第50話 絶対的クライマックス、病院の一室
白い病室に、薄い月明かりが差し込んでいた。
時刻は深夜2時を過ぎている。病院の廊下は静寂に包まれ、時々看護師の足音が遠くに響くだけだった。夜勤の看護師が巡回しているのだろう。
創太は包帯に巻かれた体でベッドに横たわっている。舞美に刺された傷は思ったより浅く、命に別状はないとのことだった。しかし、出血と痛みで体力を消耗しており、麻酔が効いているのか、意識は朦朧としていた。
その枕元に、詩織が椅子に腰掛けて座っている。いつものように上品な微笑みを浮かべているが、その目には異様な輝きが宿っていた。まるで獲物を前にした捕食者のような、危険な光だった。
薄暗い病室の中で、詩織だけが異様な存在感を放っている。白いワンピースは月明かりに照らされて幻想的に見えるが、その美しさには何か邪悪なものが混じっていた。
「創太君、気分はいかが?」
詩織の声は優しいが、どこか冷たい響きがある。まるで壊れた人形が話しているかのような、不自然さがあった。
「詩織……なんで君がここに?」
創太は苦痛に顔を歪めながら尋ねた。視界がぼやけて、詩織の顔がはっきり見えない。麻酔の影響で思考もまとまらない。
「私はあなたの恋人よ。当然でしょう?」
詩織は立ち上がり、創太のベッドに近づいた。白いワンピースの裾が床を擦る音が、静寂な病室に不気味に響く。
「美術館でのキス、覚えている? あの時、私たちは恋人になったのよ」
詩織の指が創太の点滴の管に触れる。その仕草は愛撫のようでありながら、どこか恐ろしい。まるで創太の命綱を握っているかのような、支配的な感触があった。
「でも、あれは……」
創太が何か言いかけると、詩織の指が彼の唇に当てられた。
「理由はどうあれ、創太君は納得して私とキスをした。それに攻略するヒロインはもう私しか残っていないわ。小鞠ちゃんも舞美ちゃんも、もう邪魔はできない。この後は私たちだけの世界よ」
詩織の笑顔が一層深くなる。その表情には、勝利の確信が満ちていた。
詩織は創太の額にそっとキスを落とし、にこやかに微笑んだ。しかし、その笑顔は氷のように冷たかった。
「私、このゲームに勝利した後のエピローグが何より好きなの」
エピローグ……。ハッピーエンドになった後の二人の姿を紹介するおまけ映像のようなものだ。
しかし、創太は知っていた。『トキメキめめんともり♡』はこのエピローグでいずれのヒロインと一緒になっても死が待っている。詩織の場合、それは主人公を永遠に自分のものとするため、生首をホルマリン漬けにするというものだった。
「もう、創太の分のガラス容器は用意してあるの。早く、私のコレクションに加わって」
待ちきれないというように、詩織の指が創太の頬に触れる。その指先は冷たく、まるで死人の手のようだった。
その指が優しく創太の頬を撫でる。額から頬へ、そして唇に触れ、そのまま顎をすくい上げて自身の顔を近づけた。
創太は呆然とし、ただされるがままだった。麻酔の影響で抵抗する力もない。体が鉛のように重く、思うように動かない。
「エンディングを終えるとあなたの魂は女生徒の一人としてこの世界に再構成されてしまう。でも、そうしたら私を愛してくれたあなたという存在の証拠がなくなってしまうでしょう?」
詩織の声は甘く囁くようだったが、その内容は恐ろしかった。
「だから私を愛してくれたあなたたちを永遠の存在になるようガラス瓶に入れて保管しているの。これで、あなたも永遠に私のものになる」
詩織の瞳に狂気的な愛情が宿る。それは正常な愛情ではなく、歪んだ独占欲だった。
「安心して。痛くはないわ。一瞬で終わる。そして永遠に、私だけを見つめ続けてくれるの」
詩織の唇が創太に触れようとした、まさにそのとき──。
バン!
「詩織、よくも私たちをハメてくれたわね!」
怒声とともに病室の扉が勢いよく開かれ、舞美と小鞠が飛び込んできた。
警察に捕まったはずの彼女たちが、なぜここに? 詩織は今の事態について把握できていなかった。完璧だと思っていた計画に綻びが生じている。
髪は乱れ、服も汚れている。二人とも、ファンたちに救出されて必死にここまで駆けつけてきたのだろう。その顔には怒りと疲労が混じっていた。
「なんであなたたちがここにいるの? 捕まったんじゃなかったの?」
詩織が困惑した表情を見せる。計算外の事態に、初めて動揺を見せた。いつもの完璧な微笑みが崩れている。
「あなたの罠だったのね! 全部わかったわ!」
舞美の声は涙と怒りに震えていた。
「詩織があの女の場所を教えたのは、私たちを陥れるためだったのね!」
舞美の瞳には裏切られた怒りが燃えていた。
「私たちを排除しようというなら、いいわ。私があなたを殺して創太とエンディングを迎えるわ」
小鞠はどこからか持ってきた金属バットを構える。その顔には今まで見たことがないほどの怒りが満ちている。普段の明るさは完全に消え失せ、代わりに復讐心が燃えていた。
小鞠が金属バットを振り下ろす。その一撃は詩織の頭部を狙っていた。
しかし、詩織は優雅な動作でそれをよける。まるでダンスを踊っているかのような、流れるような動きだった。
勢い余った金属バットが病院のガラス窓を粉々に砕く。
ガシャーン!
ガラスの破片が病室に散乱し、月明かりが室内に流れ込む。
繰り返し振り下ろされる金属バットを軽々とよけ続ける詩織。
「残念ね、小鞠ちゃん。あなたの攻撃は私に届かないわ」
詩織はあざ笑うように小鞠を挑発する。その余裕の表情が、小鞠の怒りをさらに煽った。
一方、舞美は病室まで乗り込んできたものの、そこから動けずにいた。
詩織に対する怒りは小鞠にも負けないほど渦巻いているが、先ほど創太のことを刺してしまった罪悪感が胸に重くのしかかり、今度は誰かを傷つけることを躊躇させていた。
血の付いた包丁を手にしていた自分の手が震える。あの時の創太の苦痛の表情が脳裏に焼き付いて離れない。
小鞠と詩織が暴れるせいで、創太の寝かされていたベッドが大きく揺れる。
点滴スタンドが倒れ、医療機器が床に落ちる音が響く。
そして、ついにベッドが勢いよく倒された。
ガシャン!
「ぐっ……!」
ベッドごと床に崩れ落ち、点滴の管が引きちぎれる。創太は這うようにしてその場を離れた。傷口から血がにじんで、包帯が赤く染まっていく。
詩織と小鞠のバトルは激しさを増す。初めは余裕の表情だった詩織も、しつこく襲い来る小鞠に押され、髪を振り乱して防戦一方となる。
二人の戦いは病室の備品を次々と破壊していく。椅子が投げ飛ばされ、医療機器が倒れ、壁には金属バットの跡が刻まれていく。
床に転がった創太に駆け寄り、舞美が手を伸ばす。詩織と小鞠は激しい戦いに夢中で、二人はお互いから目を離すことができず、舞美の行動に気づいてはいない。
今のうちに私が創太を連れ出してしまおう。
二人を出し抜いて逃げてしまおうと、床に倒れた創太を抱き起こした舞美──
その時、舞美の頭を何者かが鉄パイプで殴りつけた。
ゴツン。
鈍い音が響く。
「痛っ!」
頭を押さえ振り返る舞美を、もう一度容赦なく殴りつける。
額から血を流して舞美は床に倒れた。意識を失ったようで、ピクリとも動かない。
手に持ったパイプを床に捨て、舞美に代わって創太を抱きかかえる。
それはみのりだった。
普段のおとなしい表情は影を潜め、その瞳には強い意志の光が宿っている。
「さ、佐伯さん……?」
創太は混乱する頭で状況を把握しようとする。まさか、みのりがここに現れるとは思っていなかった。
「しっ、詩織さんたちに気づかれないうちに逃げます」
みのりの声は小さいが、確固たる決意に満ちていた。
みのりは創太に肩を貸し立ち上がる。その表情には、今まで見たことがないほど強い意志が宿っている。もはや、おとなしく引っ込み思案だった彼女の面影はない。
「今のうちに、早く……!」
みのりの声は震えているが、決意に満ちていた。
詩織と小鞠の激しい戦いは続いている。金属バットが宙を舞い、詩織の怒声が病室に響く。
「いい加減にしなさい、小鞠!」
「うるさい! 創太は私のものよ!」
二人の注意が完全にお互いに向いている今が、脱出の絶好のチャンス。
みのりは創太を支えながら、慎重に病室の出口に向かった。
ガラスの破片を踏まないよう、倒れた医療機器を避けながら、二人は病室を後にする。
廊下に出ると、夜の病院の静寂が二人を迎えた。
しかし、これは始まりに過ぎなかった。
本当の戦いは、これからだった。
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あとがき
次回で最終話となります。最後まで応援よろしくお願いします。
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最終話はこの後すぐに更新予定です。
* * *
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