第1話 再会
ぼやける視界の真正面には、彼女の担当官である
「わたし、何かしましたっけ」
緊迫感ある部屋の空気に怯える様子は見せず、冗談めかして尋ねてみた。一方逢坂の反応は冷たいもので、体全体から感じる怒りの雰囲気に鈴は聞き方を間違えたことを悟る。だが本当に何をやったのか、こうも怒気を孕む顔を向けられる理由について彼女は心当たりがなかった。何をしでかしたか分からない内に怒られたところで次回に活かせるとは思えない。まず説明してほしい。
逢坂と鈴の間にあるのは、約一メートルの幅を持つ机。冷たいパイプ椅子に座って、二人は向かい合っていた。乳白色の壁に窓は無く、逢坂側の壁にいかにも分厚い扉があるのみだ。
まるで取り調べ室、いや、本当に取り調べを受けていたのだろう。段々眠る前の記憶が思い出されてきた。そうだ、今朝、まだ日の昇りきっていない頃――鈍い青色の空を覚えている。電話で彼から本部庁舎にまで来るよう指示されたのだ。一応聞かねばならんことがあるとかなんとか言って。
「事情の説明がいるか?」
皮肉げに口端を上げる逢坂の誘いに「いえいえ」と誤魔化した。
「あれですよね、逢坂さんが何かの事件についてわたしに取り調べをしようとして、それで途中で寝ちゃったんでしたっけ。覚えていますよ、きっかりと」
「そうだなぁ、五分もしたところで半目になっていたなぁ。ではその何かの事件というのを説明できるか」
「あぁ、それはもう。全く覚えていませんね」
満面の笑みで答えると、逢坂は無言でなにやら納得したように数回頷いた。鈴のふざけた態度に対話するのも無駄に思えてきたらしい。流石に懲りた彼女は、反省の色を顔に浮かべ逢坂に向き直った。
と、彼は足を組み、資料が載っているのだろう、手元のタブレット端末をスクロールさせながら話した。
「時災者の行方不明に関してだ。寮の、おまえと同じ階にいた時災者が一人、昨日から姿が見えなくなった。今も捜索しているんだが一向に見つからない。何か知っているか……と、おまえは関係なさそうだな」
「思い出しました。昨夜、寮で寝ていたのですが外が騒がしかったんです。ですからわたしもあまり眠れなくて、それで今日取り調べ中に寝ちゃったんですよ、寝不足で。あの騒ぎってその事件が原因ってことではありませんか」
「…………昨日は基地全体で捜索したんだ。すまなかったな」
「分かっていただけたのなら」
明るくなった鈴の表情とは対照的に、バツのわるそうに逢坂は目を逸らす。
それから彼は鈴から興味を失ったように、タッチペンを手に取ってタブレットに何かを書き連ねた。彼女の証言が役に立つとも思えないので、その作業は今までの捜査のまとめだろうか。高速で動くペンと苦悶する表情が事態の深刻さを表している。
時災者の行方不明。その単語の受け取り方は逢坂と鈴とで違うのだろう。何故彼がこうも真剣に取り組んでいるのか、鈴には分からない。彼女は必死に悩む逢坂の、軍帽のつばを眺めながら考えた。
「よく分からないのですが、例えば警察に任せるなんてことはできないのですか? もっと大規模に捜索すれば見つか」
「駄目だ」
逢坂は鈴を遮り、きっぱりと断じた。依然タブレットばかり見ているからその考え事に集中してこちらの問いには応答しないかと思ったのだが、そうでもないらしい。器用だなと思いつつ傾聴する。
「おまえはここに来て日が浅いから実感できていないんだろ。おまえたち時災者は国家に秘匿された存在なんだ。だからこそおまえらを保護する俺達担当官がいる訳で、警察に任せる訳にはいかない。俺達で完結させなければならないんだよ」
話を聞き終えた鈴は「へぇ」と神妙に呟いた。やはり、実感が湧かない。
時災者は過去から現代へ『飛ばされた』人々を指すという。タイムトラベラー、あるいはタイムスリッパーと呼ぶ方が正確かもしれないが、トラベラーといった方が分かりやすいだろう。ともかく何年も前に生きていた人々が、ある日突然この時代の『どこか』に現れる。原因不明、経路も不明。ただ彼らは普通に生活していただけなのに、気が付けばこの時代にいたという有様だ。
タイムトラベルという超化学のために発見されてすぐに存在は隠匿され、次々と見つかる時災者の保護とその過去への帰還方法を探るために設置されたのが帰還協力隊。正式には時災者帰還協力隊。逢坂の所属する機関である。その基地内に身を置き、また個々の時災者に一人ずつ付けられた担当官にその手助けをされることで時災者達は世間に遠ざけられ生活している――ここまでが鈴が先日時災者として登録される際に逢坂本人からされた説明だ。
当事者ながら突拍子もなさすぎて未だに信じられないのが現状。ただ、なんだか大変な状況に置かれているんだなということだけ理解できている。
だから鈴は一旦この件について考えるのをやめることにした。どうせ何年か過ごせば自然と慣れてくる話だろう、と思ったのだ。少なくとも今完璧に理解する必要はないはず、そうでなければ逢坂がこうも担当する鈴そっちのけで別の時災者について思い巡らせる訳と暇はない。
「それより逢坂さん。露谷さんの話ですが、どうでしょうか。今週中には会えますか」
鈴は机をぱんと叩き、身を乗り出して逢坂に言った。肩にまで伸ばした明るい髪がひょいと舞い上がる。
これは三日前時災者として登録され、訳も分からぬまま検査やら書類のサインやらの過程を終え、担当官たる逢坂と会ったときから、彼女が彼に要求し続けていたことであった。担当官として毎日顔を合わせる度にその話題は持ち出され、そのうるささは最初いい加減に聞いていた逢坂を真面目に協力させる程度である。
期待を寄せた顔つきでいると、彼は呆れた顔で見上げた。
「人が一人いなくなったというのに、それよりってな……。まぁいい、ほら、こいつで間違いないか?」
逢坂はそう言って再びタブレットを操作し、指が止まったところで画面を見せてきた。鈴は勢いのあまり椅子を倒しかけ、それを咄嗟に支える動作の後、のめり込むように画面を覗き込む。
そこに映っていたのは、一人の女性隊員の画像――証明写真のようだ。青色背景に皺のない隊服、型にはまったような無表情。
その無機質で事務的な姿こそ、この三日間鈴が追い求めてきたものだった。
「えぇ、えぇこの人です! 凄いんですね逢坂さん、本当に見つけていただけるなんて。ありがとうございました」
「まぁおまえの保護に関する経緯の書かれた記録を、ただ閲覧しただけなんだが。よかったよ。名前は露谷音、二等官だ」
「ノン、ノンさんですね、なるほど……」
その名前がひとりでにどこかへ消えてしまわぬよう、鈴は小声で復唱する。その度に胸の内からあふれ出るような充足感で彼女はいっぱいだった。幸福感に包まれた彼女には満悦の表情を隠すこともできず、その場で画像を見るだけだ。逢坂もやや安心したように眉を下げ、鈴の喜びに寄り添ってくれた。
ひとしきり興奮した後、ハッと我に返って鈴は椅子の足を床に下ろし、腰かける。目の前でタブレットの電源を落とす逢坂に頭を下げてから、落ち着いた声調で話しかけた。
「会いたいという旨は伝わっていますか」
「あちらには伝えておいたが、仕事が忙しいとのことだ。残念だったな。だが基地の中にはいるんだ、いつか叶う」
「そう、ですか。今は無理でも、時間が合えば、また会えないかお願いしていただいてもいいですか」
逢坂は「約束しよう」と固く頷いてくれたが、すぐに願いが叶うと思っていないのは彼の表情で明らかだった。彼のいう「いつか」がどれだけになるのかは分からない。それでも探し人の名前という大きな収穫が得られたのだ、感謝こそすれ、不満を呈す訳にはいかない。
小さいため息が彼の耳に入らないよう気を付けて、鈴はゆっくりと立ち上がった。取り調べが終わった個室にもう用はない。扉へ向かうまでの間、これから何をすべきだろうという疑問だけが、彼女の中に浮遊していた。
探し人は見つけたが、これ以上の進行は期待できない。逢坂にはこの後も仕事があるだろうが、時災者として保護されるだけの鈴に命じられたことはない。あとはここ三日そうしていたように、寮へ帰るだけ。
と、彼女はなんとなく腹が物寂しいのに気が付いた。どれだけ眠っていたのかは分からないが、早朝に呼び出されたのを考慮すると逢坂には結構な迷惑をかけたに違いない。大したこともしていないのに栄養を求め続ける己の体が間抜けに思える。
廊下へと続く扉に手をかざした時、背後で逢坂が思い出したように声をよこした。
「そういえば、俺への緊急通報機器は明後日届く予定だ。届き次第おまえへ渡しにいくが、それまで危険な目に遭うなよ」
鈴はその問いに答えるため、数秒の時間を要した。なんの話だったかさっぱり分からなかったからだ。一瞬困惑したように眉を顰めて。
「分かりました。」
どうせ何年も過ごすのだから、今理解できなくたっていい。
**********************
部屋を出ると、むわっとした空気がまとわりつく。季節は夏、鉄格子みたいな枠のある窓は開放されているようだが、行き歩く隊員達――厚い隊服を着ている――は大丈夫だろうか。冷房の無い廊下は、日も照っていないというのに灼熱の様相をしている。鈴はやる気をごっそりと失った顔つきで、その中を掻き分けるように進んだ。
すれ違う隊員の中には既に知った顔もあった。といっても相手の名前を知っているという訳でもなく、ただ基地内で数度見たことがあるという程度である。
三百名前後の隊員を有するこの基地だが、各々仕事場は異なるため出会う隊員の数は限られてくる。必然的に特徴のある相手ならば覚えやすくなるが、隊員と時災者の関係は鈴の思うところよりも複雑であり気安く仲良くなれはしない。時災者から得られる過去の情報の中に何があるか分からない、不特定多数と話せばそれだけ外に漏れ出る可能性がある、らしい。
だから担当官という一人の時災者専属の隊員を作り、窓口を狭くした上基地内で生活させるという閉塞的な制度がとられているのだ。明言されてはいないものの、要は担当官とは深く関われるが他の隊員との付き合いは程々に、ということである。そこに若干のもどかしさは感じるものの、気楽だと考えればいいものだ。軽い会釈に笑顔を添えると、固い表情で彼らも返してくれた。
まだ慣れないことは多い。基地のどこに何があるか、何をしたらいけないのか、どう隊員や他の時災者達と接すればいいのか等々不安な部分は多々あるが、まだ基地に来て数日である。そう焦ることはない、適宜逢坂に相談すればいいのだ、そのための担当官であるのだし。
考えながら歩いていると、前方の扉の開く気配がした。気配、というのはなんとなくに依るものではない。自動扉の反応する音が部屋の中から聞こえ、また扉の上方についたランプが点灯したのである。
横開きの扉は廊下を歩く鈴に直撃することはないが、中から人が出てくるだろうと予想されたため少し壁側からずれる。と、予想通り、厚手の隊服を着た女性隊員が足早に部屋から現れた。
烏を思わせる短い黒髪が鈴の前を通り過ぎる。
深く被った軍帽の下。寄った眉と小さい唇は神経質そうだという印象を持たせ、ピンと張った背筋がそれを際立たせている。暗く深い色をした瞳は、見た者を引きずり込む宇宙のようであったが、同時に何事にも興味が無いかのごとく虚無的である。
露出の少ない隊服だが、それでもぱっと見で分かるほど肌は雪のように白い。整った輪郭と高い鼻。
そう、彼女は綺麗だった。
彼女は廊下に出たところで、鈴を認識したのかぱっと立ち止まる。
隊員の瞳がきょとんとする鈴を捉えた。
「――――あ」
その呟きは鈴のものであった。
先程まで体を蒸し焼きにしていた暑さが霧散、その代わり体の内側から言いようのない熱が沸き上がる。心臓が燃えるように熱く、口の中の水分が急速に飛んでいく。ついさっき落ち着いたはずの興奮はたった今再熱した。
「ノンさん、ノンさんですよね⁉ ずっと探したんですよ。三日間、いろんな人に聞きまわって、それでも会えなくって。わたしノンさんに会いたくて、ずっと……」
言葉が次から次へと溢れ出す。言葉の順列を乱し、言いたいことと言うべきことの境界が分からなくなり、ただ混じり混じった泥のような音だけが鈴の口から垂れ続ける。気付けば無礼にも隊員の――ノンの袖を、彼女の腕に巻かれていた腕時計ごと鷲掴みにして、鈴は廊下に踏ん張っていた。なんだなんだという周りの視線も気にすることなく、彼女を逃がしてはならないという意思のみが働いていた。
ノンはその間、ただ困惑したように掴まれた己の腕を見ていた。
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