FATHER
ゆうき弥生
1.出会い
帝都レグルスとレグルス港を結ぶ街道から更に外れた無法地帯と言われる場所で俺は生まれた。母が持っていたなけなしの金で産婆を呼び、なんとか生まれたらしい。俺を産んでから母はがむしゃらに働いた。産後の身体に鞭打って、俺を生かすために働いた。そうして、俺が十になると病に倒れ、呆気なく死んだ。
母はとても綺麗な人だった。
「その子が入隊希望の子?」
一回り上だろうか、赤毛に首から顔に向かって特徴的な入れ墨が入った女が顔を覗き込んできた。こんな入れ墨をした者が薪を背負って歩いているところを見たことがある。森の民だ。
「雑用でも何でもいいから働かせてくれ、だそうだ。小さく見えるが今年十四になるらしい」
「そう。私は副隊長のジュリー、よろしくね」
「よろしく」
とにかく金が欲しい。それもまとまった金だ。働けるのは十二の歳から。だがそんなの待っていられない。もともとレグルス港でスリだのなんだの繰り返していたが、それで得られる金なんてその日と、また次の日食えるくらいだ。そんな端金じゃダメだ。だから金持ちから奪わないと。
「それでなんか仕事ないの?」
「今日はもう遅いから明日からでいいよ。家は?」
「ない」
「そうか……じゃあ託児所がある。面倒を見てる孤児達もいるからそこで暮らすといい」
なんの苦労も知らない顔が笑って手を差し伸べた。虫酸が走る。その手を取らずにいると、すっと引っ込めた。案内するよ、と男が歩き出した。まとめた癖のない黒髪が揺れる。これが俺とリベルタの隊長を務めるシエル家当主レオとの出会いだった。
託児所には年の近い子どもが沢山いた。ほとんどがハーフエルフで、人間の俺は異質だった。もう陽も暮れかかった時間で、隊長が大鍋に料理を作って振る舞った。慣れたものなのか他の子どもはその手伝いをして、調理自体はそんなに時間がかからなかった。出来上がった料理を囲む。久しぶりに残飯以外のものを食べた気がして、腹がはち切れるほどそれを詰め込んだ。片付けをするにも寝床の準備も長ったらしい前髪をした奴が口を出してきて鬱陶しい。
寝床に入っても、貴族のやることだ。もしかすると寝ている間に子どもを売り渡してるのではないかとなかなか寝入る気分にならなかった。そんなことを知ってか知らずか、隊長はまだ1人で眠れない子どもの隣に横になって、その塊を優しく叩いた。そうして気がつくと朝になっていた。ふかふかの布団は気持ち良かった。
朝はパンとスープが用意されていてそれを食べた。パンは余るほど用意されていたので服の中に隠して託児所を出ると林を抜けて、リベルタへと向かった。昨日門を叩いた正面入口とは別に、この林の中に繋がる勝手口もあって、そちらから入った。
勝手口から入ると左右に無数の扉が点在している。扉には全て何の部屋なのか書かれていて、その下には入る時の注意事項や規則が記されていた。途中、上階へと行く階段があったがその上は隊員たちの雑魚寝部屋になっているようだ。
ひとつひとつ扉の言葉を確認していく。資料室、食糧庫、武器庫、執務室、医務室、食堂と大小さまざまな部屋があった。そのほぼ全てに何やら注意事項が記されていたが、唯一、名前だけしか記されていない扉があった。
――私室、と書かれただけの部屋で、正しく一番狙い目な場所だった。この先にどんな金目のものが落ちているのか気になって仕方がない。でも、この扉を開くのは今じゃなさそうだった。
目の前から隊長と副隊長が並んで歩いてきたのだ。まるで友達のように話す2人の前に立った。
「おはようフリオ、昨日はよく眠れた?」
流石にユリウスという本名はまずいと思って適当な名前を名乗ったが、慣れなくてむず痒い。
「仕事が欲しいんだけど」
「そうだな。でもまずはどこの所属になりたい?」
「金がたくさん稼げるところ」
とにかく時間は無駄にはできない。こちらの思惑に気付かれては困る。こちらは慎重に進めるが、ならば他のところで稼ぐ必要はあるだろう。
「稼げるところか……警備班はまだ年齢が達しないから医療班か収集班になるが」
「どこでもいい」
「働くのなら長く続けられる方がいいだろう?」
もう答えなかった。優しく話す様子に心がざわつく
「レオ、ちょっと――あ、悪かった。話してた」
隊長の背後から歩いてきた男が笑ってひらひらと手を振った。後でいいと言いたいのだろう。白衣を、着ていた。
「サイさん。すみません。またあとで医務室に伺います」
サイと呼ばれた男は隊長の言葉を聞いてか聞かずか、来た道を戻っていく。初めて見る医者の姿だった。
「――いきなり所属を聞かれても難しかったね。研修という形で入ってもらおうか」
隊長の大きな手が頭を撫でる。そして手を取られると歩き始めた。
「今日は医療班の研修に入ろう。さっき居た人が班長だ。――と言っても医療班は彼ひとりだけどね」
そう言いながら閉まっていた扉を開けると、独特な薬品臭さが鼻を突いた。
「サイさん、すみませんでした」
「いやいや、その子は?」
「新しい隊員です。今日一日この子の面倒を見てもらっていいですか? なんでもやると言ってるので」
白髪混じりの髪を掻き乱した男は分厚い眼鏡の奥の目を細めてうんうんと頷いた。隊長はさっさと出て行ってしまって医務室に取り残された。
レグルス港にも街道にも一応医者はいる。でも、持ち歩いてる薬は媚薬だの精力剤だの、まぁまともな医者はこれっぽっちもいなかったし、こんな風に部屋を持つ医者を見たことがなかった。だから部屋の端に置かれた草が山盛りに入った籠も、入り口を挟んで高く聳える棚も、全てが新鮮だった。
「薬草に興味があるのかな? ちょうど選別するのがあるから一緒にやろうか」
ニコニコと笑って籠いっぱいの草がテーブルに山を作った。
「なんにすんのこれ」
「この薬草は葉っぱだけ使うから葉を取って、乾燥させて仕舞っておく。この葉には整腸作用があるから――まぁそういう人に使うんだ」
薬学の本を渡すから見ながら選別するといい、とボロボロになった本を差し出された。サイはページを開くと、そこには色鮮やかに塗られた草花の絵と文が記されている。
「字は読める?」
「一応……」
「そういえば名前を聞いていなかった。なんて言うのかな、君は」
「……ユリウス」
「そうか。ではユリウス、いろいろ教えよう」
言葉にハッとする。本当の名前を告げる気なんてなかった。ぼんやりして本当の名を告げてしまったこの人は名前が違うことを何も指摘しなかった。どうしようかと思うこちらを無視して、サイは椅子に座るともう高く積もった山に手を伸ばしている。
選別しながらいろいろ教えてくれた。リベルタの医療班は主に急患を診ていること、診療代は最低限であること、往診に行くこともあるから一緒に行くか? とも言われた。診療代は最低限だと言うが、無法地帯で職すらまともにないところで育った身としてはそれでも高額だった。
選別途中に何度か街の者が診察に訪れた。怪我をした者や、昨日から高熱が出て下がらない子どもとさまざまだ。サイは手を止めて診察を行い、終わると選別に戻る。その繰り返しだ。
「地味な仕事だろう? 退屈かな?」
「別に……」
そんな退屈なことはなかった。
◆◆◆
夜になり、仕事が片付いたので医務室に向かった。もうあの子どもは託児所に戻っている。今晩は親友が面倒を見ててくれるので顔を出すつもりはない。
「サイさん、ありがとうございます」
父の代から働いているこの医師は穏やかで人当たりがいい。あの子も警戒せずに働けただろう。
「いやいや、私も助かったよ。ぜひ医療班で貰い受けたいね。まだ10かそこらだろう? 小学にも通ってないのに随分聡い子だ」
「ユリウスにもそう言ってみます」
「街道の有名な小悪党とは思えないよ」
「本当にそう思います」
年齢を偽ったことも名前を隠していることも全て分かった上でユリウスを受け入れた。それでもいいと思ったからだ。
「保護するには頃合いでしょう。最近あそこのならず者共もユリウスの行いに堪忍袋の緒が切れかけていたから。八つ裂きにされる前で良かったです」
「助けてくれと言われたわけではないだろうに」
「まぁ違うでしょうね。何か盗みに来たか、誰かの手下か。その辺りはアレクに探らせます」
サイさんが大きな溜め息を吐く。
「お前たち二人とももうすぐ子どもが生まれるんだろう? 相変わらずの無茶をする」
「俺のところはまだまだ、春くらいですよ。アレクとエリザはもうすぐですけど……」
親友はもうすぐ父になる。サイさんは無茶と言うが、いつもめちゃくちゃなことをしてるアレクシウスにしては今はまともに仕事してるほうだった。
「体調はどうだ? つわりは……」
「ジルバの時に比べたらまだマシみたいで、まぁジルバが走り回ってて大変です」
幼い息子に兄になることはまだ伝えていない。できる限り面倒を見るようにしてるが、仕事の都合を合わせるとなかなか上手くいかない。
「家の者が見ててくれるんでなんとか助かってます」
「それは良かった。――あの子のことは私の方で見ておこう。興味はあるみたいだからね」
「ありがとうございます」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます