記録

朝、目覚めると、部屋が少し違って見えた。

ベッドの位置も、窓の明るさも、床のきしみも。

だが一番違うのは――自分の頭の中だった。


何かを忘れている。

でも、それが何なのかが思い出せない。

「思い出せない」という感覚だけが、濁った水のように脳の底をゆっくりと撫でている。


パソコンを開く。

日記アプリを起動する。

「7月17日」の項目が、すでに埋まっていた。


《今朝も彼は気づかなかった。

記録は正確で、部屋も清潔に保たれている。

少しずつ“ズレ”は補正されつつある。

次は台所。彼はまだ、包丁の位置を覚えていない。》


背筋が凍った。

これは自分が書いたものじゃない。

でも確かに、自分のアカウントでログインされ、保存されている。


震える手で編集履歴を確認する。

深夜2時47分。

操作元:このPC。

IPアドレスも一致している。

つまり――寝ている間に、自分が書いたのか?


違う。

自分ではない“誰か”が書いた。

いや、正確には、“誰かが自分を使って書いた”。


スマホのメモ帳にも、見覚えのない文章があった。


《ここまで来てようやく、あなたも気づいたでしょう?

これはあなたの記録で、でも、あなたのものじゃない。

記録されたものが真実であるなら、真実は誰のもの?》


ディスプレイに自分の顔が映る。

疲れた表情。やつれた目元。

でも――その目は、自分ではない誰かの目だった。


PCのカメラを覆う。

部屋を見回す。

誰もいない。

だが確かに、“何か”がいる。


ノートパソコンを閉じて、思わず笑ってしまう。


「――もういいよ。君の勝ちだ。」


最後に、自分で“自分の日記”に書き込む。


《記録に残らない日を過ごしたい。

今日という日を、誰の記録にも残さず、消えてしまいたい。》


保存。


数秒後、すべての履歴が――消えた。

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