第9話 GRUDO
Governmental Rejection and Underground Development Organization
タブレット端末に指で書かれた記号を見て、鈴は首を傾げた。記号――それが文字であるのは分かるし、英語であるのも分かるが何ひとつ意味が分からないのだ。
「政府拒絶と秘密裏開発の組織、通称
ぽかん、としている鈴へ逢坂が補足説明を入れる。どことなく怠そうに説明する辺り、彼も何か思うところはあるのだろう。鈴がGRUDOとは何かという質問をしてから、すぐに彼はタブレットを取り出してくれた。仕事があると言っていたのに協力してくれる彼には頭が下がらない。
彼女は床に置かれた端末から目を離し、数秒頭の中を整理した。
「法に触れるって、例えばどういう」
「廃棄物の管理、動物愛護、生態系の保護の怠り。あとは被験者の同意を得ない人体実験。とにかく色々だ。時災者と違って、こちらは国も存在を公表しているから調べてみるといい。大体はネットの憶測だがな」
「そんな組織が、玉置絢寧に協力していた……?」
頭に思い浮かぶのは、玉置の傍で控えていたあの男。
終始無表情でいると思えば、ノンに置いて行かれると思った鈴を嘲笑ったり、拳銃を抜いたノンを攻撃して気絶させる一歩手前――殺人未遂といってもいい行為をしたり。玉置と同じくらい掴みどころのない彼の所属が研究組織だというのか。
馬鹿馬鹿しい。ギャングか何かならばともかく、あの暴力性で研究をしているなど考えられない。そう鈴は思いつつ、しかし一蹴することのできない不気味さが彼にはあった。組織の私兵のような武力のために雇われた存在ではない、ただそれだけの者ではないと思わせる怪しさを、確かに鈴は感じていた。
だが、今はあの男の素性が問題ではない。問題は――。
「どうして、それをノンさんが追って」
「単純な話だ。被験者の同意を得ない人体実験と言っただろ? あいつも被害者だってことだよ」
ぼかした言い方に、鈴は僅かに眉を上げた。
「時災者の、発生理由ってことですか」
「その可能性が高い」
「一体何故……」
「さぁ。どうせタイムトラベルの実験とかだろ。自分たちで生み出した理論の証明か、あるいは他の技術の開発か。ともかく、その研究に無理矢理付き合わされたのがおまえ達のような時災者ってのは間違いない」
その言葉を聞いた鈴の胸にざわざわとした感触が宿る。
過去から人々を『誘拐』するタイムトラベル実験、その受け皿として設立された帰還協力隊。
何故、これほど大事なことを今まで知らされていなかったのか――鈴が、何も覚えていないからだ。本来ならば誘拐時の記憶を持っているはずなのに、それがないから、これほどのことすら知っていなかった。彼女達と同じ目線にすら立てていなかったのだ。
と、逢坂の話を反芻する内に、鈴はなんだか奇妙な違和感を覚えた。
人々を過去から誘拐してきたとして、その理由がタイムトラベルという技術の実験であるのなら。
「どうして、組織は時災者を野放しに、というか逃がしているんですか? 自分たちで監禁したままにする方がバレずに済むのでは?」
実験だというのなら、使った人々をそのまま放置なんてことがあり得るのだろうか。それともタイムトラベルが成功した時点で用済みなのか。それにしたって、わざわざ逃がす必要はない。
逃がさない――言ってしまえば、監禁するか殺害するかでもした方が外に露呈しないのではないか。自分たちが法外の組織であることは自覚しているはずだ。
「俺もそう思うんだが、今のところ分かっていない。まともに逮捕できていないからな。曰く誘拐の直前までは覚えているらしいが、こっちの時代に来たら誘拐犯達はいなくなっていたって話なんだ」
逢坂の話を聞きながら、鈴の脳内にはある仮説が上がっていた。
というのは、記憶を失う前の自分は、誘拐しようとするGRUDOに対し必死に抗ったのではないか、というものだ。
その結果、未来に飛ばされ頭でも負傷して記憶喪失状態になったが、帰還協力隊に保護されることができた、とか。
でかした、とでも思うべきなのだろうか。過去の自分に思いを馳せて、鈴はまたノンについても考えていた。
彼女がかの組織を追うには、十分すぎるほどの理由があった。全ての元凶とも呼べる組織と協力したという玉置に激怒するのも致し方ない――それでも。
どことなく不明瞭で、釈然としない思いがうろついていた。隊員である彼女が時災者発生の原因を追うのは理解できる。ああも必死になるのも。だが、納得ができない。そしてそれは、ノンの身を案じる故のものではないような気がした。
そんな靄がかった気持ちが滲み出ていたのだろう。逢坂が鈴の顔を見やって言う。
「不思議そうな顔をしているな」
「……えぇ。理解はできているのですが、こう……。
思ったままを自然に言うと、逢坂の目がすっと細められた。
「組織を追うのに、そう必死になる必要がないのではないか、と?」
「そういうことになります。ノンさんには、失礼なのかもしれませんが」
おかしいのが自分であることは理解していた。過去の記憶がない自分では、彼女の苦悩など分からない。誘拐時に受けた苦痛は知らないし、基地は居心地の良い所だ。だから何故彼女が必死になるのか、いまいちピンと来ない。
あるいはこの発言は、彼女達時災者を保護する逢坂をも苛立たせる言葉なのかもしれなかった。
だが担当官は発言を咎めることもせず、ただふっと笑った。
「それを知るために、追いかけまわすんだろ」
彼は立ち上がり、床に置いた端末を拾い上げた。
**********************
『ただいま電話に出ることができま――』
耳元から聞こえる丁寧な声は、ノンのものではなかった。
鈴は画面を一度タップし、再度電話番号を入力してかけ直す。時災者として支給されたスマートフォンは、情報保護がどうとかでインターネットには接続されていないものの、基地で生活するには充分であった。特に写真撮影機能は鈴のお気に入りである。が、そのスマホでもどうにもならない時があった。
かけ直しても結果は同じであった。電話番号に間違いはない。逢坂から聞いておいた、ノンが持つスマートフォンにかかるはずの数列だ。かけるのはこれが初めてのため、ノンに相手が鈴であることは通知が来た段階では分からないはず、つまりうざがられている訳ではない。
鈴は静かに視線を落とし、いい加減スマホを自身のポケットへ突っ込む。それから玄関に足を向けて――その足を引っ込めた。天井を仰ぎ見て、寮の外に出たいという欲求を抑えつける。
また捜索をして彼女の、ひいては基地の負担を重くする訳にはいかない。彼女を追う気ではあるが彼女に迷惑をかけるつもりはないのだ。
好ましいのは、前のように基地で歩いていたら偶然会う、ような。
と、ぼんやりと天井を眺める鈴の意識をチャイムが起こした。
慌てて玄関まで走り、扉に手をかける前にふと立ち止まりドアスコープを覗く。小さな覗き穴に映る姿が知った顔であることにほっと息を吐いて、やっと彼女は扉を押した。
「ハロー鈴ちゃん」
気楽そうな声とともに彼女は手を上げた。
ノースリーブのシャツにデニムの短パン、手にはハンディファン、と実に夏らしい恰好をした女。年は鈴より3、4つ上といった程の顔立ちをした彼女は、しかし鈴以上に元気で生き生きとした印象がある。小麦色の二の腕や太ももからはじんわりと汗が垂れており、髪が湿っているのを見ると、彼女のルーティーンだという早朝ランニング後なのだろうと推察できた。
鈴はにこりと笑って、同じように手を上げる。
「おはようございます、白野さん。朝早いですね」
「そうかな? 早起きはいいよー、鈴ちゃんも試してみたら?」
「わたしには無理ですよ、中々起きられません。布団にいるといつまでも寝ていたくなります、ですから白野さんのことは尊敬しますね」
さらっと褒めると、白野は気分の良さそうに鼻を膨らませた。
彼女は鈴が住む寮部屋の隣の住人――お隣さん、である。先日ようやく近所挨拶を済ませた鈴に出来た友人達の一人だ。にこにこと愛想よく接してくれるおかげで、基地に来て一週間程度の鈴でも馴染めているような気がしてくる。
鈴自身の話が面白い訳でも趣味が合った訳でもないのに仲良く出来ているのは、大変な状況にある時災者達の、仲間意識みたいなものが働いているせいなのだろうか。
とても幸運なことだ。基地という交友関係の限られる場所だからこそ、こうした知り合いが出来る。
付け加えると、彼女達に記憶喪失云々のことは話していない。
話せば気味悪がられるだとか、隊員以外に話してはいけない機密情報だとかいうのではなく、単にそうする必要がないと考えたからだった。
彼女達自身、自分が元々居た時代について鈴に語ったことは今のところない。割り切っているのか、思い出したくないのかは知らないが、ともかく表面に出さなければ鈴も彼女達と同じだ。同じの、普通の時災者である。
「ところで一体どうしたんですか?」
見たところ白野は何かを持っているという訳でもなさそうで、わざわざ朝早くから鈴に挨拶をする必要性が見当たらない。不思議そうに聞くと、彼女は腕を組んで答えた。
「それがね、さっき休憩がてら基地を歩いてたんだけどさ、鈴ちゃんが前に言っていた――」
「ノンさんですかっ!?」
言い切る前に割り込んだ鈴の足は、部屋と廊下の境界を越えていた。
白野が声を上げて仰け反りそうになるのを見て、やっと自分が我を忘れていたことに気付く。砂の付いた靴下を軽く払って、姿勢を直した。
「す、すみません。少し焦ってしまって」
「大丈夫だよ。確かに鈴ちゃんの言った通りの話だから。多分見たよ、見間違いじゃなければね」
見間違えるはずがない。白野にどう伝えたかは忘れてしまったが、隊員の中でも若々しく、不思議な雰囲気のあるあんな人がそう何人もいる訳がない。
鈴はもう飛び跳ねそうだった。
なんて幸運なのか。丁度彼女を探していた時に有力情報が手に入るなんて。
持つべきものは友である――なんて言葉を思い浮かべながら、鈴は早速白野の前で靴を履き替え、緩くなった靴紐をきんと結び立ち上がる。
「本当にありがとうございます! 場所は、ノンさんをどこで見かけたのですか」
「西庁舎の一階。コンピュータールームに入っていくのを見たよ。まだ居るんじゃないかなぁ」
「コンピュータールーム?」
「ほら、時災者ってインターネット使えないでしょ? でも使いたい人達はいるから、隊員の監視付きでパソコンを触れる部屋」
へぇ、と鈴は首を少し傾ける。ノンを探した時に基地の構造は大分理解したつもりだったが、そうでもなかったようだ。
となると、鈴の電話に出なかったのはマナーモードにしていたから。そう考えると大分しっくりくる。今まで悩んでいたことに答えが現れるのは、実に気持ちがいい。
それとは別に疑問も生じる。何故彼女がコンピュータールームになんて出かけるのか。時災者とはいえ、身分は隊員である。インターネット利用が制限されているなんてことはないだろう。
だが考えていてはノンがどこへ行ってしまうか分からない。
扉を閉め、カードキーで施錠する。
エレベーターへ向かう足は速い。
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