エピローグ その声が、未来を導く
宇宙飛行士訓練センターの一室。
新人候補生たちが整列し、真剣な眼差しで前方のスクリーンを見つめている。
その日は、年に一度だけ実施される特別講義――
《記録映像・M.Kanade_122》の視聴が予定されていた。
「これは、プロキシマ・ケンタウリ調査ミッション《オリジン計画》において――
通信途絶の直前、乗員である御崎奏氏が残した音声記録です」
淡々としたナレーション。
だが、その声に紛れもない敬意が込められているのを、誰もが感じ取っていた。
訓練生のひとり、如月澪(きさらぎ・みお)は、スクリーンに映された白黒の映像を見つめていた。
画面には、宇宙船内の簡素な記録画面と、音声波形のログが表示されている。
そして、静かに再生が始まった。
《こんにちは、もしくはこんばんは。これを聞いている人が、どんな場所にいても、きっと星は見えていると思います――》
それは、澄んだ声だった。
かすかに震えながらも、どこかあたたかく、凛としていた。
録音とは思えないほど、生々しい“息づかい”があった。
如月は、息を詰めたまま耳を澄ました。
スクリーンの文字が進んでいくたびに、胸の奥に何かが広がっていく。
《……私、怖がりです。強がって生きてきたけど、本当はずっと、誰かに頼りたかった。
でも、それを言えなかった。言ったら壊れてしまう気がして――》
彼女の声は、訓練の厳しさよりもずっとリアルだった。
“宇宙”がどういう場所かを、座学でもシミュレーションでもなく、“感情”で教えてくれるような、そんな声だった。
如月の隣で、同期の少年がそっと涙をぬぐっていた。
誰も責めなかった。誰も笑わなかった。
全員が同じものを、同じ場所で受け取っていたからだ。
《……あなたがいてくれて、よかった。ありがとう。
そして、もしこの声が誰かに届くなら――
どうか、誰かの“声”を、聞いてあげてください。
それは、きっと、生きている証だから》
再生が終わった瞬間、教室には深い沈黙が落ちた。
誰もが息を殺すようにして、しばらく動けずにいた。
そのとき、教官のひとりが前に立った。
年配の男――飛田真だった。
「……あの声は、私が最後に交信した“仲間”の記録だ」
静かに語られたその言葉に、全員がはっと息をのむ。
「彼女は、最後の瞬間まで“誰かに伝える”ことを選んだ。
それが、どれだけの勇気だったか……我々には測り知れない。
だが、彼女の声は、確かにここに届いている。
こうして、君たちの心に触れている」
如月は、拳をそっと握りしめた。
宇宙は冷たい。孤独で、無音で、逃げ場のない世界だ。
でも――
「声は、残せる」
彼女は心の中で、そう呟いた。
如月は、立ち上がることができなかった。
録音が終わったあとも、胸の内側にずっと“誰かの声”が残っていた。
それは御崎奏というひとりの宇宙飛行士が、最期の瞬間まで人間であろうとし続けた証だった。
記録映像に登場する彼女の姿は映像資料には残っていない。
だが、声だけで伝わってくるものがある。
姿より、数字より、訓練の技術よりも――
「生きようとする意思」や「誰かと繋がろうとする想い」のほうが、人の心に深く届くのだ。
澪は思った。
きっと、宇宙で本当に必要なのは、完璧なスキルや能力だけじゃない。
極限の環境下で“人間らしさ”を失わずにいられること。
声を発し続ける勇気、感情を伝える強さ。
そして、誰かの孤独に手を伸ばそうとする意志。
彼女はそれを、命と引き換えに教えてくれた。
澪はゆっくりと立ち上がると、背筋を伸ばした。
まるで誰かに見られているかのように、自然と姿勢が正された。
スクリーンに映るファイル名のアルファベットが、まるで星座のように静かに光っていた。
講義の終わりに、教官が言った。
「彼女の名は、御崎奏。
君たちがいつか宇宙に出たとき、思い出してくれ。
“あの時、あの声が、自分を動かした”と。
それこそが、彼女の“帰還”なんだから」
その言葉に、誰かが小さくうなずいた。
如月は、スクリーンに映るファイル名「M.Kanade_122」を目に焼き付けた。
“いつか”という未来が、いま確かに彼女の中で形を持ち始めていた。
――そのときが来たら、自分も誰かの“声”になる。
そう強く、心に誓いながら。
君の声は、星の彼方で @nishi18
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