第44話 “寝取り魔”が最後に見た光景は、恋人を奪われ続ける地獄だった【決着・後編】


【※本話には一部、精神的支配・暴言を含む描写があります。

 苦手な方はご注意ください。】



   ◆ ◆ ◆



「詩乃はもうお前のものじゃない。

 彼女は俺の恋人だ」


 俺が、そう宣言すると神崎が目を見開いた。

 その顔は、信じたくない現実に直面した奴の表情だった。


会議室の空気がざわついた。

教師たちの中には、言葉を発しかけた者もいた。


だが、雪村先生が片手を上げて制した。


「最後まで彼の言葉を聞きましょう」


 その目は強く、そして優しかった。


 雪村先生の言葉にその場は再び静まり返った。


「お前なんかに任せておけないからな。

 だから、詩乃は俺の恋人になった。

 彼女は俺と生きていく」


「……う、うそだ……。

 うそだろ、詩乃……?」


 自分が“上”だと信じて疑わなかった男は――


 “一応“は本気で愛していた女が――


 もう“自分のものじゃない”と突きつけられて、驚愕していた。


 神崎の中のプライドが、音を立てて崩れていくのが見えた。


 神崎は詩乃を見る。

 縋るような、みっともない目で。


 でも――


「事実です。

 私は、あなたの“女”じゃない。

 今は直哉くんの“恋人”です」


 詩乃の声は静かだったが、その瞳は氷のように冷たかった。


 詩乃の冷たい声が響いた瞬間、神崎の顔はどんどん青ざめた。

 他人の恋を奪って優越感に浸ってきた男がする表情じゃなかった。


「あなたが握っていたのは、私の心じゃなく、ただの鎖でした」


 神崎の目が揺れる。

 その揺れを断ち切るように、詩乃は俺の手をはっきりと握り、神崎に見えるよう机の上に手を置いた。


 迷いも怯えもない行動は、過去からの決別そのものだった。

 そして――


「私は、この人と生きていきます」


 あの時震えていた手が、今は確かな力で握り返してくる。


 その瞬間、神崎の顔から血の気が引いたのがわかった。


「な……なんでだよ……! 俺の女が、なんでお前なんかに……!」


 詩乃は静かに、その言葉を切り捨てた。


「“俺の女”――よくそう言ってましたね。でも、私はあなたの持ち物じゃない」


 神崎の喉がひゅっと鳴る。

 その顔には、怒りとも怯えともつかない感情が渦巻いていた。


「何人もの人から奪ってきたあなたは、今、奪われる苦しみを味わっています。

 あなたが奪い、苦しめた中には、私の心も含まれていました」


「や、やめろ……」


 詩乃の冷たい瞳が、神崎を射抜いている。

 今まで決して口にしなかった怒りが、氷の刃になって彼へ突きつけられていた。


「今、あなたが感じているのは、私がずっと味わってきた恐怖と屈辱です。

 それを与えてきたあなたが、自分の番になっただけです」


 神崎の表情が、はっきりと崩れた。

 プライドの塊みたいな男が、信じられないものを見た子どものような目で詩乃を見ている。


 あれほど自信満々に“奪う”ことしか知らなかった人間が――今、はじめて“奪われる”側の地獄に叩き落とされた。


 しかも、奪った相手は、自分が見下してきた“負け犬”の俺。


 心のどこかで“どうせ最後は俺に戻ってくる“と信じて疑わなかった本命彼女が、

 その負け犬に対して、はっきりと『彼が恋人です』と告げた。


 神崎の呼吸が荒くなっていく。

 自分の中の“所有者としての優越感”が、音を立てて崩れていくのが、外から見ても分かった。

 長年積み上げた支配の城が、一瞬で瓦礫と化した。



 ……皮肉なもんだ。

 “寝取り魔”の最期が、本命彼女を“寝取られて終わる”なんてな。


 もちろん、俺は詩乃を寝取ったわけじゃない。

 ただ、彼女を救う為に動いた。

 そうしたら、詩乃が自分の足で俺の隣に来てくれた。ただ、それだけだ。


 しかし、それを理解する事すら、こいつには出来ないだろう。


「う、裏切りやがって、この女ぁぁぁ!!」


 神崎の叫びは、ただ、自分の支配が崩れていくことへの恐怖と怒りが滲んでいる。


 だが、みっともなく縋ろうとする姿に、ほんの少しも同情なんて湧かない。


「違います。私はあなたに“奪われた”。けれど、もう、直哉くんに“救われた”んです」


 詩乃の声は澄んでいた。

 その言葉を聞いた瞬間、神崎の顔がひきつる。

 神崎の今まで積み上げてきたもの全てが、音を立てて崩れ落ちていくのがはっきり見えた。


「神崎、お前、どの面下げて言ってんだよ。

 何人もの女を奪いまくってきたお前が、今さら被害者ヅラか?

 お前が壊してきた心の数、覚えてるのか?」


 神崎は頭を掻きむしりながら、血走った目で俺を指さし叫んだ。


「笑わせんなよ篠宮あぁぁぁ!!。

 結局お前も、俺の彼女を奪った寝取り魔じゃねえかぁ!!」


 神崎は机を叩こうとするも手が空振りして、ただの子どもの駄々にしか見えなかった


「違ぇよ。

 お前は、欲望のままに奪った。

 俺は、彼女を救おうと手を取って、彼女もその手を取り返してくれたんだ」


 俺にとってこれは復讐じゃない。

 神崎を地に落とすためでもない。


 ただ、一人の少女を、絶対に救いたかっただけだ。


「まぁ百歩譲って、俺の行いを寝取りだって言いたいなら、

 お前の全うな人生の幕切れは、惨めに恋人を寝取られて終わるだけだったな。誰も同情なんてしないがな」


 俺の皮肉に、神崎はわなわな震えていた。

 “本命の彼女を奪われる”――その現実を受け入れるのを拒んでいるかのようだった。


「お前はいつだって、自分のためにしか動かなかった。

 だから、わからないんだろ。

 誰かのために、救おうとすることも、その手を握るために、どれだけの覚悟がいるかも」


 俺の言葉を聞いても、神崎は呆けていた。

 奪ってきた女を泣かせた声が、逆に自分を嘲笑する声に変わって耳にこびりついているのだろう。

 “寝取られた”という一点が、未来永劫こいつを縛り続ける鉄格子になった。


 だが、しばらくすると神崎は両手を駄々っ子のように無造作に振り上げ、鼻息を荒くしながら口から罵詈雑言が飛び出した。


「死ね! 死ねよクズ!! お前も詩乃も、善人気取りのクソったれだ!! キスもさせねぇ女に俺がどれだけ我慢したかも知らねぇで!! 女ってのは男の所有物だろ!? 俺が選んだ女がなんで俺から逃げるんだよ!? クソッ! クソッ! クソがあぁぁぁぁ!!」


 場の空気が凍った。

 雪村先生が制止の言葉を叩きつけた。


「それ以上の暴言はやめなさい! すべて記録しています!」


 神崎の目が、狂気に染まっていた。

 仮面は完全に剥がれ落ち、その下にいたのは、歪んだ欲と支配欲にまみれた素顔だった。


 神崎はなおも目の前の俺へ掴みかかろうと、机の上に身を乗り出した。

 その瞬間、教師達が両脇を押さえ、椅子に押し戻した。


 神崎は、椅子に押さえつけられたまま、呆然としていた。


 きっちり整えていた制服は乱れ、ネクタイも中途半端に緩んでいる。

 頬は青ざめ、目は焦点を失い、何かに取り憑かれたように口を動かしていた。


「……詩乃は……俺の女だろ……俺の……まだ、俺の……」


 その声は、自分に言い聞かせるようでもあり、誰かにすがるようでもあった。


 もう、会議室の誰一人として、神崎を哀れむ目は向けていなかった。


「……だから……俺の元へ……戻って……くる……」


 だが、次の瞬間、詩乃がはっきりとその幻想を断ち切った。


「もう二度と戻りません。あなたのところへは」


 わずかに神崎の瞳が見開かれ、そこに宿った小さな光が、すぐに砕け散る。

 残ったのは、色を失った瞳と、ひび割れた呼吸だけだった。


 そして、ようやく沈黙。


 その後、教師達は“処分の詳細は後日決定する”と事務的に話を進めていった。


 神崎はただ呆然と俺たちの繋いだ手を見つめていた。


 俺は繋いだ手の上に、もう片方の手をそっと重ねる。

 その瞬間、詩乃がこちらを見上げ、ふわりと微笑んだ。


 いつもの柔らかで嬉しそうな心の底からの笑顔。

 詩乃の笑顔は見てるこっちまで優しい気持ちになれる。


 神崎の唇がわずかに震える。


「……俺には……一度も……そんな顔……見せてくれなかった……」


 誰にも届かないほど小さな声。詩乃には聞こえず、彼女は笑顔のままだった。


 それは神崎にとって、死よりも重い呪縛だった。

 心臓を撃ち抜かれるよりも、毒を飲まされるよりも、残酷な刑罰。


 どれだけ生き延びても、この光景だけは永遠に消えない。

 “お前は本命の彼女を奪われた”、“1年以上も付き合って詩乃の本当の笑顔は、お前には1度も向けられなかった”という事実が、こいつの生涯を焼き尽くしていく。


 神崎はこの瞬間から、もう生きてはいない。

 ただ“寝取られた男”として、死ぬまで地獄を彷徨うだけだ。


 詩乃は笑顔のまま俺と繋いだ手を、ためらいなく握り直すと、頬を染めた。

 その当たり前の仕草ひとつが、神崎にとっては死刑宣告よりも残酷だった。


 神崎の頬を涙が伝った。それは“寝取り魔”が生涯にわたって背負う、最後の恥辱だった。




 話が終わり、俺たちは、先にふたりで立ち上がる。

 静かに、会議室をあとにした。


 廊下の先。まっすぐな道。

 その途中、詩乃がぽつりと呟いた。


「……ずっと演じてたのに。ただ本気の人に、負けるんですね」


 俺は、何も言わなかった。

 ただ、その手を、強く、確かに握りしめた。


「これからは、もう演じなくていいんですね?」


「ああ。もちろんだ」


 そう返すと、詩乃は少しだけ微笑んでくれた。


「ねぇ、直哉くん」


 足を止めた詩乃が、俺の方を向く。

 その瞳には、もう怯えも迷いもなかった。


「さっき、言ってくれたよね。

 “救おうとした”って」


「ああ。嘘じゃない。

 本気で、そう思ってた」


 詩乃はまた小さく微笑むと、俺の手を両手で包み込んだ。

 そして、ほんの少し恥ずかしそうに――でも、はっきりと言った。


「ありがとう。でも、これからの私は、自分の足で歩いていきます。

 誰かに、守られたりする人間としてじゃなくて。

 それで、その隣に直哉くんがいてくれたら……すごく嬉しいです」


 少し照れたように笑った詩乃が、俺の手をぎゅっと握り直す。


「……手、このまま繋いでていいですか?」


 その声は、小さいけれど真っすぐで、胸に響いた。


「ああ。てか、もう離さないしな」


 俺がそう返すと、詩乃の頬が少し赤くなった。

 ――でも、その顔には、ちゃんと笑顔があった。


 もう、誰にも彼女から笑顔を奪わせないと誓った。






────────────────


※ここまでお読みいただきありがとうございます。


完全決着がつき、残すところ、あと二話となりました。

次回はそれぞれの登場人物の後日談です。


最後までお付き合いくださると嬉しいです。


神崎との決着に少しでも感じるところがあれば、☆評価、感想をいただけるととても励みになります。


☆評価は目次から付けられます↓

https://kakuyomu.jp/works/16818792436851590076

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る