遠い日のおままごと(2)

 沢山の人が生み出す一つの生き物のような力。

 それが熱気や喧騒になって私を引っ張り込む。

 この闇市に来るたびにそれを感じる。


 電車の中では不安を感じていたけど、いざ来てみると怖さだけではない……不思議な高揚感も感じる。


 私と涼子さんの住んでいる村は静かだ。

 お祭りの時は賑やかだけど、それ以外は基本的にお互いのペースで生活し、必要な時は隣近所で助け合う。

 それも心地よかったけど、こういう所に来ると村では感じなかった胸の奥の昂ぶりにも気付くのだ。


「私……何だかんだ言ってここ、好きなんだよね。何か……ほら、ワクワクしない?」


 涼子さんの言葉に私も頬を火照らせながら頷く。

 そうなんだ。

 私も良子さんも20歳。

 やっぱり、違法な市場と言えど別の世界を覗く事は心が浮き立つ。

 地主さんの所は戦争が始まる前は毎年、海の近くに旅行に行ってたらしい。


 海……旅行……

 それはまるでお話の世界のよう。

 私もいつか一也さんと……行けるかな?

 死ぬまでに一度でいいから箱根とか行けたら……

 ……ううん、そんな贅沢できるわけ無いか。

 今は、一也さんのために生きるんだ。

 何を食べても。


 人の波の中、フワフワした心地で歩いていると、やがて露天が立ち並ぶ通りに出た。

 男性もいるけど、女性がやっている露店が多い。


「米、あるよ。美味いやつ。一升70円。無くなるよ」


「砂糖一貫千円。早い者勝ちね」


「お嬢さんたち、カストリどう? 350円で幸せ一杯。バクダンもあるけど、どう? 飲んだことなかったらいい機会だよ」


 カストリ……

 片目を閉じている男性の方に思わず目を向けた私の袖を、涼子さんは軽く引っ張り小声で囁いた。


「絵美、ダメだよ。あれ飲むと目、潰れるから。村長さん言ってたじゃん」


 あ……そうだ。

 カストリやバクダン。

 噂では工場で使うようなのを混ぜてるって。

 そういうのは人が飲んじゃダメなもの。

 だから絶対飲んじゃダメだ、って言ってたんだ……


 私はそんな事を思いながら、露天の隣でしゃがみこんでそれらを飲みながら下品な笑い声を上げている人たちを見た。

 近くには倒れててピクリとも動かない人も居たけど、誰も気にしている様子はない。


「それにしても……やっぱ高いよね。闇市って。配給品が一升50銭なのにさ。なんでこっちが70円なわけ?」


「しょうがないよ。そういう所だもん」


 村長さんや役場の人は「セイドの不備でブッカのキジュンが狂ってる……」とか言ってたけど良く分からない。

 とにかく何でも少ないんだ。

 だから貴重なんだろうな……


 私たちはお米と味噌を買うと、持ってきたお金は予定通りほとんど無くなった。

 でも、両手に持った米や味噌の重さが、私たちの命をつないでくれているように思え、満足感を覚える。

 これでまだ、生きられる。

 ホッとため息をついて私と涼子さんは道の端のブロックに座る。


「お疲れ様。なんとか終わったね」


「うん。お疲れ様。ありがとねいつも。涼子さんが居なかったら私、闇市とか来れないよ」


「いいよ、気にしないで。5歳からの腐れ縁じゃん」


 そうだ。

 私と涼子さんは5歳からの幼馴染だ。

 家が隣同士だった私たちは、姉妹のように育った。


 引っ込み思案で運動が苦手な私と、活発で運動も勉強も出来る涼子さん。

 好奇心もあって村の外の世界に興味津々な彼女を見てると時々、可哀想になる。


 私も涼子さんもきっとあの村で一生を終えるだろう。

 他の人たちと同じで。

 村の外を知る事無く。

 だってみんなそうしているから。

 だから私たちもそうなる。

 私はそれでいいと思ってるけど、涼子さんは……なんか可哀想だ。


 だから、こうやって闇市とはいえ二人で村の外に出かけて、一緒の時間を過ごせるのは嬉しい。


 そんな事を考えながら、私たちは胸に下げたお守り袋を引っ張り出した。

 そして口を開けて、中から小豆を数粒手のひらに落とす。


 その綺麗なつややかな赤色をしばらく眺めて楽しむと、お互いの顔を見て一粒口に入れる。

 小豆の甘味が口の中に広がり、思わず微笑んでしまう。

 甘い……

 小豆の甘さが疲れた身体にじんわりと染み込んで来るみたいで幸せになる。


 この闇市には芋飴とかも売っているらしい。

 食べてみたいけど、そんな贅沢なの……どこかの地主さんでもないと口に出来るわけ無い。


「お腹……空いたね」


「……うん」


 顔を上げると、少し先のほうでシチューを売っている屋台があった。

 美味しそうな匂いにお腹が鳴る。

 進駐軍の残飯を使った「残飯シチュー」

 村の男の人が食べた話を聞いたけど……


 でも……私たちの手持ちだと上や中は無理。

 その人が食べたのは下のシチューだけど、ネズミが入ってたらしく帰ってからお腹壊して苦しんでた……

 結局私たちはいつものようにうどんのゆで汁を買って二人で分けた。


 いつか……好きなのを好きなだけ食べれるようになるのかな?

 そんなの夢の中のお話みたいだ……


 ●〇●〇●〇●〇●〇●〇●〇●


 私と涼子さんはお米やお味噌を担いで電車を降りると、村までの長い道を他愛も無い話をしながら歩いた。

 一人だったら辛くて泣いていたかもしれない。

 そんな道も涼子さんとお話ししていると、元気になる。

 私は背中の荷物の中にこっそりと入れてある小箱の事を思った。


 涼子さんは来週誕生日だ。

 そのささやかなお祝いに、と涼子さんがご不浄で離れた間に闇市の露店で買ったのだ。

 精巧で可愛らしい作りなので一目惚れした。

 本当は自分の分も欲しかったくらい。

 気に入ってくれるといいけど……


 そんな事を考えながらやっと村に着いたのはもう薄暗くなる頃。

 早くお風呂に入りたいな……


 そんな事を考えていると、家からお母様が出てきた。

 その顔を見たとき、私は身体がすくんだ。

 お母さんはただ、険しい表情で私を見ていただけだったが、なぜか理解した。


 だって……戦争中、こんな顔してる人……一杯見た。


「……絵美……あなたは……強い子よね」


 そう言ってお母様は私に歩み寄り、強く抱きしめる。

 隣の涼子さんも怯えた様な表情のように見えた。

 見えた……と言うのは、この後の言葉に怯えた私は顔をあげる事が出来なかったから。


「お母様……何が……」


「絵美ちゃん……なんで……なんで……あなたばかり」


 お母さんは泣き声が交じる声で絞り出すように言った。


「一也さんが……死んだの。もう……帰ってこない」

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