ゴブリン禁猟区〜異世界におけるゴブリンの個体数減少対策について〜

すえのは

ゴブリン禁猟区

 ゴブリンというのは冒険を始めたばかりの冒険者がレベルを上げるために狩る最弱モンスターという位置付けだと思う。僕は三年間、ゴブリンの森で彼らの生態を観察してきた。ゴブリンは毎日冒険者達に狩られる。おまけに他モンスターからも狩られる。人間がゴブリンを利用してレベルを上げるように、モンスター達もゴブリンでレベル上げをする。ついでに空腹を満たしたりもする。そんな弱肉強食の底辺にありながらゴブリン達は多くの子孫を残しどうにか個体数を維持していた。だけれども、近頃ゴブリンの個体数はじわしわと右肩下がりになっている。僕らの住んでいるこっちの世界でも、食物連鎖のバランスが崩れて大変なことになっている事例がたくさんある。それと同じように、このままゴブリンの生息数が減少すれば生態系に悪影響が出るんじゃないかと心配している。

 異世界には異世界の秩序があるのだから、余所者の僕が口を出していいのかどうか、分からないのだけれど。


 ロバート・ペイン博士は潮間帯でキーストーン種のヒトデを取り除いて食物連鎖がどう変化するのかを観察した。結果的に豊かな生態系は失われて、ほとんどイガイしか残らなかった。僕はその実験の話が衝撃的すぎて、生態系のバランスを考える時、いつもこのことを思い出す。(※注)


 この異世界においてデビューしたての冒険者がまず訪れるのが、最弱モンスターの生息地であるゴブリンの森。そして、その近くにあるリンブルの町だ。異世界ファンタジーでお馴染みのギルドもある。この世界では僕の方が異世界人だから、言葉は通じるんだけど文字が読めなくて色々不便する。なので、僕を補佐してくれる人を紹介してもらった。アシアンという青年。異世界人の僕のことを偏見なしにすんなり受け入れてくれた。一見冷たいように見えて世話好きな一面があって、ぶっきらぼうだけど優しい人だった。僕は剣も魔法も使えないからゴブリンの森へ散策へ行く時には護衛を務めてくれる。もうすっかり命の恩人だ。


 さて、このままゴブリンの個体数が減ったらゴブリンの森やリンブルの町はどうなるのか考えてみよう。

 このリンブルエリアは南から北に向かって、リンブルの町、ゴブリンの森、ブルーリバー、グラスラインの草原、ファイヤードラゴンの山と続く。ファイヤードラゴンの山にはビッグウルフやサンダーベアも住んでいる。それら多くのモンスターがゴブリンを糧として生活している。今はまだゴブリンも個体数を維持できているからモンスターもゴブリンの森での狩りだけで満足してくれているけれど、個体数が今よりも減少したらどうなるだろう。

 モンスター達はなかなかゴブリンとエンカウントできず、フラストレーションが溜まってきっとイライラする。森の中を宛てもなく徘徊しているうちにいつの間にか人里にまで出てきてしまう。リンブルの町には強い冒険者がほとんどいない。ファイヤードラゴンもビッグウルフもサンダーベアも、ゴブリンより強いモンスターだ。しかも、しこたまゴブリンを狩ってレベルが上っている個体もいる。デビューしたての冒険者が安々と倒せる相手ではない。町は大混乱。命を落とす住人も出てくるかもしれない。そうなれば、こんな危険な町にはもう住めないということになり、最悪リンブルの町は廃墟になる。

 一方、モンスター側も無事では済まない。ゴブリンという最弱モンスターがいなくなればその地位はビッグウルフやサンダーベアに移る。ファイヤードラゴンはこの辺りの食物連鎖の頂点に君臨しているので、彼らを襲って食べたりもする。そうなると今度はビッグウルフやサンダーベアがいなくなる。このリンブルエリアはファイヤードラゴンの楽園となるのだ。しかし、それも一時的なことで、捕食する相手がいなければファイヤードラゴンだって生きてはいけない。この土地の固有種は絶滅するということになる。

 そんな最悪なシナリオが描けてしまう可能性だってあるのだ。

 もちろん、例に出したモンスター以外にも生き物はいるし生態系はそんなに単純なものではないけれど、大まかな流れはそんな感じになるんじゃないかと思う。いずれにしても放っておいていい事案とは思えない。


 ある日の探索後、酒場で夕食を取りながらアシアンにこの話を聞いてもらった。アシアンは安酒の入ったグラスを傾けて静かに聞いてくれた。がやがやした大衆酒場なのに、アシアンの涼やかな横顔を見ていると、しっとりとしたバーにでもいるかのような錯覚に陥る。グラスに入っているのも安酒ではなくカクテルか何かに見えてくる。アシアンの落ち着き払った気配は周囲の喧騒を知らず知らず遠ざけているように思われた。

「なるほど。近頃、冒険者達の間でもゴブリン狩りの成果が芳しくないと不満が出ている。昔の方がよく狩れたし、金も稼げた。そうなった理由は分かっている。英雄カルサエが魔王を討って以来、多くの人が英雄になることを夢見て冒険者になり、手頃なゴブリンを際限なく狩り始めた。個体数が減少するのも無理はない」

 アシアンのすっきりした声は僕の耳にクリアに届いた。安酒に洗われた喉から発せられたとは思えない滑らかな美声だった。それに比べて僕の声は垢抜けなくて野暮ったい。

「僕の世界ではそうした動物を守るために禁猟区を設けたり、狩猟数に制限を設けたりするんだよ。絶滅危惧種は僕の世界にもたくさんいる。もう絶滅寸前の動物だっているんだよ。キタシロサイっていう動物なんか、もうメスが二頭しか残ってない」

「ほう」

 と、アシアンは興味深げに僕に視線を寄越した。

「その生き物が絶滅することで何か不都合でもあるのか」

 こっちの世界の住人であるアシアンに生態系の概念はない。炎を吐いたり雷を放ったり、概して凶暴な生き物ばかり相手にしている異世界人のこと、獣に心を寄せる人なんてそんなに多くはないんだろう。

「直接的な不都合はなくても、回り回って人類にしっぺ返しが来るよ。ゴブリンなんてもっと直接的な不都合が出るよね。彼らがいなくなったらみんなお金が稼げなくなるし、リンブルの町自体がより強力なモンスターに狙われるようになる」

「まぁ、そうだな」

「これ以上、個体数が減ったらまずい」

「ああ」

「だから、こっちの世界でもゴブリン禁猟区と討伐数制限を設けるべきだと思う」

 何だかまどろっこしくてもどかしい説明になったけれど、アシアンは納得して頷いてくれた。

「面白い試みだと思うしそうしたものを設けるのも悪くはない思う。――だが町の奴らは難色を示すだろうな」


 そんなアシアンの呟き通り、リンブルの町の人達はいい顔をしなかった。町民は却ってゴブリンをのさばらせる原因になるのではないかと疑念を抱き、ギルドは仕事が減るのを嫌がり、冒険者達は報酬がもらえなくなると怒気を示した。僕らの提案は撥ね付けられ、アシアンの闘争心には火が付いたらしかった。

「あいつらを納得させるためには根拠のない空論をぶつけるだけでは駄目だ。根拠を示して屈服させてやる」

 普段冷静なアシアンが物々しい言葉使いをすると何だか威圧感が増す。ふわふわしている僕には決して出せない雰囲気だった。

 アシアンは僕を連れてギルドへ出向き、討伐数の記録を閲覧した。ゴブリン生息数の記録もあるといいのだけれど、こっちの世界の人達がそんなこと調べているわけがない。ここは僕が三年間独自に付けてきたデータを使う。ただ、森の中をくまなく調査したわけではないし、目視できたゴブリンを数えていただけだから、他人を納得させられるだけのしっかりしたデータではない。もっとも、ギルド側の討伐数データだってあくまで参考であって、黙って狩りをする冒険者なんてごまんといる。実際の討伐数はもっと多いんだろう。

 とりあえず得られたデータからグラフを作る。

 三年前の魔王討伐直後からゴブリンの討伐数は激増し、それまでの五倍になっていた。具体的な数字を上げると、一日二十匹から百匹にまでなっていた。その状態が一年続いた後、討伐数は緩やかに減少を始める。一日百匹だった討伐数は八十匹になり、七十匹になり、今は五十匹だ。最盛期の半分ともなれば、冒険者達に不満が出るのも無理はないだろう。――まぁ、元々生態系も気にせずに討伐し過ぎた人間が悪いのだけれど。

 そこへ、僕の調べた生息数を重ねる。生息数は元々グラフにしていたからそれを描き写すだけでよかった。こうして重ねてみるとやはり討伐数減少と共に生息数も少なくなっている。

「わぁ、近頃、討伐数は少なくなってるって聞いてましたけど、こうして見ると一目瞭然ですね」

 討伐数の記録を出してくれたギルドの少年職員が丸眼鏡の奥の円らな瞳をくりくりさせながら僕らのグラフを見た。

「……このままゴブリンがいなくなったらギルドの仕事はなくなっちゃうんじゃないんですか? ねぇ、アシアンさん」

 丸眼鏡の少年職員の言う通り、ゴブリンが絶滅したらどのみちギルドの仕事だって今まで通りにはいかなくなる。目先の欲に駆られている場合ではない。アシアンは冷たい視線を少年に向けた。

「俺達の出した禁猟区設定案と討伐制限案を一蹴したのはギルド側だろう」

 怨みの込もった目線を向けられ、少年は慌てて胸の前で両手をひらひらと振った。

「それは大人達の出した答えですよ。僕にそんな権限はありません」

「……まぁ、そうだろうな」

 アシアンは冷静さを取り戻して腕を組み、グラフを見下ろした。

 アシアンはデビューしたての低レベル冒険者ではない。元々この町の生まれ育ちではあるようだけれど、好奇心に任せて方々旅をしたらしく、その旅の後、腕っぷしの強さを見込まれて町の用心棒としてギルドに雇われた高レベルの戦士だ。剣から魔法から幻術から何から何まで巧みに操って任務をこなす。目立つことや群れることは好きではないようで大抵一人で静かに過ごしているけれど、彼に憧れを抱く人はたくさんいると聞く。異世界人の僕だってアシアンは魅力的な人だと思う。こうして腕を組んでいるだけで鍛え上げられた筋肉の逞しさが眩しく見えるのだから。

 そのアシアンが見下ろしているグラフ。これでみんなが納得してくれればいいけれど、データだけではまだ説得するには弱い気がする。


 僕は異世界人だからずっとこのファンタジー世界にいるわけじゃない。週末の休みを利用して遊びに来るだけだ。決定的な打開策が見つからないまま、僕も仕事のためにあっちの世界へ帰らなければならない。

「じゃあ、僕はそろそろ帰るよ。また来るね」

 そう挨拶すると、アシアンは手を上げて応えてくれた。


 *


 元の世界に帰るとそこは日曜日の夕方。楽しい旅行から帰ってきてしまったような寂しさがある。

 いわゆるなろう系の異世界ファンタジーは僕も嫌いではないけれど、大抵物語の序盤で討伐されがちなゴブリンの姿を見ると、無力で無個性な自分とどうしても重ねてしまって、可哀想だな、という憐憫が生まれる。もう何百匹ものゴブリンに対してそんな気持ちを抱いてきた。そうしているうちに僕の部屋の壁に光の穴が表れ、あちらの世界へ行けるようになった。ゴブリンに対する僕の憐憫があちらの世界とこちらの世界を繋いだのだろうか。不思議なことが起こるものだ。

 『あちらの世界』と『こちらの世界』。

 そう言えば、あちらの世界に行けるようになってから三年が経つけれど、僕はあちらの世界の名前というものを知らない。名称なんて付いているんだろうか。こちらの世界だって特別名前なんて付いていなさそうだけれど、それは別世界との交わりがないために名前を付ける必要がないだけで、僕のような『渡界者』がわんさかいたら、この世界にも何かしら名前が付くのかもしれない。

 昨今、僕らの住む地球は様々な崩壊の危機に瀕している。もし、こちらの世界が何かしらの理由で崩壊したとしたら、避難先として向こうへ渡れば僕は生き残れるんだろうか。

 こちらの世界とあちらの世界の交わりにもきっと理はあるのだろうけれど、異世界との無節操な交わりによって生き物の栄枯盛衰の運命が歪められてしまったとしたら、それは両世界の崩壊に繋がりそうではある。

 超えてはいけない一線というものは絶対にある。便利だから、面白いから、物理的に現実可能だから、そういう理由で一線を超えてしまうことは多分危険なことだ。だとすれば、僕の『渡界』も、本当はやってはいけない危険な行為なのかもしれない。異世界人の僕がゴブリンの個体数に手を付けようとすることも。

 じゃあ、どうして僕は向こうの世界へ行けるようになった?

 今までは、絶対に行けなかったのに。

 何か理由があるのか、世の理が発した単なる気まぐれに過ぎないのか、僕にはよく分からない。


 *


 リンブルエリアは元々長閑な場所だった。凶暴なモンスターはいるけれど、ゴブリンやブルーリバーが防波堤となって町の平和を守っていた。緊急事態が起これば町の冒険者達も防衛のために力を貸してくれた。

 あちらの世界へ渡れるようになってから、僕は好奇心の赴くまま辺りを散策した。フィクションの中でしか見たことのないゴブリンにも会いたくて、アシアンと共に森へも出かけた。初めて見たゴブリンは意外に大きくてどっしりしていた。背丈は僕の腰くらい。肌は緑色で顔は皺だらけだった。大きな目でこちらを見て爪を立てている。殺気立っているみたいだ。

「目を逸らさずにゆっくり後退りするんだ。奴らは目が悪い。こちらを視認できなければ襲ってはこない」

 アシアンの指示に従うとゴブリンは本当に僕らを見失って森の中へ消えていった。ゴブリンの目が悪いなんて初めて知った。多分、この世界のゴブリンに特有の欠点なんだろうと思う。


 ゴブリン禁猟区と討伐数制限の説得が難航する中、最終的に町民達を動かしたのは、ビッグウルフ襲来事件だった。今まで町に現れることのなかったビッグウルフが町までやってきたのだ。前代未聞の出来事だった。折悪く戦闘能力の高いアシアンは別エリアへの任務中で留守だった。町にいた冒険者総出でありとあらゆる威嚇をし、どうにか森の方へ追い返した。

 僕とアシアンが捏ねくり回していた根拠のない空論上の災難が、町民達の目の前で起こってしまったのだ。

 幸い犠牲者を出すことはなかったけれど、今後も同じことが起こるかもしれない。モンスターと人間との緩衝材となっているゴブリンの存在を軽視することはできない。

 リンブルの人達はようやく首を縦に振ってくれた。

 僕もアシアンも、ほっと胸を撫で下ろした。

「ありがとう、アシアン。君のおかげだよ」

 僕の言葉を信じてここまで手を尽くしてくれたアシアンにお礼を言うと、こんなふうに返された。

「そう思うんだったらたまにはそっちの世界のことも教えてくれよ。興味ある」

 僕は苦笑いした。

「……そうだね。僕達の世界のことも、アシアンに教えてあげなきゃいけないのかもしれない。何か役に立つ情報もあるかもしれないしね」

 僕だって、世界のことなんて何も知りはしないのだけれど。

 せめて、知っていることだけでも教えてあげられたらいいな。

 こうして自由に『渡界』できるのも、今のうちだけかもしれないし。


 *


 日曜日の夕方、異世界から帰った後は感傷に任せて取り留めのない思案が続く。

 隣にアシアンがいないのは寂しい。この世界ではアシアンは『どこにも存在しない人』だから。あの人の戦闘的な体付きやそれに反する物静かな雰囲気は、実在の影をもって色濃く僕の胸に残っているのに。

 僕らの生きるこの世界は、一体何なのだろう。その正体を知っている人なんているのだろうか。

 もし二つの世界が自由に行き来できるほどに近付いたなら、あるいはほとんど一つの世界として融合したなら――理想としてはいつでもアシアンに会ってお互いの世界を思うまま散策するんだろうけれど、実際、そういう都合のいいことには多分ならない。僕らの世界は二つに別れているからこそ存在が可能なのだ。一つになったら何もかも崩壊する。

 世界の在り方を自らの願望のまま捻じ曲げるのは、やはりよくないことなんだろうと思う。理に従って生きることは、大切な誰かや何かを守ることにもなりうるはずだ。


 *


 そうは言っても心は割り切れないもので、僕が異世界に行けるようになったのはやっぱりゴブリンへの憐憫がきっかけだったのだと思う。でも、ゴブリンはモンスターだから人間とは馴れ合わない。もしそんなことをしたら個体数減少と同じくらい、あちらの世界の秩序は乱れるだろう。可哀想だけれど、ゴブリンは狩られるために存在するモンスターだから。

 超えてはいけない一線は、人間とモンスターの間にもきっとある。


 だけど、夢の中だけは自由だ。

 よく晴れた綺麗な花畑の中に座っていると、一匹のゴブリンがそばに近寄ってきた。殺気は感じない。優しい顔をしている。

 ゴブリンは一輪の花を僕に差し出した。

 あちらの世界にしか咲いていない花。

 友情の証だろうか。

 僕とゴブリンが心を通い合わせることなんて現実にはきっとないのだろうけれど、僕は嬉しかった。胸が熱くなった。

 ゴブリンから、花を受け取る。

 ゴブリンが笑う。僕も笑う。

 僕の手の中で、花が揺れる。


 そんな夢を見た。

 儚くて、幸せな夢だった。



(終)




(※注)参照『2025年度 NHK 高校講座 生物基礎 第36回 生態系における生物間の関係』


※キタシロサイの個体数は2025年のものです。

なお、キタシロサイは精子が冷凍保存されている他、iPS細胞を用いた繁殖によって絶滅回避を目指す試みが行われているそうです。

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