4.来訪者
幼い頃から共に過ごしてきたユリウスはとにかく努力家だった。あとは手が早く怒りっぽい。サイさんに育てられるようになってから大分とマシになったけど、本質は変わってないのか何かの拍子に烈火の如く怒りを爆発させる。
最近だと隊長さんが亡くなってリベルタもドタバタしてた頃だった。ミスティアの往診に付き合って街に出て帰ってくると医務室でユリウスが久しぶりに怒り狂っていて、ジルバがそれを宥めていたが、火に油を注ぐような形で、収拾がつかなくなっていた。こういう時はサイさんが宥めていた。サイさんが亡くなってからは隊長さんが、ジュリーさんがその役目を負っていた。その全員がいなくなってしまった今、ユリウスを抑えられるのは私以外いなかった。
何があったのかと聞くと、もう見守るに徹していたクロッカスが教えてくれた。
ユリウスの父親の使用人だと名乗る男がリベルタを訪れた。何度かユリウスと話がしたいと過去にも訪れていたみたいだったが、隊長さんとサイさんが毎度追い返していたらしい。しばらくはそれで来なかったが、隊長さんがいなくなって、またやって来たのだと言う。そしてジルバはそんな話を父親から聞いたこともなく、そして相手も意地悪く仕事の話をする
もうこうなったらどうしようもない。他の全員を部屋から出して、しばらく医務室で二人で向き合った。ジルバだって悪気があったわけじゃない。ただ知らなかった、仕事の依頼だと思ったからユリウスに会わせただけだった。それくらいユリウスだって分かっているはず、でも怒りは収まらない。
ここに来たばかりのような目をしていていた。誰も信じるかと言いたげな目だった。そんな目をこいつはまだするのかと心が締め付けられた。私達はもう大人だ。行きたいところに行けるし、1人で生きていける。でも、たくさんのモノを背負った私達が立つのに2本の足は不安定過ぎる。だから手を取って「大丈夫」としか言えなかった。一気に鎮火した怒りは最後、泣き出しそうな悲痛な声で母さんが死にかけてた時には何もしなかったくせにと叫んだ。
あんまり詳しいことは話したがらないが、ユリウスの実の父親は貴族らしい。本人はまともな生まれじゃないと言っていたし、実際隊長さんやサイさんから話を漏れ聞いたところ、確かにまともな生まれではなかった。そんな母子を見捨てた男が今更になって会いたいと言い出した。その悲しみは計り知れないだろう。子どものような顔をしたユリウスを抱き締めるしかできなかった。
だから、今この状況はまずいと感じていた。少し前に往診の依頼に訪れた紳士を客間に通した。白髪混じりのその男は身綺麗な姿で、まあこの街道にも成金はいるからとあまり気にしていなかった。診察を終えたユリウスが客間に来て空気が一変した。何も知らず通した目の前の紳士は、ユリウスの父親に仕える使用人だったらしい。この前の現場を見てなかったとは言え、ジルバと同じことしてるじゃないかと内心頭を抱えたくなった。
「レン、帰ってもらえ」
いつもより低い声で静かにそう言った。ここに住むようになってすぐ、ユリウスが話してくれた幼少期の記憶はひどいものだった。母親は毎日朝から晩まで働いた。その間、ユリウスは雨垂れするボロ屋で1人で過ごした。大きな椀に粥だけ作られていて、それに手を突っ込んで食べた。まだ足元も覚束ない幼子の頃だ。帰ってきた母親の慈愛と悲しみに揺れる瞳が忘れられないと零した。そんな彼らの存在を記憶から抹消して悠々自適に暮らしていたんだ。許すことなど到底できないだろう。
「一度お会いしてほしいのです」
ユリウスの握り締めた拳がピクリと動いた。張り詰めた空気が弾けそうなほどの緊張感を持った。それでも冷静に努めようとしているのか、細く息を吐き出す姿に息が詰まる。
「俺の父親はあんたの主じゃない」
「もう余命僅かだと、医師から宣告されています」
ユリウスの開いた口元がまた閉じた。
「もう手の施しようがなく、貰える薬も痛みを抑えるものだけ。まぁお食事が取れないのでそれも吐いている状態ですが」
「――だからなんだって言うんだ。死に目に会いたいってか? 俺が母さんを助けてくれと頭を下げたときには金貨2枚ばっかりを投げつけて二度と顔を出すなと吐き捨てたくせに」
口元を歪めたユリウスがあまりにも醜い。こうして病状を聞いた人にこんな醜い顔をする男ではなかった。
「私はあなたに息子として会えなんて言いませんよ。我が主ながらあの方は困った方でしてね、あなたの怒りはお察しします」
そんなユリウスに臆することなく、フッと笑みを浮かべたその男は二人を隔てる机の上に金貨を3枚丁寧に積み重ねた。
「ですが、ここの売り文句は誰でも断らない、だそうですね」
目の前を真っ直ぐ見据えたその男はユリウスを見つめる。
「医者としてのあなたに往診をお願いします。別の医師からは10日ほどだろうと言われています。ですのでそれまでに来ていただけるとありがたい。――それとももう1枚必要かな?」
もう1枚出てきた金貨が重なる寸前でユリウスが絞り出すように「いるもんか」と応えた。それににっこりと笑った男はコートと帽子を持つとよろしくお願いしますね、とだけ言って暇を告げた。
一応見送りのために歩き始めた男の後ろに着いたが、部屋に残してきたユリウスが気になる。音はしないので暴れてはいないだろう。
「あなたが彼の伴侶ですか?」
「え――」
振り返ることなく声をかけられ、思考が目の前の男に移った。質のいい服を纏った男はそのまま続ける。
「前にご結婚されたと聞いたので、娶ったのはハーフエルフだとも聞きました。――あなたがそうでしょう?」
「……はい」
外へ出ると少し雪が散らついていてまた積もりそうな空模様だった。ようやくこちらを見た男は皺の刻まれた目元を細める
「子がいるようですね。いつ頃ですか?」
「春には――」
「それは良い時期だ。暖かくなって育てやすい」
腕にあった毛皮のコートの袖に腕を通しながら男はとんでもないことを言い出した。
「別に往診に来なくてもいいと彼に伝えておいてください」
「もう診療代を――」
あまりにびっくりするような言葉に声が上ずった。金貨3枚は安い金じゃない。
「返していただくなくて結構。あんな気分の悪い金は形に残らないものでも買って忘れた方がマシだ。私は仕事として主の願いを叶えに来たまで。彼が父親を恨む気持ちは十分に理解できるので」
それだけ言うと頭を下げて帽子を被り、ちらつく雪の中に消えていってしまった。追いかけることもできなくて客間に戻ると、もうユリウスはそこに居らず、積み上がった金貨だけがそのまま残されていた。
自分の持ち場に戻っていたユリウスの空気がこれでもかと言うほど張り詰めていて、この状態で先程の伝言を伝えてもいいものか考えあぐねた。夜になり、診察を全て終えたユリウスと向かい合った。何を話していいか分からず、作った料理をお互い流し込むだけで終わる。それでもそろそろ伝えないといけないだろう。食器を下げる前に「別に往診に来なくてもいいって。お金はあげると言ってた」と伝えるとユリウスはふいっと顔を背けて「そうかよ」と呟いただけだった。
翌日もそんな調子でまだ客間の机に金貨が積み上がったままだった。預かってる子どもや孤児の子どもたちが触るのでそのままの形で手の届かない棚に移動させた。また次の日になってもユリウスは変わらないまま、移動させた金貨もそのままで次第にこっちの気分まで悪くなってくる。
そして3日目の昼間、休憩の合間にようやくユリウスの手の中にあの金貨が収まった。しかしどうすることもなく、手の中で金貨を弄びながら腰掛けて難しい顔をしていた。手の中の金貨を机に落として耳障りな音が何度も続く。一体何を考えているのかさっぱり分からない。ただ、そんなユリウスが腹立たしいことだけは自分の腹の底で分かってしまう。だからもう面倒でいつまでもそんな耳障りな音を奏でるユリウスの頭を叩いてやった。
「――いってぇな」
「そんな大事そうに持つから悩むんだろ」
「うるせぇな」
「往診行くなら行く、行かないならそんな泡銭、博打にでも使って負けちまったらいいんだ」
ようやくユリウスが「負ける前提かよ」と笑う。勝てる自信があるなら勝って増やしてこい。リベルタの出張所としてくれたからやっていけているが、そうじゃなかったら本当にここの経営は厳しいものだ。
「あぁいうところは最初だけは勝たせてくれるんだよ馬鹿」
息を吐き出したユリウスが、髪をかき混ぜて顔を伏せた。
「似てるんだって」
「何が」
「俺とその父親。――母さんが」
息を吐き出して言葉を続ける。
「母さんがよく言ってた。あの人に似てきたね、って……。だから、怖い」
あまりユリウスの口からは出ない言葉だった。
「母さんの他にもすぐ手を出してたってのは聞いてる。そんな男と俺が似てる。それはどこまでだ?」
「何言ってるんだよ」
「そんなクソ野郎の子どもの俺がまともな父親になれるのか?」
思いもしない言葉に固まってしまう。それよりも――
「え、そんなこと気にしてたの!?」
「気にしちゃ悪いか!? 顔は知らなくても父親は父親だ!」
「逆を言えば顔も知らないのになんでユリウスがおんなじ男になると思うんだよ!」
あまりにも予想外なことに思い悩んでいて、考えていたことが吹っ飛んでしまった。私がハーフエルフだってこともミスティアが星の子だということも気にしない癖にまさかそんなことを考えているとは思いもしなかった。
「顔が似てるからって性格や手癖の悪さまで似るなんてどう考えたらそうなるんだよ。だったらジルバと隊長さんは性格似てるか? 全っ然違うね!」
育ての親である前リベルタ隊長と、その息子で現隊長のジルバは顔立ちはとても似ていて、産まれたときから瓜二つだなんて言われていた。でも隊長さんは冷静で落ち着いた人に見えても結構思いきったことをする人だったし、アレクさんと一緒だったらいつもより大胆なことをする人でもあった。一方ジルバは表にはあまり出さないが幼い頃から少し臆病だし、色んなことに慎重で、思い悩んでなかなか動けない。だから瓜二つな2人でも全く別物だった。
「まぁそれは、そうだけど」
「だったらなんで思い悩む必要がある。それに――ユリウスはちゃんとした父親になれる」
ユリウスがようやく顔を上げる。いつもの不遜で偉ぶっているユリウスには似合わない顔だった。
「私だって、産みの母親も父親も分からない。だから母親って存在がどんなものなのか想像もつかない。でも、目指したいと思う人はいる。ユリウスもいるだろ」
私はあの入れ墨の入った優しい顔を、ユリウスはきっと眼鏡のかけたあの優しい顔を思い浮かべている。そう、信じてる。生まれがなんだ。そんなものと言ったのは、ユリウスじゃないか。
「それにユリウスがダメな父親になりそうになったら私が叩き直してやるから安心しな」
「――そうか」
ようやくユリウスが金貨を手放した。
「どうするんだ」
「明日往診に行く。サイさんとの約束もある。話を聞いた以上、どんなクソ野郎でも俺の患者だ」
ユリウスの手が金の髪を撫で回す。私達は大人だ。行きたいところに行ける。だから、ユリウスの向かう方へ歩いたらいい。ユリウスとともに生きると決めたんだ。だから、ユリウスが決める道なら私もその道を突き進もう。
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