15章 最終決戦〜鈴音と黒曜の命懸けの恋
第41話「嘲笑う、冷酷な弟皇子」
黒曜が鈴音を庇うように立つ。その背中の筋肉が緊張で強張っているのを、鈴音は感じ取った。彼が自分のために戦おうとしている――その事実が、鈴音の胸を熱くさせると同時に、これまでにない強い力をみなぎらせた。
「やはり、お前が黒幕か」
黒曜の声は静かだったが、その奥に潜む怒りの炎を鈴音は感じた。普段の優雅さとは違う、獣のような危険な気配が漂っている。
「兄上、いい加減に目を覚ましてください」
碧玉の視線が、黒曜とその後ろに立つ鈴音にも向けられる。まるで興味深い虫でも観察するような、冷たい眼差しだった。
「人間の女ごときに、心を奪われるとは」
「あなたの鬼族の誇りは、どこへ行ったのですか?」
屋敷の大広間で向き合う兄弟。開かれたままの大窓から雪が舞い込み、舞台を飾る花弁のように宙を舞っていた。
鈴音は息を詰めて見守る。空気が重く、自分の心臓の鼓動さえ聞こえそうなほど静寂に包まれていた。
「それほど、私が疎ましいか?」
黒曜の問いに滲む痛みが、彼の心の傷を物語っていた。碧玉の言葉に込められた毒は、雪よりも冷酷で、心を凍らせる。
「ええ、あなたが憎いです」
「その汚らわしい髪の色も、人間との融和の考えも……そして、兄上をたぶらかしたその小娘も」
その瞳が、鈴音を捉えた。
鈴音への敵意が、言葉の端々に滲み出る。そして碧玉の金の目線が、黒曜の雪のような白い髪に移る。そこには嫌悪と軽蔑が渦巻いていた。
「あなたのような異形が鬼族を率いる資格など、最初からなかったのです」
黒曜の肩がわずかに震えた。それは怒りなのか、それとも幼い頃から刻み込まれた傷が疼いているのか。鈴音は無意識に彼の袖を握りしめる。指先に伝わる彼の体温が、わずかに震えているのを感じた。
「私の目的を知りたいですか?」
「人間界と鬼族の代表者全員を一掃し、戦争を再開させることです」
碧玉の視線が、黒曜から鈴音へと移り、そして再び黒曜に戻る。侮蔑的な表情だった。碧玉の宣言に、二人が対峙する大広間に雪が激しく舞い込む。世界が彼の邪悪な意志に、呼応するかのようだ。
「平和条約を結んだ江戸時代と違って、鬼の数は増えた」
「人間より数は少なくとも、強い鬼は、今なら十分勝算はある。人間など、我々に従わせれば良いのです」
碧玉が腕を広げて見せる。その動作に、演劇的な大げささがあった。それは勝利を確信した者の余裕だった。
その野望の恐ろしさに、鈴音は全身が凍りつく恐怖を感じた。どれほど多くの血が、世界を染めることになるのか。想像しただけで胸が引き裂かれそうになる。
「その為に人間だけでなく、多くの鬼族の血が流れる」
黒曜の声が雪の夜に響いた。その言葉には、同族を思う深い慈愛が込められている。彼の眼差しに深い悲しみが影を指す。
「ええ、そうでしょうね。それが何か?」
「鬼族も、みな強い私に従うことを喜ぶでしょう」
碧玉の返答に、一片の感情もない。同族の命すら軽視する非情さ。力こそがすべて、という歪んだ思想。愛も慈悲も知らない、冷酷な支配者の論理だった。
「どちらが真の王にふさわしいか、今ここで決着をつけましょう」
碧玉の宣戦布告に、空気が張り詰める。その視線を黒曜に向けた瞬間、二人の違いが鮮明に浮かび上がった。
碧玉の金の瞳には、権力への渇望と憎悪の炎が燃えている。対する黒曜の紫の瞳は、深い悲しみと静かな怒りを湛えていた。一方は破壊を望み、一方は平和を願う。
「兄上も、その人間の護衛も共に滅ぶがいい」
美しい兄弟でありながら、その心は正反対だった。光と影、愛と憎しみ、希望と絶望――すべてが対極にある二人が、ついに対決を迎えようとしていた。
碧玉の宣戦布告が、雪の舞い散る大広間に響いた。その声は美しく、しかし氷よりも冷たかった。鈴音の指先が震え、心臓が激しく鼓動している。
「ここでは狭い。では、庭園へ移りましょう」
碧玉の提案に、空気が一層張り詰める。まるで弓の弦が限界まで引き絞られたような緊張感だった。
大広間から雪の庭園へと移る足音が、静寂を破る。雪が舞い散る中、三人の影が闇に浮かび上がった。
黒曜が立ち止まった。振り返ると、その紫の瞳に深い決意が込められた眼差しが、彼女を見つめていた。
「……鈴音、決して、私の傍を離れるな」
その言葉の切迫感が、鈴音の心を鷲掴みにした。彼の声がわずかに震えているのを聞いて、黒曜もまた恐れているのだと悟る。
私がそうであるように 、お互いを失うことを、何よりも恐れているのだと。
「……はい、黒曜さま。 私もあなたをお守りします」
鈴音の声には迷いがなかった。黒曜の護衛の陰陽師として、そして一人の女性として、彼を失うわけにはいかない。
袴の懐に忍ばせた符に、力強く手を当てる。
庭園の中央で、碧玉がゆっくりと振り返った。金の髪が風に揺れ、その美貌に冷笑が浮かんでいる。
足元の雪が、彼の影と共に不自然に蠢き始めた。影は生き物のように地面を這い、やがて巨大な闇となって立ち上がる。
「始めましょうか、兄上。そして、その愛しい護衛風情も」
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