第8話 意志
帰還協力隊基地、本部。
基地を見渡すように中央で佇むその建物は、いくつもの庁舎と渡り廊下によって入り組んだ構造となっており迷路と化している。その一角、隊員寮から最も近い庁舎の二階、大して眺めもよくない場所に第二会議室がある。
眺め、というが、実際にそれを意識することはない。常にすべての窓が厚いカーテンで仕切られた部屋に、景色も何もないからだ。
空中ディスプレイが消え、長机に座っていた隊員達が一斉に立ち上がる。彼らの手元にあるのは分厚い紙の束ではなく極薄のタブレット端末。ありとあらゆる物のデジタル化が進む中、基地はその中心にいると言ってよかった。飛び回るドローンもデジタル化された文書も、国家機密として秘匿される時災者達を守るためのものである。生半可な設備では許されないのだ。
部屋から説明を受けていた隊員達の姿が完全に消えたのを確認して、松戸清花一等官は前に映したディスプレイと繋げていたパソコンに触る。
画面には先日失踪した時災者――脱走、と確定したのは三日前のことである――玉置絢寧の顔写真が映っていた。電源を落とし、部屋の照明も消そうとしたところで、部屋の外からノック音が聞こえてきた。
「失礼します、松戸一等官」
そう言って、足音を立てず会議室に入ってきたのは、若い顔立ちの隊員だった。その表情、その態度に一切の感情を表さない隊員は、松戸の前に立ち姿勢を正す。
「先日の、時災者の失踪事件についてお話があります」
松戸は聞き飽きた言葉にため息を吐き、目の前の隊員――露谷音二等官へ呆れを露わにした。
「またその話か。いい加減諦めろ、玉置のことは追っているし、彼女に協力したという組織についても調べている。お前が関わる必要はない」
「確かに私は彼女の元隣人でした。ですが隊員になってからは殆ど関わりはありません、他の隊員と同程度でしょう。挟む私情は持っておりませんし、ましてや彼女の脱走の手伝いなんてしていません。私にも、捜査をさせてはいただけませんか」
会議をしている間、部屋の外で考えてきていただろう流暢な言い分を披露し、ノンは松戸に頭を下げた。
盗み聞きができるほど会議室は薄い壁でないが、この勢いだと試してはいそうだ。その時間があれば時災者達の面倒でも見ていてほしいと思いつつ、松戸は彼女の隊服の、きっちりはめられたボタンを眺める。真面目だとも神経質だとも表現できる雰囲気が、堅苦しい隊服にすっかりに合ってしまったのはいつからであっただろう。
露谷音、彼女はこの広い基地の中でも特に異質な存在であった。
時災者として保護された後はこの松戸を担当官として生活していた。ここに特筆すべきことはない。彼女達は他の隊員・時災者と同じように、付かず離れず、互いが互いに不干渉な立場をとりつつ上手くやっていたと松戸は記憶している。
そんな彼女らが時災者と担当官という対等な関係ではなく、上官と部下という上下関係になったのはその一年後のことであった。
ノンは自ら、隊員になりたいと志願したのだ。
それまでにも基地で生活する時災者が、生き甲斐を得たい、隊員達に何かを返したいといった思いから、基地内で自分の仕事を見つけることはあった。しかし隊員側になりたいなどと言い出す時災者は居なかったものだから、担当官として支えていた松戸が様々な方面から悩まされたのは言わずもがなだ。
だが時災者には出来るだけ一般人と同じ生活、権利を与えるべきだという基地内の動きが、彼女の願いを叶えさせた。結果として現在彼女は一般隊員として仕事に励んでいるが、未だにこうして松戸を困らせているという訳である。
今しがた彼女自身の口で言ったように、彼女は玉置の元隣人である。
これは特に問題はない。彼女が隊員となって時災者用の寮から隊員寮へ移ったことでその関係は殆ど無いものであるようだし、こう言ってはなんだが彼女がまともな交友関係を築いてるとは思えない。
常に刺々しい態度で無愛想を貫き、年相応に笑った顔など担当していた松戸ですら一度も見たことがないのだ。色々理由を付けて辞めさせる、ということも考えたが、仕事――時災者の保護活動の出来はよく、毎回円滑に基地へ連れてくるのだから彼女への扱いに困る。
基地、という一見広大ながら人生の大半を過ごすには狭すぎる閉鎖環境で、人との関わりが無い、というのは人恋しくなりそうなものだが。
ともかく、そんな訳ありながらそれなりに有用な人材であるノンを捜査に使いたくないのには、人格面や能力、あるいは時災者という立場以外の問題があった。
「断る。そもそもお前はあれの被害者だ。組織ぐるみの計画だった以上、再びお前の身に危険が迫る可能性は高い。玉置はお前を狙っていたんだろう? 担当した時災者をおとりに使う気はないぞ」
「問題ありません。ただ時災者の仲間が欲しかっただけでしょう、私である必要はない。捜査を手伝おうと、手伝わなかろうと、危険は変わりませんよ」
ノンは口元だけ笑って松戸を説得しようとする。とても――年で言えば大学生程にあたる娘のする顔には見えない、と松戸は内心で呆れた。
視線は彼女の足元へと向き、今は隊服で隠れているだろう傷を思う。
共犯たる組織と、脱走者である玉置を追うために彼女は自らの肌を切り、発信機を切除した。松戸とて同じ立場であれば思いつきまではするものの、実行までには至らないだろう。国家機密などと堅苦しく称されてはいるが、たかが仕事。文字通り身を削ってまでするものではない、というのが松戸の考えであった。
真面目なのはいいが努力する方向が間違っている。捜査に加えたとして、自らを省みない気質と執念はあまりにも危険すぎるのだ。
「とにかく、お前はこの件に関わるな。作戦自体は賞賛する。だが、会議を盗み聞きしていたなら知っているだろう。奴らは既に発信機を取り外した。お前に出来ることは、もう無いんだ」
しっしと手ではらいのけるジェスチャーをしてやると、ノンはいかにも不満げな顔をしたが、上官の前でそれはまずいと思ったのかすぐ無表情に切り替えた。
「……では、通常業務ということでしょうか」
「あぁそれがだな、本当はこんな場所で言うものではないのだが……別で頼みたいことがある」
なんとも言いにくそうにして、松戸はデスクのへりに腰をかける。
「インターネットで基地の情報漏洩をした者がいる。探してくれ」
「それは、また」
ノンは素直に驚いていた。
広大な土地と多くの人々を持つ基地である。日本の山奥に建てられた、風通しの悪い閉鎖環境。トラブルが発生するのはそう珍しいことではなく、度々隊員が駆り出されるものであるが、情報漏洩となれば話は違う。それは隊員や基地に対する敵対行為そのものだ。
彼女は顎に手をやって考える。まるで玉置の事件の代わりに仕事が与えられるのは癇に障るといえばそうだった。時災者を守り、彼らが元の時代に帰る方法を探るという本来の任務から思えば雑用のようなものである。
だが、無関心な事件、情報漏洩でも時災者同士のケンカでも猫探しでも、業務である以上は、隊員として真面目にこなすつもりである。そして、実際彼女はそれを実行し続けていた。それが自分を雇ってくれた松戸に対する最低限の義理だと彼女は信じているのだ。
「あと、これは逢坂二等官からの頼み事だが」
「…………なんです?」
付け足される言葉にノンは嫌な予感を覚えた。階級の等しい逢坂とは、松戸という上官を共にする同僚である。そのため彼とはよく口を利く(あくまでも他の隊員と比べて)が、彼のそこはかとなく頑固そうな雰囲気はあまり好かなかった。
加えて何かと面倒事を持ってくる質である。松戸に向ける声が低くなるのは自然であった。
「逢坂は今後も玉置の件で忙しくなる。そこで、あれが今担当している――」
「待ってください、それはいくらなんでも……あんまりではありませんか⁉ 彼女は逢坂二等官の担当でしょう、そう簡単に他の隊員に預けるなんてことは」
思わず上官の言葉を遮って主張してしまうほど、それは彼女にとって不本意そのものだ。自らの不幸を嘆く気持ちで彼女の胸はいっぱいだった。
「困るのか?」
「えぇ! 担当官の業務なんて、私には荷が重すぎます。何も私にしなくたって」
「まぁいいだろう、担当官程の仕事は求めていない。テキトーにやれ、お前なら上手くやれるさ」
期待が込められたような言葉に、大した意味が乗っていないのをノンは知っている。出された結論が簡単には覆らないということも。
何も出来ないもどかしさを顔に出さぬよう、必死になりながら彼女は今後を想像した。
逢坂が何を考えているのかは分からないが、これ以上構ってやるつもりはない。
今思えば、あの夜部屋に入れたのは間違いだった。大人しく自分の寮に帰しておけば、ああはならなかっただろうに。
「資料はまとめておいた。頼んだぞ」
そう言って松戸は今じゃ珍しい、クリップでまとめられた紙の束を渡してくる。
上官の言葉にノンは頷くことしかできなかった。
**********************
よう、と軽い調子で担当官は手を振ってきた。
「こんにちは、逢坂さん。いつもより時間が早いのでは?」
「あぁ、玉置の件で駆り出されるからな。こうして面会するのも少なくなるだろう」
頭を下げる彼に、床に座った鈴は首を横に振った。その横には花柄の敷布団が畳まれずに敷かれており、彼女がまだ朝食も食べていない寝起きであることを意味している。担当官としていつものように面会をしに来た逢坂のチャイムに目を覚まし、最低限身だしなみを整えて起き上がった次第だ。
逢坂が目覚ましのためかカーテンを勢いよく開けると、一人用の小さな寮部屋に日光がなだれ込んでくる。備え付けのデスクやセールで売られていた猫形のカーペット、隅に置いた木箱には趣味で集めている葉っぱや石が入っている。借りて数日の部屋は、まだまだ物が増える予定だ。自分にとっては初めての家、既に愛着が湧いてしまっていた。
「おまえ本当にいいんだろうな、カウンセリング。金はかからないんだぞ」
「大丈夫ですよ。わたしは殆ど攻撃されていません、大変だったのはノンさんの方です」
「ならいいんだが。あぁそうだ。頼まれた通り、おまえを露谷に預けるよう、上官には言っておいた。今頃あいつは不機嫌になっているだろうよ」
彼は腕を組んでにやついていた。どうしてそう楽しそうなんだろうと思いつつ、鈴はありがとうございますと返しておく。
それから己の胸に手を当て、その具合を探った。先日玉置の協力者として現れた男に思い切り殴られた箇所だが、痛みはまるでない。医者の処置がよかったのか、大した怪我ではなかったのか。どちらにせよ、もう臓器のひしゃげるような感覚を二度と経験したくはなかった。
病院より帰りて後、鈴は悩みながらも逢坂へ連絡を取り、ある頼み事をしていた。
その内容は引き続き鈴をノンの元に預けてほしい、というもの。これは担当官の変更を意味せず、玉置の捜査に関わり多忙となる逢坂の負担を減らすという名目で、位置情報の受信や面会を代わりに受け持つということだった。
名目とは呼びつつ、実際彼にとってもこの提案は助かるようで、頼み事は二つ返事で快諾された。ノンが納得しないのは予想がついていたが、彼曰く上官を通して頼めば断ることができないそうだ。彼女への説得方法はまた考えるとして、ひとまず作戦はうまくいった訳である。
「しかし分からないな。あいつに受け入れられていないのは理解しているだろう。これ以上関わったところで得られるものは少ないと思うんだがな」
釈然としないという面持ちで逢坂は言う。
厳しい意見だが、否定するつもりはなかった。彼女にされた対応で、自分が彼女に好かれているだなんて思い上がりは持っていない。部屋に招いてくれたのも、身を案じてくれたのも、すべて隊員として時災者の保護に努めたまでだ。
鈴は両手をさすりつつ、彼の質問に答えた。
「結果が伴わなくても構いません。わたしはただ、知りたいんです……いや、納得したい」
逢坂は片目を閉じ、黙って話を聞いていた。
「あの人が何故ああまで真剣に捜査に取り組むのか。正直に言えば、少し怖いんです。わたしにはあの人のことを理解出来ていません。だから、あの人に近づきたい」
鈴は手を膝に置き、その指を開いた。
それから逢坂へ顔を向ける。
「教えてください。ノンさんが言っていた、グルドとは何ですか」
**********************
『発信機の位置を知ることができたのは、玉置が同じ場所に包帯を巻いていたのを見たからだろう』
『発信機は、一部の我々帰還協力隊員や医者しか知らない』
『彼女、あるいは組織に協力した者が基地の中にいるはずだ。時災者で、内通の心配のないお前にしか頼れない。そいつはこれからも活動するかもしれないが、警戒されない内に見つけ出したい。基地のトラブル解決を隠れ蓑にしてくれ』
小さな面積の両面に手書きで詰め込まれた小さな文字。付箋を読み終わり、ノンは軽く目をほぐした。
会議室からの帰り路。人は出払い、廊下はまっすぐに歩く彼女だけであった。
軽く目を通しておこうと手渡しでもらった資料のページをめくった時、それは落ちてきた。
玉置の捜査に関われないと思ったらこれである。遠回りでも事件に関わることができるならば、それで良いと納得すべきなのだろうか。
ノンは付箋を握りつぶし、ポケットに突っ込んだ。
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