第40話「救出作戦、黒曜〜この命を懸けても」
「黒曜さま……」
「焔、山崎たちを呼んでくれ。それから鬼族の部下たちも」
「承知いたしました」
黒曜の指示に、焔は素早く頷いた。
数分後、焔に呼ばれた山崎と峯岸が、息を切らせて現れる。続いて鬼族の部下たちも続々と執務室に入ってきた。部屋の空気が、一気に緊張感で満たされる。
「私は、鈴音を助けに行く」
「――そして平和条約のためにも、必ず彼女を救い出し帰ってくる」
鬼族の第一皇子としての責任と、一人の男としての愛情が、その言葉に込められている。国の未来と個人の愛情を、両立させる覚悟を込めた言葉だった。
「お待ちください!」
「黒曜皇子殿下は、そのお立場があります。一人で向かわれるなど、あまりにも危険です」
「――ですが、止めても無駄だということも分かっています。ですから、私達も星川を共に助けに行きます」
山崎の声が震えている。陰陽寮で共に働き、可愛がってきた鈴音への愛情が、言葉の端々に滲み出ていた。
「そうです、黒曜さま。彼女は私たちの大切な仲間です」
峯岸も眼鏡を押し上げながら続く。普段は穏やかな彼の声にも、切迫感が混じっていた。
「碧玉は、罠を仕掛けているかもしれません」
「黒曜さまを、お一人で行かせるわけにはいきません」
焔が口火を切ると、鬼族の部下たちも口々に声を上げた。彼らの瞳には、主君を守ろうとする強い意志が宿っていた。
「我々もご一緒させてください」
鬼族の部下たちも口々に言う。
結束した仲間たちの申し出に、黒曜は力強く頷いた。その温かい想いが、彼の心に新たな力を宿らせた。
黒曜の妖力が解放された瞬間、周囲の建物の窓硝子が大きく震えた。空気が振動し、鳥たちが一斉に飛び立った。彼の体が宙に浮き上がり、凄まじい速度で空を駆けていく。
鈴音への想いが、彼の力を何倍にも増幅させていた。
「黒曜さま!」
焔が叫んだ時には、すでに黒曜の姿は夜の闇に消えていた。残された仲間たちは、あまりの速さに言葉を失う。
「急ごう。黒曜さまに追いつかねば」
山崎が促すが、全員が理解していた。あの速度に追いつくことなど、不可能だということを。
一方、黒曜は雪道を疾風のように駆け抜けていた。妖力で作り出した風の刃が、行く手を阻む雪すら切り裂いていく。
普段の彼なら決して見せることのない、感情に支配された力の奔流だった。
高雪――侍従長の屋敷に到着すると、異様な静寂が漂っていた。人間の気配はなく、鬼の妖気だけが残っている。屋敷の窓に灯りは見えず、まるで死の館と化していた。
黒曜は躊躇なく屋敷に乗り込んだ。雪で湿った空気が立ち込める中を、必死に駆け抜ける。
「鈴音!」
叫び声が屋敷中に響いた。その声は切迫していて、どれほど必死になって探しているかが痛いほど伝わってくる。
正面の大広間で、鈴音は碧玉に拘束されたまま、その声を聞いた。
それは黒曜の声だった。だが、鈴音の胸に広がったのは喜びではなく、激しい動揺だった。
「どうして……」
唇が震える。なぜ来てしまったのか。自分が一人で乗り込んだのは、黒曜を危険から遠ざけるためだったのに。
彼を巻き込みたくない。そのために自分はこの道を選んだ――そう決意したはずだった。なのに、結果的に愛する人をより大きな危険に晒してしまった。
「黒曜さま……だめ、来ないでください……」
心の中で必死に叫ぶ。碧玉の罠だということが分かっているのに、なぜ一人で来てしまったのか。自分のせいで、彼まで危険な目に遭わせてしまう。
足音が近づいてくる。鈴音の心は複雑に揺れ動いていた。会いたくて堪らないのに、会ってはいけない。守りたい人を守れずに、逆に危険に巻き込んでしまった自分への後悔が胸を締めつける。
大広間の扉が勢いよく開かれた瞬間、黒曜が現れた。雪に濡れた純白の髪、紫の瞳に宿る必死な光――その姿を見た瞬間、鈴音の心は嬉しさと申し訳なさで引き裂かれそうになった。
「鈴音……」
黒曜の声が震えていた。普段の冷静沈着な彼からは想像もつかないほど、動揺が露わになっている。大股で駆け寄ってくる姿に、鈴音は胸が痛んだ。
こんな顔をさせてしまった。大好きな人に、心配をかけてしまった。
「ごめんなさい……ごめんなさい……」
涙が溢れて止まらない。黒曜を守るつもりが、結果的に彼を苦しめてしまった。自分の浅はかさが情けなくて、申し訳ない。
黒曜の青白い妖力が、鈴音を捕らえていた碧玉の影の拘束を断ち切った。鈴音が自由になると同時に、黒曜は彼女を腕に抱きとめた。
強い腕に包まれた瞬間、鈴音は安堵と罪悪感の両方に包まれた。黒曜の体温が、冷え切った体を温めてくれる。胸に顔を埋めると、いつもの凛とした香りがして、それだけで涙が止まらなくなった。
「……無事で良かった」
黒曜の声が耳元で響く。その声の震えに、彼がどれほど心配していたかが伝わってきた。鈴音の心は、嬉しさと申し訳なさで混乱していた。
「黒曜さま……」
抱きしめる腕の力が強くなった。まるで二度と離すまいとするように。その温もりに包まれながらも、鈴音の頑なだった心も一緒に溶けていくような感覚を覚えた。
開放された大きな窓から雪が舞い散る大広間で、鈴音は黒曜の腕に包まれていた。彼の体温が、氷河のように冷たくなった頬を温めてくれた。
一旦はくじけそうになった、鈴音の心を力強く支えてくれる。
「感動的な再会ですね、兄上」
外を降る雪より冷たい声が響いた。碧玉が姿を現し、二人を見下ろしている。雪明かりに照らされた金髪が、まるで悪鬼の後光のように輝いていた。
「さあ、兄上。久しぶりに兄弟で語り合いましょうか」
碧玉の言葉に込められた悪意が、空気を凍らせた。鈴音は黒曜の腕をそっと握りしめる。どんなことがあっても、この人と一緒にいたい。そう強く思った。
最終決戦の幕開けが、舞い散る雪と共に静かに告げられていた。
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