WHITE ROOM
沁十レンナ
第1章「白い世界」
私が私である理由。
空白が空白である理由。
どこまでも続く、この真っ白な世界で私は何を望むのだろうか。
ここは白い海だと言うけれど、本物の海を見たことがない。
だからここが海である事実も理由もない。
それと同じ。
私が私だと言われても、その事実や理由なんてあるだろうか。
だって、私のことは私だって認識することは不可能なのだから。
「紅茶飲まないんですの?」
ミレッチェ姉様が、私の顔を覗いてはそう聞いてくる。
八姉妹の次女である彼女は、些か意味のない礼儀というものを覚えては、私たちに披露してきた。
私は一番下だから、その礼儀とやらの良さはわからない。
私はどう答えようか思考を巡らせてる時に、横から強い言葉が飛んでくる。
「ったく、オレは炭酸しか好きじゃねぇって言ってんだろうが」
三女のメーベル姉様がいつものように、ミレッチェ姉様より崩れた言葉を使う。
「あらあら、紅茶は身体にいいんですのよ? リラックス効果がありますのに、いつもピリピリしてるメーちゃんにはピッタリかと」
私はやっとのことでさっきの答えがまとまったわけだけども、今それを割り込める状況ではなかった。
「はぁ? だからオレは今、炭酸が飲みたいって言ったじゃんか。もはや紅茶は全くの論外」
「もう、いつまでも子供なんですか?立派な大人な見た目なのに、心の発達はまだですのね」
その言葉にさすがに癇に障ったのか、メーベル姉様は勢いよく立ち上がり席を離れる。
「はぁー、怒るのも面倒だわ。しばらく外行ってるから」
「もう、向こう岸には行ってダメですからね」
「んなこと知ってるわ」
メーベル姉様は、その細長い足でスタスタと海岸まで行ってしまう。
こんなにつまらない世界でも、彼女は海へと自分を逃避させていた。
うみ、海...あ、カローナ姉さんって今日はこのお茶会には参加してないのかな。
前に聞いたのだけど、海って本当は青いらしい。
あと、色っていうのが現実には存在するんだって。
カローナ姉さんがこの前、私に教えてくれた。
そうそう、六女でもあるカローナ姉さんって面白い人なの。
いつも読書っていう、文字だけを追ってそれを吸収する行為が大好きって言ってて。そこから現実のことを勉強したんだって。
「例えここが真っ白だとしても、光がかろうじてあるだけで影が生まれるから、決して何もないわけではないのよ」っていつも私を励ましてくれてるの。
でも、私にはよくわからなかった。
光があるから影がある。それが必然で、それが輪郭を作るらしい。
輪郭があるから目の前のモノが認識できる。
「いつ見てもとても可愛らしいお顔ね、ロゼアちゃん。輪郭があるから、ロゼアちゃんをこうやって見て認識できる。だから光って好きなんだ。わかるかな...?」
そう言われた時に、私はどうも理解できなかったなーって。
可愛らしいお顔って...私のこと?
あれ。ああ、そういえば。
ふと思い出して、ミレッチェ姉様にさっきの答えを出す。
「紅茶はアールグレイしか飲まないの。だから、ごめんなさいミレッチェお姉様。最近なんだか、こだわりっていうのかな?余計なこと覚えちゃって」
「あらまあ!ロゼアちゃんったら、それはとってもいいことよ?わたくしだって、珈琲にはお砂糖とミルクがないと絶対飲めませんの...ふふ、それと似てるわね。だってそれが個人だと判別する一つの指標だと思いますの」
ミレッチェお姉様は優しく微笑みながら、私の余計なことを肯定してくれた。
やっぱりお姉様の笑顔は素敵だ。不思議な引力がある。
「スピア様はまたお買い物に行ったのでしょうか?」
私の目の前にちょこんと座る、七女のロロネは不思議そうに首を傾げている。
そんなに小さいと、この世界も違って見えるのかな?
「スピアは現実に一度戻って、お買い物中でしょうね。最近、とっても素敵なお洋服を買っててわたくしも気になってましたの。今度一緒に行ってみたいけれど...」
「現実って言っても仮想でしょ?まあ、ここも変わらないか...。あーあ、ロロも色のついた世界でいっぱい旅したいなぁ」
五女のスピア姉様だけは現実に行けるらしいの。
現実も仮想だっていうけれど、私はそれを否定したいと思ってる。
だってこんな真っ白な世界よりかは、確かなもので埋まっているはずだもの。
それに、現実はここより素敵なはずなのに、スピア姉様が行ったその日に帰ってくるのが理解し難いんだ。いつも帰ってくる時に私に飛びついてきては、怖かったよーって泣きついてくる。
現実って何も怖くないんじゃないの?
もっと素敵なものに決まってるのに。
「ロロなんか眠くなってきた...お昼寝する」
ロロネはなんだか眠そうな顔をしながら、ジャスミンティーを飲んでいた。
その発言に、即座に私は反応する。
「ロロネは自分勝手だね。それは時間に反しているよ」
「む...ロゼアは睡眠は夜以外ダメだって思ってるでしょ?正真正銘、昼寝というものは昼に睡眠を取っていい特権なんだよ?」
「でも私は眠くない。どうして眠いの?」
「知らないもん。変に理由なんて聞かないで。なんだかもう...ねむ...すぅー...すぅ...」
ロロネの悪い癖だ。
すぐ本能に従ってしまう。
「もう、ロロちゃんったらまたお茶中に寝ちゃって...ここで寝るのもあれだし、ちょっと部屋まで寝かせに行ってきますわね」
そうすると、ふわっと空気のように軽いロロネを抱えては、家の部屋へとミレッチェ姉様が運び始めた。
「うん、行ってらっしゃい」
その後、私は水を飲むために水場の方へと歩いて行った。
その近くには、カローナ姉さんの庭がある。
「あら、今日はお外でお茶会してたんだ」
カローナ姉さんがひょこっと庭の端っこから顔を出した。
花の水でもやっていたんだろうか。
「ごめんねー、ちょっと新しい品種を育て始めてから夢中になっちゃって、最近お茶会に顔出せてないのー。そだ、ロゼアちゃん聞いてよ! その品種の一つがさ、若干色がつき始めたの!少しピンクだったかなー。えへへ、なんだかここでも色を観察できるって嬉しくなるなー」
ピンク...それはどんな色のことを言ってるんだろう。
「ほら、あれ!」
私はその花に近づいて見てみるけれど、それは真っ白な小さな花だった。
「...? 私にはわからない。これってただの白じゃないの?」
「いやいや!ほら、これ若干赤みっぽいでしょ?」
「うーん...見えない」
私の微妙な反応に、カローナ姉さんは少し困った表情をしたけど、すぐに微笑みに変わった。
「え...あ、ごめんね。ロゼアちゃんは光の影響を受けないもんね。でも、いつか絶対見れるようになるからさ!」
「うん、だから私は現実に行きたいの。こんな真っ白なところにいると私がなんだかわからなくなっちゃう」
「そうだね...。ねえ、ロゼアちゃんって現実が怖くないの?自分は本で色々知ったけど、怖いこともいっぱいあるのよ」
「例えばなに?」
「現実では、生きてるものっていつか死んじゃうらしいの。死っていうのはね...うーん、ずっとその人とお別れしないといけない現象みたいな?そんな感じかな」
「ふーん、じゃあ終わりがあるってことでしょ?素敵なことじゃない」
カローナ姉さんがなんだかキョトンとしている。
変なこと言ったかな。
「...!! そっか。そうだよね。ロゼアちゃんは優しいね」
「別に私は優しさで言ったわけじゃ...そういえば、レミロットはどこに行ったの?ここの花ってレミロットも一部育ててるよね」
四女のレミロットは常にどこかに消えている。
スピア様は現実に行っては、何かお土産を持って帰ってくれるけど、レミロットは無言無反応...。私より何を考えてるかわからないの。
「あら、そういえば最近全然見かけないわね...。レミちゃんってば、また一人でお花の種でも探しに行ったのかしら」
「...また、シャルティー姉様に怒られるよね。レミロットって本当に学ばないというか、もはや私たちのことすら認識してるか怪しいわ」
長女でもあるシャルティー姉様は規律を重んじている。
規律というのは私たちを守護するお守りみたいなものなのだけれど、レミロットはそれは自由の拘束だと言っては命令を無視してきた。
「うーん、困ったわね。レミちゃんとはたまにお喋りするけど、やっぱり伝わってるのか時々不安になるわ。けど、とっても素敵な声で毎回癒されちゃうのよね。この前だってここで歌を口ずさんでたんだけど、すごく透き通った歌声だったわ」
「あの子、歌なんて歌うんだ」
「でも、それを見るのも結構珍しいけどね。そもそもいつもどこかに行ってるし」
私は全く理解できなかった。
この空間を歩くことさえも、私は億劫に感じてしまう。
全てが白い風景。
白い家に、白い庭、八姉妹の私たちだって色白だった。
そして、向こうには真っ白な海が見える。
こんな世界のどこが魅力的で、レミロットは歩いてるのだろう。
カラン、カラン。
庭の門から鈴の音が響いて来た。
滅多に来客なんて来ないし、スピア姉様かな。
けれど、向こうには全く見覚えのない人影が立っていた。
いや...人なのだろうか。
すると、カローナ姉さんの表情が変わった。
「...ロゼアちゃん。ここから早く逃げて」
私はその言葉を理解できなかった。
逃げるなんてこの白い世界に必要ないのだから。
「早く!あいつはダメなやつなの!とにかく...この空間から出るの!」
しかし、私というのは全くといって危機感もなかった。
だから、逃げるなんてしなかった。
「ロゼアちゃん!きっとあいつはあなたを狙ってる。だから逃げて!」
私を狙ってる?
何がどうして、私を...。
すると、カローナ姉さんは私の手を掴んでは、後ろなんて振り向かないで走っていた。
私は、後ろを振り返るがさっきの影は消えていた。
「油断しちゃだめ!あの影はそう簡単に消えたりしない!」
...どうして逃げてるんだろう。
わからない。私にはわからない。
「...!な、なんで手を離すの!?ねえ、逃げなきゃダメなの!理由なんて後でいいの!」
「だってわからないの。なんで逃げてるのか。だってこの世界は逃げる必要なんてないでしょ?」
私は逃げない選択については理解している。
この世界はずっと真っ白で永遠のようで、ずっとこんな感覚が続いている。
だから、逃げたって一生変わらないと確信してるから。
「言うこと聞いてよ、ロゼアちゃん!理由なんて必要ないの!あの黒い影からは逃げな」
ほんの一瞬だった。
彼女の胸からはドス黒い刃が突き刺さっていた。
白ではない色の液体が彼女の胸から流れ始めていた。
それと同時にその黒い影は消えていた。
「はぁ...はぁ...げほっ、げほ....! ロゼアちゃん...あなたは無事だったのね...」
私はさらにわからなくなった。
どうしてそんな苦しい顔しているのかが。
「えへへ...痛い、すごく痛いの...ああ、刺されちゃったらこんなにも...痛くて冷たくて...苦しくて...」
ああ、どうして...こんなにも胸がざわついているんだろうか。
「ねぇ...ちょっとこっち来て...」
私はその言葉にだけ寄り添って動く。
すると、私の腕にぐったりと仰向けになって彼女は寄りかかってきた。
「ああ、もうカッコ悪いなー自分って...こんなとこでさ...消えたくなんかないのにね」
彼女はずっと苦しいながらも、なぜか私を心配そうな声で言ってくる。
「...あのさ、ロゼアちゃん?空ってさ...本当はすごく青いんだって」
「...そんなの...知らない」
だって空と地上の境界も曖昧なこの白い世界に、そんなことを言われても理解ができなかった。
「うん...今は知らなくていいの。この前に本当は海も青いって言ったでしょ?...だから、空は海の鏡みたいなものなの。海が悲しんでたら、空も同じように悲しくなって泣いちゃうんだ...」
彼女はずっと優しい目をしながらも、うつらうつらと空を眺めていた。
「自分はさ、空みたいに心を広く持ちたいって思ったんだ。この優しさが姉妹の幸せを守ってくれるから。そして、ロゼアちゃんの溢れてくる知りたいという海がいつも輝いて見えてた。だからね...自分はロゼアちゃんに憧れてたの」
「違う。私はそんなに偉くない。カローナ姉さんの方が、ずっと賢くて優しくて素直で...私に現実の世界を教えてくれた」
「ううん、自分はすごくないよ。本を通じて、他人の世界で自分を知ろうとしただけ。けど、ロゼアちゃんは違くて、自分自身で答えを探しては導き出してた...。自分はロゼアちゃんの鏡とまではいかなくともさ...」
彼女の声がどんどん弱くなっている。
私の手には、白ではない色の液体が滴り始めていた。
「...って、もう。ロゼアちゃん。そんな顔してたら、自分も泣いちゃうじゃない...」
私は目が熱くなっていた。
だって、今にもカローナ姉さんが消えてしまいそうだったから。
「わからないの...どうしてこうなってるのか...」
「うん...そうだね。わからないことがいっぱいだよね...。現実もこの世界も。自分だって知らないことまだあるもん...。だから知ろうと思ったの...もちろんロゼアちゃんのことも...」
すると、そっと私の顔に手を添えては、優しく撫でてくれていた。
あまりにも優しすぎる触れ方だった。
「えへへ、知らなかった...ありがと、ロゼアちゃん。あなたの涙ってこんなにも綺麗だったのね...」
...すると、彼女はそのまま眠ってしまった。
いつも夜で隣で寝てる時のような、すごく安心した顔で。
「もう、ロゼアちゃんったらお布団もかけないで
寝て...」
「私は風邪なんて引かないでしょ」
「もし引いたらどうするの! ほら、自分が傍で一緒に寝てあげるから」
「意味がわからない。一人で寝れる」
「そうだけどさー。だって寒そうだし...それにくっついてた方が幸せでしょ?」
「...わからないって言ってるじゃん...」
「なら、こうやって抱きついちゃうよー!ほらー、温かいでしょー?」
「わ、わからないし...」
わからないよ。
ねぇ、またさ、一緒に寝ようよ。
カローナ姉さん。
私を置いて、一人で寝てないでよ。
「カローナ姉さん...ねえ、起きてよ。どうして寝たフリしてるの...? ねぇ!!」
返事が帰って来ない。
わからない、わからない、わからない。
もう何もわからない。
私は目から熱いものが止まるまで、ずっとその場で立ち尽くしていた。
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