第4章 「白に走る」

私はあの場所が好きだった。


白い部屋の病院の待合室。

完全な白ってわけじゃないけど...そこは時間が止まってる場所だった。


別に私は病弱じゃないけど、どうしても学校に行きたくない時はよく仮病を使って学校を休んでいた。


私の親はちゃんと病院に連れて行ってくれては心配もしてくれた。

時には、病院の先生にこうも言われた。


「ロゼアちゃん...どこも悪くないですよ」


その言葉に私はドキりとしてしまっては黙ったままでいた。

でも、母親はその時に叱ることもなく、そのまま病院を後にした。




「ロゼアはさ...学校は好き...?」




帰り道。車の中で母親はそう聞いてきた。

私は後ろでコンビニで買ったグミを少しずつ食べていた。


「そんなに...」


「そっかー...お友達はいるって前には言ったよね?」


「うん、みんな優しいの。別に私を悪くいう子はいないの」


「...でも学校は行きたくないんだ。まあ、お母さんだって学校は嫌だったけど...うーん、そうだなー」


「...?」


「ロゼアはね...きっとすごく純粋なの。結構周りの環境に影響受けちゃうというか...だって今でも水族館怖いってあまり行きたがらないよね?」


「だって...怖いから。真っ暗だし」


「えー、あれが落ち着くんじゃん。って、ロゼアは暗いとか苦手なんだよね。うん、みんながみんな一緒じゃないから大丈夫よ。逆に明るい水族館もあってもいいのにね」


「それだとお魚が綺麗に見えないんじゃない?」


「はは、そうだよねー。でもでも、それも結構よくない?」


「そ、そうかも...」



しばらくの沈黙がありながらも、私は車窓から外の街中を眺める。


そして、私は白の鞄からそっと一冊の本を取り出した。


それは...私がこっそり書いてる小説だった。

他の単行本に紙を忍ばせては、いつでも小説の続きが書けるようにしていた。


「んー? え、ロゼアって本好きなんだ!なになに、どんな本読んでるの?」


「えっと...学校の図書館で人気だった本...かな」


ちょっと嘘をついてしまう。

でも、私はそのまま自分の世界を見つめる。




真っ白なページ。

だけど、私にはその先には文字が浮かんできて...。頭の中には無数の言葉が浮かんでいた。




まだ見たことない景色。

ここではない景色。




私はずっとそれにひたすら思いを馳せていた。

だから...少しだけ...ほんの少しだけこの現実というものに、退屈していたのかもしれない。


「ロゼアはもっと自分を出していいと思うの。ほら、お姉ちゃんは好きなことなんて我慢してないでしょ?」


「うん...だけど、もうちょっとピアノが上手くなっていいと思うの。いつからやってたんだっけ?」


「はは、もう厳しいねー。カローナは10年はやってるわよ。確かに...今の歳の子とは...そうね。お世辞にも上手とは言えない。だけど、カローナはね...」


その時の、ルームミラーに映る母親の顔はすっごく優しい顔だった。





「ただ、自分の音を出すのが好きだって言ってたの」





それを聞いた時に、私は同じだと思ったの。

お姉ちゃんも白を求めているんだって。


誰にも染められてない白い余白を探してるんだって。







玄関の前に立つと妙な緊張感があった。

自分の家なのに...やはり学校を休んだ日はどこか違和感があった。



「ロゼアちゃん! 今日も学校ズル休みしたのー?」



玄関の扉を開くと、その日は高校が半日だったお姉ちゃんの声がリビングから聞こえてきた。う...私が帰ってきたってよくわかるな...。


「もう、ロゼアちゃんのことは何でもわかるんだからねー」


そうやってニコニコしながら、玄関に迎えにきたカローナ姉さんはすごく優しい顔をしていた。


「いいじゃん...別に。明日は行くからさ」


「もー、自分だったらロゼアちゃんがいるだけで学校なんて行くだけ得だと思うけどな。うんうん」


「シスコン...」


「む...今なんて言った?」


「いい...ほら、お昼買ってきたから」


その後に、後ろから母親が手提げ袋を持って入ってくる。


「今日はスーパーでお弁当買ってきちゃった。えっと...カツ丼で良かったよねカローナ?」


「そうそう!それに...忘れてないでしょ?」


「もちろん。ほら、ドーナツのチョコファッションでしょ? もう、これしか食べないわよね?」


「それ一番美味しいんだから!」


すごく嬉しそうな顔。

本当にいつも楽しそうな人。






その後、カローナ姉さんは私より早くお昼を食べ終わっては、すぐさまチョコファッションを紅茶と共に一緒に食べ始めた。


なかなかに食べる姉だと私も思ってしまう...。


それから、ぱくぱくとドーナツを食べながらカローナ姉さんは聞いてくる。


「ねえ、ロゼアちゃんって白いの好きだよね?」


私が、白いタルタルソースのかかったチキン南蛮を食べてるとそう聞いてきた。


「え...まあ、好きだけど」


「だって今日も白いワンピースじゃん。へへ、すっごく可愛いのに...学校に行かないと勿体ないよ?」


「別に...他の人に見せるためじゃ...」


「えー、少なからず可愛くはしようと思ってるでしょ?」


「いちいち、どう見られてるのかとか考えたくない。別に好きに着てるだけだし...」


「もう小学6年生の発言には思えないわね...」


母親が苦笑いして言いながら、昨日作っていた味噌汁を飲んでいた。


「そう言えばさ、ロゼアちゃんに聴いて欲しいピアノの曲があってね...。食べ終わったら弾いて聴かせてあげる!」


急なお願いに少し戸惑うが私は頷いてしまう。


「う、うん...」


「ふふ、やったー!」





階段を上がっていく。

そして、奥の部屋のドアを開けた先は、いつものお姉ちゃんの部屋だった。


「やっぱり綺麗好きだよね、カローナ姉さん」


「そりゃーねー。いつでも好きな人を呼べるようにね?」


「...お、男の子ってこと...?」


すると、ちょっと頬が赤くなったお姉ちゃんが少しむくれながら言葉を続ける。


「ロ、ロゼアちゃんのたーめ!もう...まあ、座って座って」


う...本当に私のことが好きすぎるんじゃないかと心配になる。


改めて辺りを見渡す。

カローナ姉さんの部屋はすっごく整頓されていた。あ...お父さんから貰ったレコードプレイヤーそのままなんだ。結構ホコリ被ってる...。


それに、私と同じで結構本は読んでいたけど...本棚の全部が漫画である。


「それでは、準備をするのでちょーっと待っててね」


カローナ姉さんの隅っこにある中古で買った白の電子ピアノが、お昼の日差しを浴びている。


カローナ姉さんはそっと椅子に座っては、鍵盤に指を置いて軽く音鳴らした。

それに...あれは楽譜じゃなくて...なんかのメモ?

一体何を弾くのだろうか。


「なんの曲なの?最近流行ってる曲とか?私、あんまり詳しくないんだけど...」


「全然違います。これはね...自分の大切な...曲。全部自分で作った音なの」


「...オリジナルってこと...?」


「ぴんぽーん!」


カローナ姉さんはすごく嬉しそうに反応する。


「これはねぇ...まだ誰にも聴かせてないの」


「ふーん...それじゃあどう転ぶかわからないね?」


「む...もしかしてロゼアちゃん、大したことないなって思ってるでしょ?」


「まあ...だってまだ楽譜もまともに読めないんでしょ」


「それは...うーん...そうだけどぉ...」


すごく苦い顔してるお姉ちゃんに、ちょっとだけ可愛いと思ってしまう。


「と、とりあえず聴いてみて!」


そして、お姉ちゃんがそっと鍵盤を押した途端にぶわっと...そう本当にぶわっとという表現が正しかったと思う。




なぜか鳥肌が立ってしまった。

まるで透明な水にぽたりと綺麗な水色が落ちた音だった。




その静かな音色には、少し寂しさ...いや、すごく寂しい孤独を感じてしまった。

あんなに明るいカローナ姉さんから出てきた音だとは到底思えなかった。


優しい音。

すごく優しい音。消えちゃいそうな音。




「あ、間違えた」




そんなことをいいながらも、彼女は楽しそうに音を奏でる。

彼女は変わらずに笑顔を残したままだったけど、どこか真剣だった。



すると、一気に曲調が変わりテンポも上がった。

さっきまで優しく流れていた指が少し荒々しくなる。



その時に、音の響きが少し不安定にもなりテンポも崩れた。少しめちゃくちゃなところもある...。




きっとお姉ちゃんは...決して上手くない。

でも、感情で弾いていた。それだけは感じる。




そして...どうしてか目尻が熱くなってしまった。

こんなに...自分だけの音だけなのに。



決して私が好きな音だけではないのに。

どれも心地よさに変わってしまう。



するとぽつりとお姉ちゃんは歌い始めた。

え...これ歌アリなの?




「自分は誰なの...自分はどこからきたの」




あまりにもストレートすぎる歌詞。

だけどその掠れた声は本心だった。



「本当が隠されたこの世界じゃ、息苦しくて死んでしまうの」


「だから、自分は白に走る。白に走る」



お姉ちゃんも...悩んでるの?

ねえ...あんなに楽しそうにしてるのに...。



「この白い部屋には、私だけが漂ってる」


「でもそれを、色の世界にはもってゆけない」


「ゆけないから」



すると音はさらに高くなり、サビらしきものに入った。



「自分はわたしと旅に出るの。今までのわたしと出会って」


「時にはわたしを殺してでも進まないとゆけない」


すると途中なのか、すっとピアノを止めては耳を赤くしながら振り向いてお姉ちゃんは聞いてきた。


「お、おかしいかな...この曲」


私はすぐにでも言葉が出てしまった。





「ううん、すっごく好き。私は」





するとまた、にへーっと顔がいつも通りになると優しい声で言ってきた。




「もうロゼアちゃん、大好き!」



本当に可愛く笑うお姉ちゃんだった。

けど...その笑顔は...もう小学校以来...見てないよね。






あれから中学生になって私は変わってしまったんだ。







『気持ち悪い』







「え...?ロゼアちゃ...」


「もうさ...そんな歌聞かせないで。暗すぎてイラつく」


「だって、いつも通り...弾いて...」


「もう嫌になったの」


「ど、どうして」


「今の私には耐えられない。もう、やめてよ...優しくしないで...もう中学生だよ私?あのさ、いちいちさベタベタしないでって言ってるの」


「ど、どうして...だってさ...別にめいわ」


「迷惑だよ」


「え...」


「だってさ...今だって...ほぼ不登校気味なんだよ?それなのに...優しくしないで。私はダメな人なの。ずっと逃げてばっかの...」


「違うよ。それは違う」


お姉ちゃんはだんだん涙声になっていく。


「いや、事実だから。もういいの」


「違う。ロゼアちゃんは逃げるんじゃない。ずっとさ...探してるんだよね?自分がどんな...どんな形でいればいいんだろうって」


「変なこと言わないで!私は...お姉ちゃんが羨ましい。私より何でもできるお姉ちゃんが...自分を表現できてることが....ねえ、それなのに...」


「...自分だって!そんな完璧じゃない!なのに...そんな羨ましいなんて言わないで...」


「羨ましい。だって、ピアノのこと誰も否定されてないでしょ?...私ね、すっごく馬鹿にされたんだ。中学で小説を書いてるのが悪かったのかなって。というかあれを書いてるなんて言わないよね...もうさ...最悪なの」


「...え、小説...?」


「...だってお姉ちゃんだって...わからないって言ってたじゃない」


「あれは...だって、辛くて見てられなかったの...。すごく真っ白だったから」



お姉ちゃんはすごく悲しい目をしながら続けた。



「こんなにも孤独を感じてることに耐えられなかったから...」


「頭おかしいって思ったよね...だってさ...」


「違う...ただ...なんて言えばいいか...」


もう私は壊れていたかもしれない。

ずっと隠れて書いていた...。

いいえ、違うの。





ずっと白を眺めていただけだった。

そして、お姉ちゃんは辛そうに言葉を放った。






「だって、1文字も書いてない白紙の小説だったんだもの」







白い。



白い。




どこまで白いこの砂浜を走ってると、しまっておいた記憶が流れ着いてしまう。



ああ、息が重い。

ずっと走ってたし当たり前か。


うちったら...前のことを突然思い出してどうしちゃったんだろ。

砂浜をだいぶ走った上に、足も少しもつれてくる。



荒い息に少し乱れた足取り。

もうのとっくに遠くに見えていた灯台はすぐそこに見えた。



「あーもう、スピアは走るの苦手なんですけどー!」


「自分も苦手だよースピちゃん!」



そんな中でも...さっきから気になる。

さすがにさ...気になるよね!?


カロ姉の胸をじとーっとうちは見てしまう。

たゆん...と柔らかく揺れる大きなものに少し戸惑いが混じる。



む...あまりにも刺激的だ...。



って、ダメダメ!

今はそれどころではない。



もうカロ姉の存在が大きくなってる。

さっきの記憶もそう...。



カロ姉に絶対に言っちゃいけない言葉をずっと後悔してる。

もうあれから時間も空いてることなのに。



その過去がロゼっちを否定してる。

その否定が輪郭を消してしまう。




現実のロゼっちを繋げていたのは、ずっとこの白い世界にいた無垢なロゼっち。




だから...うちは現実へ出て行きたくなかった。

現実のうちは...すっごく脆いから。



うちがロゼっちを演じても...そんなの嘘になっちゃうでしょ。

ロゼっちはさ...無理に明るく振る舞わないもんね。





それに...さっきから霧も全然晴れてくれない。

どんどん現実が侵食し始めている。






「ごめんさい...ごめんさい...お姉ちゃん...ごめんなさい」





「もう...私は...いない方がいい。優しさを受け入れられない私は...」





「消えた方がいいんだ」





「ああ...そうか」







『私、ロゼアなんか捨てればいいんだ』








そうだったね。

捨てた私がうちなんだよね。


うちがいれば...現実に無理にでも馴染めた。

だけど...それはこの世界を否定することにだってなる。





だからさ。

こんな綺麗な世界を作ってくれたロゼアを守りたいんだ。






自分を忘れないで。

大好きな白を好きなままでいて。





スピアなんか捨てさせてよ。





その走り抜ける白い砂浜の上には、うちらだけの足跡が残されていた。



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