三枚目 その感情の向く矛先が私一人であるならば、どれほど、私は
人は一生の内に何人、人を愛せるのだろうか。
肉親である両親。
同じ股の下から生まれてきた兄弟。
私には甘い祖父母。
どれだけ話そうとも間の途切れない親友。
そして、一生を添い遂げたいと思わせる恋人。
そして、墓を同じくする伴侶。
私達人間はこの短い生の中で多くの人間を愛せる生物だ。
いや、愛する必要がある生き物だと言った方が正しいだろうか。
私達は多くの人と接する中で、親密な態度を取らざるおえない関係性の人物が必然に現れる。
周囲に対して、お互いに対して、その仲が良好であることが都合の良い、またはそうで無いと都合の悪い事態が往々にして起こりうる。
愛情とは、人に備わった生きる為の機能である。
だからこそ、人と織りなす関係の、その全てが実の無いものであることは少ない。
心の底からその人に愛を注ぐ。
人は長い長い人生で、多くの人を愛してしまうのだ。
だが、例外とは常に現れる。
誰一人として人を愛せないものも生まれるだろう。
そういった人物は理解ができない。
男が女の機微がわからないように。
女が男の行動がわからないように。
違いに寄り添うことができても、全てを分かりあうことは何者であろうと、絶対に実現することは無い。
舌の無いものに味を伝えることは、不可能に限りなく近いだろう。
しかし、そういった場合は、完全に別の存在として理解することは可能であると言える。
異常な存在が存在することは常の内なのだから。
だから、だから、最も理解し難い人物とは。
私達の様に人を愛する機能を持って生まれた者でありながら、多くを愛することが叶わなかった者であり、
唯の一人しか人を愛せなかった者、なのかもしれない。
聴覚を持ちながらも、唯一人の声しか聞こえない様な、腕の距離にあるが決して届かない非人間性。
そういった人物もこの世には存在してしまう。
多くの方向に向けるべきだったものを束ねてしまった者。
強い愛欲を向けながらも、決して満たされず嫉妬で渇き続ける怪物のなり損ない。
狂い切ることのできなかった人間未満。
それは、未だに愛を知らない私達であるのかもしれないが。
つまるところ、言葉通りの意味で『唯一人のみを愛する』というものは、まごうことなき異常行動であるということだ。
さて、私達は一生の内に何人、人を愛せるのだろうか。
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