第一章 恋禍

第2話

 私服姿の学生と制服姿の生徒が同じ門をくぐっていく。


 星杜せいと大学冴塚さえづかキャンパスと書かれた正門を通り抜けたところで人の声がワッと大きくなった。少し身軽になった春コーデに身を包んだ魁斗と真新しいブレザー制服姿の祈の手に次々と新歓のチラシが無理やり渡されて、否、置かれていく。


 チラシをばら撒かないよう抱えながら魁斗は苦笑いする。


「文学部の学生でもこんな感じなんだ」

「なんでわたしまで」

「たぶん高等部の新入生だと思われたんじゃないかな」

「わたし、三年生なのに」


 子供扱いされたのが癪に障ったのか、祈は少し拗ねている。そういうところがまだ子供っぽいとも知らずに。


 まあまあと手でなだめつつ、


「それじゃあ僕は大学のほうへ行くから、祈もちゃんと教室に向かうんだよ」

「わたしもゼミ生なのだからそっちに行きたいわ」

「だめだよ。高校の授業はちゃんと受けるって約束だったじゃないか。大丈夫。けっきょく同じキャンパス内にいることになったんだから、すぐに会えるって」


 祈は渋々頷く。


「こうしてまたいっしょに通学できるようになっただけでも感謝しないとだめね」

「そうそう。じゃあまたあとで」


 この世の終わりみたいな顔をする祈と別れて魁斗は文学部の校舎に入った。


 一年生らしき学生たちは学科ごとに指定の講義室に向かう。そこで最初の説明を受けることになっているのだが、魁斗はその流れには乗らず、エレベーターを使って自分だけ指定されているゼミ室に向かった。


「えっと、ここでいいんだよね」


 教員棟であればそこの先生の名前が書いてあるだろうが、眼前の部屋は時間割でそれぞれ別のゼミが利用する場所。番号しか書いてないので少し不安になった。


 とりあえずノックしてから「失礼します」と入らせてもらう。


 すでに来ていた学生たちからいっせいに眼を向けられる。


 横長の口の字に並べられたテーブル左右にいるのがゼミ生だろう。男子二人、女子七人と女子比率が高いのはいかにも文学部らしい。そしてホワイトボードの前、上座に座っているのがこのゼミの教授。


 ただし、教授といっても若い女性だ。外見年齢は二十代後半ぐらいだろうか。鼻梁の通った涼しげな小顔が妖艶に微笑む姿からは大人の色香が醸し出されている。


 普通だったら教授にはなれない年齢の彼女こそが、これから魁斗が四年間お世話になる担当教授である。


 口紅を塗った唇が妖しげに動く。


「待っていたよ、魁斗。さあ、空いている席に座って」

「あ、はい。朱雀大路すざくおおじ先生」

「名字だと長いから薫子かおるこでいいよ」

「わかりました、薫子先生」


 すると近くにいた女子の先輩が手招きしてくれたので魁斗はそのとなりに座った。


「さて、大学生が全員そろったところで新入生の魁斗のために、簡単に哲学科とこのゼミについて話そうと思う」


 その美声は歴史を振り返る。


「裏哲学科は戦前、旧帝国軍によって組織された霊域院れいいきいんが前身。第二次世界大戦中に自動書記された日月神示には軍高官が関わっていたように、戦前までは霊能力が裏で公的機関から頼られていた。そして戦後、GHQに霊域院の存在が明るみになり解体される前に星杜大学を隠れ蓑にして完全移行された。ここ冴塚キャンパスは霊域院跡地ということで、哲学科には一般人の入試組とは別に、霊能力者の推薦組が日本全国から集められている。それが裏哲学科だ。きみたちにはここで学びながら、怪異解決に動いてもらう」


 一拍置いて薫子は自己紹介に入る。


「わたしは裏哲学科に四つあるゼミの一つを受け持っている。ただし裏哲学科のゼミは大学生だけでなく中学生から大学院生まで含めているから実際はもう少しだけ人数は多い」


 そう、この朱雀大路ゼミの大学一年生は魁斗のみだが最年少ではない。さきほど薫子がわざわざ大学生が全員そろったと言ったように、高校生の祈もまた朱雀大路ゼミのゼミ生となっているのだ。


「今年の大学一年生は魁斗を含めてぜんぶで七人。できるだけ均等に振り分ける関係上、どうしても魁斗だけひとりになってしまったけれど、きみには祈がいるからいいよね?」

「はい。それにここは地元なので遠くから来た人優先でいいです」


 こくりと頷いた薫子は簡単な説明を終わりにして自己紹介をするように指示した。最初に魁斗からあいさつをすると四年生から順番に名乗っていった。


 霊能力者といっても言われなければ薫子含めてここにいる全員、一般人となにも変わらない。強いて特徴を挙げるとすれば、美男美女ぞろいな点だろうか。当然ながら祈がこの輪に加わってもまったく引けを取らない。


 ちなみに薫子の方針でこのゼミでは下の名前で呼ぶことになっているらしい。めずらしい名字ということもあって、いろいろと配慮してのことと、親しみがあるようにとのことだ。


「魁斗、なにか質問はある?」

「僕たち裏哲学科の学生は普通に講義を受けなくてもいいんですよね?」


「うん。真面目に勉強したいのなら履修登録すればいいけど、基本的には怪異に関することを優先に動いてもらうことになる。だから今日は顔合わせということでみんなに集まってもらったけど、先輩たちはいないものだと思ってくれていい」


「そうなんですね。飲み会とかやるものだと思ってました」

「やりたいのならやるけど?」

「いえ、そういう集まりではないというのはわかったので」


 フッと涼しげに口角を上げた薫子は早くもゼミの終了を告げた。先輩たちはぞろぞろとゼミ室をあとにしていく。


 魁斗もそれに続こうとしたが薫子からついてくるように言われて教員棟にある研究室に入れてもらった。


 教授の部屋というとうず高く積み上げられた資料や書類、本棚に収まりきらない参考書や学術書などで雑然としているイメージがあったが、彼女の場合はそれとは逆でむしろあまり物がないぐらいだった。


 淹れたてのコーヒーを渡しながら薫子が訊いてくる。


「祈はちゃんと高等部の教室へ行った?」

「はい。いっしょに来たがっていましたけど、薫子先生との約束どおりちゃんと授業を受けさせました」

「ならいいわ。これでもいちおう教員だから、さすがに高校生まではやるべきことはやらせる義務があるから」

「薫子先生にはいろいろとお世話になりました」


 別の大学を受験しようとしていた魁斗に急遽、推薦状を書いてくれたのも、祈の転入手続きをしてくれたのも薫子だ。そしてなによりも忘れてはいけないのが、


「喰人鬼化して途方に暮れていた僕に薫子先生が手を差し伸べてくれなかったら今頃どうなっていたことか」


 受験を直前に控えた三ヶ月前のことを魁斗は思い出した。

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