2.愚かな女


 リベルタで働くようになって、なんというか快適だった。毎食食い物にありつけて寝床の心配がいらないのは本当に快適だ。

 仕事も苦ではない。街の外に出ての薬草採集も行った。往診にも行った、急患の処置を手伝うこともあった。サイはなんでも快く教えてくれた。


「ユリウス、ご苦労様。隊長から貰ってきたから受けとるといい」


 慣れてきた薬草の選別をしていると、サイが袋を机に置いた。鈍い金属の音がしたそれを見つめる。


「なに?」


「賃金だよ。1ヶ月働いたんだから」


 その一言でもうここに1ヶ月もいるんだとようやく気付いた。袋を開けると今まで持ったこともない大金に思わず固まってしまう。


「こんなにもらえるのか?」


「ユリウスが頑張ったからだよ。うちは歩合制だからね。仕事を多くこなせばそれだけ稼げる」


 どこにしまっておこうか。これだけあればあの夢も、どうにかなるんじゃないか。そんな思いが溢れてきていた。しかし――


「全然足りない」


 計算をする前から分かってしまい、持っていた金を乱暴に箱の中に押し込んだ。最低限必要な金額には到底足りない額だった。

 髪を掻き乱して頭を働かせる。毎月この金が手に入るとしても足りる頃にはもう成人してる。遅くとも2年後には必要なのだ。やはり盗みに入るしかない。それしか思い付かない。




◆◆◆


 もともとは貴族である隊長から何かしら奪おうと考えていた。リベルタの中に私室があることを確認していた。そこに忍び入り、金目のものを奪うか、もしくは全隊員の賃金をまとめて奪う。下っ端ですらこの金だ。いったい何人いるかは数えてはいないが、単純に10人ならこの10倍、もしかすると隊長の私物より高額になるかもしれない。金の居所を探って慎重に進めたらもしかすると今後困ることのない大金が奪えるかもしれない。


「――なぁんて考えてんじゃないか? あのガキは?」


 まだ仕事をしている机に腰かけた親友が腹を抱えて笑う。言っても無駄なので諦めてはいるが、大事な書類が尻に敷かれてくしゃりと潰れていた。


「かもしれないな。アレク、例の件は?」


 ユリウスが入隊してすぐに親友にあの子どものことを探って貰った。子どもが生まれそうだからしばらくこちらの仕事はしないと言っていたが、あんな子どものことを調べるの朝飯前だと笑った。そして早々に情報を渡してくれた。


 思った通り、あの子どもは帝都とレグルス港を結ぶ街道で盗みを繰り返す子悪党だった。幼いながらに腕っ節が強く、群れるということをしないので敵を作りやすい。ただすばしっこいので捕まらない。頭も冴えるようだが、まだ子どもだ。子ども故の愚かさか引き際を知らない。少し前にひったくった物は無法地帯を牛耳るゴロツキたちへの献上品だったようだ。そして今そのゴロツキたちは面子を潰されたとかでユリウスを血眼になって探していた。前回はここまでアレクシウスに聞いた。そしてその時あまり関係ないが気になるを聞いたと教えてくれたのだ。そして今日はその噂を調査した報告に来てくれた。


「とりあえず降りろ」


「まぁ待てよ。商売の話をしてからだ。お前の抱える悩みの種をひとつ潰せるから伸るか反るかを聞きたい」


「何言ってんだ」


 アレクが好青年じみた顔をして笑った。幼い頃からの仲だ。こういう顔をした時ほど、こいつは危険だと分かっている。そんな時だった。


「隊長さん!」


 息を切らしたレンが部屋に飛び込んできた。




◆◆◆


 喧嘩っ早いと自分でも思う。あと相手に対しては勝てる相手に喧嘩を売れとも思う。こっちは毎日生きるか死ぬかの無法地帯で育ってんだ。こんなぬくぬくと育った奴らに負けるはずなかった。


「ほぉーら! ストップ! この悪ガキ!」


 ひょいと身体が宙に浮き、振りかぶった拳が宙を切った。後ろを振り返ると隊長の親友だと言う男が笑っていた。


「離せこの野郎!」


「威勢がいいなぁ。んで、お前これはどういうつもりだ?」


 床に転がる男たちにケッと唾を吐きたくなった。


「自業自得だ! 俺の金を盗ろうとするからだ!」


 貰った金を仕舞ったところをこの託児所でお山の大将気取った奴に見られた。不相応な大金に盗んだものだと奪われかけ、取り巻き含め何度か小突いてやっただけだ。


「小突いただけなぁ」


 大きく息を吐き出した姿に目の前を見る。床に倒れて泣く子どもばかりで、ある者は鼻から、またある者は口の端を切ったか口元を赤く濡らしていた。


「全く……。――おいレオ! この暴れ馬を連れてけ! あとサイさんも呼んでくれ!」


、来なさい」


 冷たい声で本当の名を呼ばれる。そう言えばこの1ヶ月、サイには本名で呼ばれていたのに、隊長は偽名を頑なに使っていたな、と思い返す。伝わっていてもおかしくないと思っていたが、何故か偽名で呼んでいた。もしかすると最初から知っていたか。流石に追い出されそうだな、それか牢屋行きか。短気は損気と言うが、他で稼ぐ方法を探さなければいけない。


 そうこうしているうちに一度も入ったことのない隊長の私室に押し込められた。少し前までどうやって入ってやろうかと扉の向こうを眺めていたのに中に入ると他の部屋と変わらず、質素で、寝台と暖炉と本が埋まった棚と書類の山が築かれた机があるだけで、なんの魅力もなかった。


「ユリウス」


 どうでも良くなってぼんやりと部屋の中を眺めていたら、隊長の声にぼんやりとした目を向ける。


「怪我はないか?」


「――ない」


「そうか……」


 それだけ言うと隊長は椅子を差し出して座るように促した。それから大したことは話さず、茶を出された。それを飲むと口の中に鈍い痛みが走る。気付いてないだけでどこか切れていそうだ。


「もうしょうがない奴らだなーほんと」


 ノックもなしに扉が開け放たれ、さっきの男が入ってきた。


「アレク、ノック」


「はいはい。んで、この悪ガキどうすんだ?」


「どうもなにも、あの子達にはちゃんと聞いたのか?」


「もちろん、人が稼いだ金を奪うなって言っておいた。――でもそれとこれとは別だ」


 つかつかと迫ってきたアレクシウスが間髪入れずに頭を、正確には前髪を掴み上げた。


「おい、限度ってもんがあるだろ。あんな血だらけになるまで殴る奴がいるか」


 うって変わって冷ややかな声となった。だからと言って、こんな目を向けられることも、罵声も慣れたもので恐怖なんてものは何もなかった。


「あいつらが俺の金を盗るからだ」


「――とにかく衛兵に届ける。それしかない」


「アレク」


「お前が変な優しさ見せてこんな子悪党を引き入れるからだろ。あいつらの怪我を見ろ。抵抗しなくなった奴をあそこまで殴る奴がいるか。それに、街道でどれほどこいつが悪さしてきたか知ってるくせに」


 どうやら貴族様のお優しい慈悲の心で俺はここに置かれていたらしい。あんまりにも馬鹿らしくて思わず鼻で笑った。それを気にせず隊長はアレクシウスを睨みつける。


「それは俺が決めることだ」


「リベルタの中のことはな。でも悪人を通報するのが善良な民の義務でね。――それともの庇い合いか?」


 息を飲んだ。髪を掴む男が冷たい黄眼こうがんをこちらに向けた。


「お前、天文博士アストロ家の妾の子なんだってな」


 アレクシウスが実に腹立たしい笑みを浮かべた。


「ちょっと前にアストロ家の屋敷の前で食って掛かってたらしいじゃねぇか。血縁の情けで家に入れてくれとでも頼んだのか?」


「誰があんな男の情けなどいるか!」


 爆発するような怒りだった。

 その爆発力で髪を持つ大きな手を引き剥がす。痛みと共にぶつぶつと抜けていく音が耳障りでそれがより苛立たせた。


「おい! 離してやれ!」


 アレクシウスが手を離した。重力に従って毛が顔にかかる。いくつかはサラサラと床に舞っていった。


「貴族だからって思い上がるなよ! お前らは自分の不利益となりゃ平気で裏切る!」


「ユリウス」


「さんざん俺の母親に愛してるだの側室にしてやるだの囁いて子を孕めば暇を出したあの野郎が父親!? 反吐が出る!」


 母はアストロ家の使用人だった。そしてひょんなことから当主が手をつけた。何度も愛し合い、そして俺ができると暇を出した。行く宛のない母は街道の無法地帯に追いやられた。


 母はとても綺麗で愚かな女だった。


 子が生まれれば会いに来てくれると、男ならそのまま側室として迎えると、折り合いの悪い奥方が儚くなれば迎えに来てくれると信じて止まなかった。そう寝屋で囁かれたから――。そうして幸せな願いを抱いたまま病に蝕まれ、衰弱していった。朦朧とする意識の中であの人に逢いたいと何度も口にした。だから、必死になって向かった、愛する母のために。なけなしの金を叩いて帝都に入り、貴族街の父の元へ――。


 現実はこんな薄汚い子どもが貴族の血を持つなんて馬鹿馬鹿しい。物乞いなら他でやれ、誰が婢などに顔を見せなくてはならないのだ、と水をかけられた。なら、逢わなくてもいいから、母を医者に診せたい。それさえしてくれれば二度と顔を見せない。と頭を下げ続けた。最後は根負けした執事が金貨を2枚地面に投げつけた。転がる金を掴むと一目散にボロ屋へと走った。港まで行けばまともな医者がいるはずだ。痩せ細った母親を担いで港まで連れて行こう。そうしてボロ屋へ着くと、母はもう息絶えていた。死なないように見守っていてくれと、金を握らせた馴染みの物乞いがそれをじっと眺めていて、胸倉を掴み上げると、少し前に死んだよ、と掠れた声で言い放った。お前の名を呼んで探していた、と言い残してその場を去った。痩せ細った母は冷たく土気色になっていて、最後まであの男のことを囁いていたのか、目も口も半開きの実に醜いモノに様変わりしていた。間に合わなかった。その怒りに握り締めた金貨が怨めしいほどに手に食い込んだ。


 そして今、その思いが溢れだし、再び手の中が痛いほど熱い。だが、それを目の前の恵まれた奴らに言ってなんになる。所詮残飯を投げつけられたこともない奴らだ。話したところで「可哀想に」と同情されるだけだ。


「ユリウス、私は今回のことを責めようとは思ってない。やり過ぎではあるが……君が頑張って働いた証だからね。――アレクもそうだろう?」


。ただ余罪がありすぎる」


 アレクシウスは息を吐き出した。


「ちょっと前にお前帝都行きの星石を強奪しただろ。あれで鍛冶屋うちは大損害なんだよ。サザンクロス産の最上級品だ。来年の導師の神事で使われる儀式用の星剣せいけんを造るためのものだ」


「知るかそんなもん」


 何を盗ったかなんていちいち覚えてない。とにかくいい金になったんだろうなということは分かった。


「レオがなんて言おうが、朝一で詰所だ。おいレオ、こいつちゃんと閉じ込めておけ。変に匿ってみろお前でも許さねぇからな」


 それだけ言うとさっさと部屋から出ていった。静けさが舞い戻った。それを壊すようにレオの穏やかな声がこちらに向いた。


「心配することない。アレクも本気じゃないよ。今日はリベルタの宿舎で休むと良い」


「触るな、薄汚い」


 伸ばされた手を払った。


「ユリウス」


「貴族なんて信用ならねぇんだよ」


 情けをかけられたことが出生のことを知られたことや、これまでの罪状を知られることよりも腹立たしかった。


 

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