第8話


 日が高くなった。時計を見ると3時を過ぎている。少し休憩しよう。

 そう思ってから、キセのことを思い出した。

 そちらを見ると、机の上は図や計算が書かれた紙が散乱している。

 ずいぶんと苦戦しているようだ。

 それは、ちょっと嬉しい。どんな問題でも、簡単に解かれてしまったら、教えがいがないからだ。キセに教えてあげることがあるのは、嬉しい。

 でも。

 考えすぎてしまっていないかは、心配だった。


「──キセ」


 そう声をかけたが、返事はなかった。

 集中して、聞こえていないのだろう。

 私は静かにセキのところに歩いていった。

 後ろから覗きこむと、キセの手元の紙には図形と数字でいっぱいだった。

 問題で出した図形を、いくつか組み合わせて考えているようだ。

 筋は悪くない。この様子だと、あと 5 日も試行錯誤を続ければきっと解けるだろう。何千、何万回もの思考と試行が、正解を引き寄せる。

 あとは失敗に次ぐ失敗に負けないで、できないことに我慢を続けて、その瞬間をただひたすら手繰り寄せるだけだ。

 でも、今は。

 きっと休息が必要だ。


「キセ」


 そういいながらやさしく、頭に手をおいた。

 キセは猫のようにビクッと反応して、それからこちらを見た。


「目のつけどころは良いな」

「……でも、解ける気がしないです」


「行き詰まっているみたいだな。キセが必要だと思うならな、こんなときにどうすれば良いか、教えようか?」


 その言葉に、キセは少し考えた。

 教える、という言い方がよくなかったのかもしれない。

 全部自分で解きたい。でも、どうすればいいのか聞いてみたい。二つの気持ちがぶつかって、迷っているようだった。

 


「教える、ってのは問題のことじゃないよ。今みたいに行き詰まったときの気分転換の話だ」


 キセは真剣な表情で「お願いします」と答えた。

 私は「よし」と頷く。それから。


「外に行くぞ! 出掛ける準備だ」



◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆



「なんかうまくいかないな~って思った時に、大切なのは気晴らしだ。ずっと考え込むのも悪くはないが、何かを変えていった方が効率が良い。わかるか?」

「はい」

「一度、頭の中を掃除するんだ。掃除の仕方は、人それぞれだ。散歩に出る人もいれば、料理をする人もいる。私はこれだ」


 そう言って、目の前にある山盛りのパルフェにスプーンを入れ、口に運んだ。

 甘味が体に染み込んでいく。

 身体中が歓喜し、声にならない声が出てしまう。


「甘いものを食べると、体と精神が幸せになる。それで、また頑張れるようになるんだ」


 そう言って、スプーンいっぱいにパルフェをすくい、口にいれた。


" パルフェ、最っ高! "


 私たちは図書館テレリアを出て、喫茶店に来ていた。

 私は二人分のパルフェを山盛りで注文し、届いたパルフェに舌鼓したづつみを打っていた。

 ふとキセを見る。キセは目の前のパルフェを見ているだけで、手をつけようとはしなかった。


「甘いものは嫌いか?」

「いえ」それから恥ずかしそうに「大好きです」

「なぜ食べない?」

施設オルファリナの規則で。外では、人から貰ったものは食べてはいけないって」

「あー。なるほどな」


 それはきっと、悪いことに巻き込まれないようにするためだろう。

 人も歩けば、悪事に巻き込まれる。

 それが子供なら、なおさら。

 普段はそんなことを考えもしないが、現実として、人は売れるのだ。

 きっと、不要な問題に巻き込まれることを避けるための教育だろう。

 良い教育だ。

 

「おーけー。それは大切なことだな。じゃあ、私からも 1 つ教えてやる。これは数術では大切な考えだ」


 キセの顔を見ながら言った。


「あらゆることをやってみろ。問題の見た目に固執するんじゃない。一見して馬鹿げている、と思ったことでもやってみるんだ。三角形の面積だって、そうだろ」


 そう言いながら、匙で宙に、三角形を描く。


「三角形の面積は図形だけを見たって求められない。複製して、ひっくりかえして、くっつける。そうすることで平行四辺形になる。だから計算できるんだ。始めに考えたヤツはなかなかスゴイよな。それ自体は求まらないからって、複製して、ひっくり返して、くっつけたわけだ。そうそう思い付くことじゃない。でも、そういうことなんだろうな。

 目の前のものだけに固執しすぎるな。意味があるかわからないことでも、やってみることが大切なんだ。どんなことでもな」


 そういいながら、これは自戒でもあるなと、苦笑した。


「ということだ。私が何を言いたいか、分かったか?」


 キセは迷ったようにしていたが、それから匙を手に取った。

 その手は迷っていた。

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