第4話 新大宮市
朝、目覚めてすぐに勢いよくカーテンを開けた。
ここは新大宮市にある市営アパートの5階だ。
ビルの隙間から覗く空を見渡す限り、よく晴れた絶好の散歩日和だった。
念のため、GATEニュースで天気を確認したが雨は降らないそうだ。
昔は『雨の確率』というコンテンツがあって人気が高かったと"懐かしの2030年"というバラエティチャンネルでやっていた。
降るか降らないかというだけでなく、降るかもしれないという状況が新鮮で面白かったのだが、外れる可能性がある予報ってのはさぞかし不便だったことだろう。
眼下に目を遣ると、5車線ある通りは通勤ラッシュが始まっていた。
外側2本は小さくてずんぐりむっくりした短距離向けコミューター、略して短コムが連なっている。
いつも混むのは短コム路線だ。
昔の映画に描かれた、没個性なシルバーのカプセルと違い、色とりどりで個性的なペイントを施したものや、アクセサリでゴテゴテに飾り付けられたものもある。
個人向けに販売されているのは短コムだけだから、メーカーも力を入れており、車種やボディカラーはバラエティに富んでいるというわけだ。
短コムは半自動運転で、基本的に操作不要になっており、お年寄り1人でも運用可能だ。
それでも機械である以上トラブルは避けられないため、スイッチ1つで手動に切り替えられるようになっている。
こんな渋滞時はフェイルセーフ機能を悪用し、手動で無茶な運転をする輩が後を絶たないのは、いつの世も同じなんだろう。
眼下の合流区間で毎朝発生する、ちょっとしたカオス状態を眺めていると、脱サラした俺の決断が間違っていなかったと思えてくる。
短コムの内側車線は、都市間交通が走る。
主に観光や出張で遠出する場合に利用する長距離コミューター専用の路線だ。
短コムより車幅があって、ゆったり移動出来るが、車体が高価でレンタル専用の扱いになっている。
渋滞になりづらいことから富裕層などは短コム代わりに使っており、ハイクラスマーケットには長コム用の駐車スペースが確保されている。
そういえば昨日は、市長が徒歩3分のハイクラスマーケットにキャベツ1個を買うためだけに運転手付きの長コムを使ってバッシングされていた。
歩けよって話だ。
そんなこともあり、近年はその存在意義が問われている。
真ん中は循環交通。
奇数番の通りは、市内を時計回りに循環している。
偶数番は反時計回りだ。
定時運行していて運賃も安いため、短コムを持たない市民の足になっている。
当然のごとく、俺も循交専門だ。
振り向くと、目を覆いたくなるほどに、散らかった部屋が目に飛び込んできた。
部屋には所狭しとイーゼルや描きかけのキャンバスが並んでおり、テーブルには絵の具のチューブや筆が投げ捨てたかのように散らばっている。
描き疲れたら、そのまま寝られるようにと置いたベッドには、シーツにまで絵の具がこびりついている。
妻が存命だったら、呆れて離婚を切り出されたことだろう。
散らかっているのはアトリエとして使っているこの部屋だけだ。
そう思い込みたかったのだが、隣の部屋も片付いているとは言いがたい状態になっている。
昨年暮れに爺さんが亡くなったが、2月になって相続権を持っているのが俺だけだと知らされた。
全て放棄しても良かったが、
だが、窓を開け放った時の開放感に惹かれ、この部屋に住むことに決めたのだった。
4月には遺品整理も済ませて越して来たわけだが、代々受け継がれてきたガラクタ類だけは、後で分別しようと箱に詰めて隣の部屋に積んでおいた。
まだ、それだけだったら良かったのだが、引っ越しの荷物も一緒に置いてしまったからこの有様だ。
つまりは、目の届く範囲で整然とした環境は窓の外にしかないのだ。
そんなこともあり、朝、しばしの現実逃避のために外を眺めるのが俺の日課になっているのだった。
さて、渋滞を上から眺めて優越感に浸るのはこれくらいにしておこうか。
いつもよりずいぶん早いが、朝食にしよう。
台所仕事はホームノイド H102 が片付けてくれる。
「朝食を用意してくれ。今日は和食で」
「イエス。朝食を用意します。完了予定2分45秒後です。よろしいですか?」
無機質な女性ボイスがコマンドの確認を促してくる。
「あぁ。OKだ」
「調理開始します」
ホームノイドとは、サイテック社製メイドロボの商品名だ。
見た目にこだわらない俺ですら、もう少し何とかならんのかと思うほどチープな作りで、必要最低限の装飾しかない。
上位モデルはバイオスキンの外装が付いていたり、人に近い体型をしていて服を着せたり出来る。
まさにメイドと呼んでも差し支えないのだが、目の前で家事をしているのは油圧レギュレーターやケーブル類が丸見えで廉価版産業機械といった風情だ。
メイドだなんておこがましい。
ホームノイドには個体名を付けられるのだが、産業機械に可愛い名前を付けたところで気持ちが沈むだけだ。
そんな見た目はともかく、料理、掃除、洗濯といった家事全般を任せられるので、それなりに助かってはいるので文句は言えまい。
朝食が出来るまで2分45秒か。
顔を洗い、ヒゲを剃っているとちょうど時間だ。
剃り終わってタオルをラックにかけたところで、声がかかった。
「お食事の用意が出来ました」
トレイにはご飯、味噌汁、焼き鮭、海苔、納豆、サラダ、コーヒーが載っている。
当然、レトルトを温めただけなので、見た目と味は残念のひと言だ。
しかし、栄養価、栄養バランスは整えられている。
レトルトカートリッジのグレードを上げると多少は味も良くなるのだが、今は無駄なコストはかけたくない現実がある。
食後、ゆっくりとニュースをチェックしていたけれど、どうにも落ち着かない。
10時を回ったのを見計らって、そそくさと外出の用意を始めた。
もちろん目的地は昨日の公園だ。
明日も来るかと聞かれたくらいだから、きっと公園で遭うことが出来るんだろう。
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