この甘味を乗り越えて

テマキズシ

この甘味を乗り越えて


 夜の繁華街は虫が集まる電灯のように、人の群れがわらわらと蠢いている。

 私はその様子を羨ましそうに、ビルの屋上から眺めていた。彼ら彼女らは良い環境とは思えない者も多く居る。

 だがその瞳にはギラギラとした何かがある事を感じ取れた。きっと彼らはまだ未来が、生きる意味があるのだろう。



 私には無いものだ。


 私は今日、この場で命を落とす。

 他ならぬ私の手によって。

 何度も何度も考えた。だがこの結末以外、私の心を救う方法は無いと、そう判断した。


 私の人生は、誰かに聞かせたら鼻で笑われるような惨めで哀れなもの。

 逃げ続けた人生だった。



 だからこそ、この結末。

 何も成せず齢三十。自らの手で命を捨てるのだ。


 ザラザラと錆びついた汚らしいフェンスに手を掛けると、頭の中に眠っていた過去の記憶が目を覚まし始めた。

 これが走馬灯というものだろう。生まれてから今までの記憶がコマ送りされてゆく。



 幼少期から私には自主性が無かった。

 小中は同級生の意見に従いそれっぽく言葉を取り繕って乗り越え、高校は担任に従い中堅より少し下の所へ入学。

 大学は取り敢えず入ったほうが良いとネットで書いてあったし、先生や両親からも言われたからFランより少し上の名前はよく聞く就職有利の大学にした。


 夢なんて無かった。

 昔は何かあったのかもしれないが、年を取るに連れ風化し、今の私はただの亡霊。

 ただ生きているだけで他の人達からは認識もされないような存在だ。


 結局興味の無い企業へと就職。

 真っ黒を通り越してブラックホールだった我が社は私の心を貪り尽くし、最終的には社長の自殺により会社も消えていった。

 会社が消えてしまったら当然社宅も無くなる。

 私は家も職も無くしてしまった。



 両親は頼れない。いや、私がただ頼りたくないだけだ。

 両親に頼った後、私がどれだけ苦労するのかを考えると、今ここで死んだほうが良いと考えてしまう。



 甘い誘惑。悪魔の誘惑。


 底が見えぬ暗闇が、メルヘンチックなお菓子の王国に見えてきた。

 これ以上苦労するのは嫌だ。苦しむのは嫌だ。

 もう何もしたくない。



 楽に生きたい。


 柵を越え、いざ飛び込もうとした時、自身の体が震えだした。

 声にならない声が口から溢れ出し、身体だけでなく精神が、魂が怯え死にたくないと悲鳴を上げる。

 そして私はようやく気づいた。



 この体の震えはただ私が生きたがっているのでは無い。

 これまで楽な方向へと逃げてきた私に対する心身への反逆。苦しい道に進んでいかんとする挑戦の心。

 今私を止めているのは私自身の内に眠っていた私の気持ちだった。


 私にそんな気持ちがあったのかと、今まで感じた事の無い気持ちに目から涙が溢れる。

 足が止まり、暫くの間呆然とする。



 だがすぐに私は甘い誘惑に釣られる。


 今更やる気を出してなんだというのだ。もう遅い。私は変われない。

 甘味の無いただ辛く苦い道。私では進み切ることは出来ない。

 一生私はゴミのような人生なのだ…と。

 自らを否定する言葉が山程現れる。こういう時だけ私の頭は働いていく。




 だけど……。


 だけどもし、私がここで辛く苦い道へと進むことが出来たのなら…。


 何かが、自分の中の何かが変わるかもしれない。




 ………………私は。










 この甘味を乗り越えて





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