【AI】AIイラストはズルいのか?

晋子(しんこ)@思想家・哲学者

創作とは…

「AIイラストはズルい」


そんな声を、最近よく聞くようになった。

何年もかけて練習し、ようやく描けるようになった線や塗り。それを、AIは一瞬でやってのける。


でも──

本当にズルいのだろうか?



AIが描いたイラストを見て、心が動いたとする。

感動した。泣いた。胸が熱くなった。

──それがAIによるものだったと知ったとたん、「やっぱりズルい」と感じてしまう人がいる。


でも、その感動は嘘だったのか?

その涙は、AIが描いたものなら無意味なのか?


私は思う。

感動できるなら、手描きでもAIでも、どっちでもいいじゃないか。



よく言われることがある。


「努力しないで得られるものに価値はない」

「作り手の血と汗と涙が詰まっているから、尊いのだ」


たしかに、その考え方にも一理ある。

苦労して完成した作品には、ドラマがある。物語がある。

そこに共感し、尊敬し、拍手を送ることはとても自然な感情だ。


でも──

それはあくまで「作品の価値」ではなく、「作者のドラマ」の価値ではないか?



たとえば、無名の画家が一晩で描いた絵があったとする。

それを見た人が「すごく感動した」と言った。

しかし後から、「これはAIが作った画像です」と明かされたとする。


そこで急に、「なんだAIかよ、じゃあ価値ないじゃん」となるのは、少し違うのではないか。


人はいつの間にか、「誰が、どんな努力で、どんな物語を経て作ったのか」を重視しすぎている。


それも悪いことではない。人間らしさだ。

でも同時に、「作品そのものが自分に何を与えてくれたか」を、もっと大切にしてもいいのではないか?



音楽にしろ、小説にしろ、映像にしろ、芸術にしろ。

受け取る側にとって、最も大事なのは「その作品が自分に何を残したか」だ。


作った人が天才か凡人か、AIか人間か。

そこは、実は本質じゃない。


もちろん、「この絵は手描きで100時間かけて描きました」と聞けば、感動は深まるかもしれない。

でもそれは、作品そのものではなく、「背景」に感動しているのだ。


それはそれでいい。

だけど、「背景のない感動」も、決して劣ってはいない。



むしろ、人は「背景があるもの」に安心する。

感動してしまった自分に対して、「これは人間が苦労して描いたから感動したのだ」と理由を求める。

なぜなら、AIが一瞬で生んだものに本気で感動してしまったら、「自分の感性まで負けた」ような気になるからだ。


だから、「ズルい」と感じる。

でも、それは感性の負けではない。

むしろ、自分の感性が本物だった証拠だ。



人はどうしても、作品よりも作り手を見たがる。

そして、作り手に「物語」を求める。


どんなに素晴らしい作品でも、無名で、努力の裏話もないと、評価されにくい。

逆に、努力の物語があれば、作品そのものが少し未熟でも感動されやすい。


だけど、私は思う。

作品が主役であっていい。

たとえそこに涙の物語がなくても、見る人が涙したなら、それで十分じゃないか。



AIイラストはズルくない。

ただ、「人間が独占していた領域に、無感情な機械が入ってきたこと」への戸惑いがあるだけだ。


そして、「努力した人が報われない社会なんておかしい」という声もわかる。

でも、報われるべきは「努力」ではなく、「感動を生み出したかどうか」だ。


感動を与えた作品は、それだけで尊い。


手描きでも、AIでも。

生身の人間でも、コードの塊でも。

あなたの心を動かした作品に、敬意を払っていい。


それが、「創作物」と向き合うということではないだろうか。



以上

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