驚いた。ガッチリした体つきのプロレスラーみたいだったからだ。
(えぇー。声かける人間違えた……。それにみたことない人だし)
清潔感のある白いシャツをきているけれど、筋肉で今にもボタンが弾け飛びそうだった。声をかけてみたものの怖そうな見た目の男の人に怖気ついた碧は、「す、すみませんでした」と回れ右をしようとしたら、「待て」と低い声で呼び止められた。ビクッと体を震わせ、恐る恐る振り返る。
「何か用事だったのだろう?」
意外と優しくいい人なのかもしれない。他に近くに係の人もいなかったし、勇気を振り絞って頼むことにした。
「あのー、本当に忙しいところすみません」
申し訳なさそうに肩を落とした碧に食い気味で男が口を開く。
「いや、暇してた」
「え?」
お仕事中だよね? 眉毛を寄せて少し首を傾げた碧を見て焦るように男は言う。
「あ、これはその。今は忙しくないという意味だ」
「あー、そうなんですね。仕事がひと段落したってことなんですね」
「そうとも言う」
それなら頼んでも問題ないかもしれない。それに、怖い見た目だけど意外と優しい人っぽいし。そう思った碧は、お願いをすることにした。
「あの、僕が気になった図鑑があるんです」
「図鑑?」
男の耳がピクピク動く。
「はい。図鑑です。僕、図鑑で色々調べることが好きなんですけど、この図書館で初めて見た本で、背表紙の字もなんて書いているか読めないんですけど、すごく気になちゃって。その本を読みたいんですけど、僕の背じゃ届かなくて」
「なんで、その図鑑が気になるんだ?」
男の質問に碧は考える。けど、なんで気になるんだろう。図鑑は好きだけど、理由を聞かれても即答出来る答えを持ち合わせていなかった。初めてみた物だからって言ってもいいものだろうか。でも、結局お兄さんを納得させる理由を思いつかなかった碧は、素直に謝る。
「……えっと、ごめんなさい。なんで気になるかは僕にも」
男の質問にうまく答えられないことにシュンとしてしまう。お母さんにもちゃんと意思表示はしなさい、きちんと伝えないと伝わらないのよといつも言われているのに。
「こやつが、選ばれた者か。まだ子供ではないか」
小さい声で男は呟いたが、うまく答えられなくて落ち込んでいた碧の耳には入らない。
「うまく答えられないと、高いところにある図鑑は取ってもらえませんか?」
泣きそうな顔して男を見上げた碧に、ムンっと鼻息ともなんとも言えない音が男から発せられた。キョトンとしながら男を見つめると、バツが悪そうな顔をして、目を背けられた。
「んっ、すまん。そんなことはない。取ろう」
男の言葉に嬉しくなった碧は、「ありがとうございます。ありがとうございます。こっちです。早く行かないと借りられてしまうかもしれません。急いでください」と、足早に図鑑コーナーへと向かうのだった。
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