第49話 ドストエフスキー5

いつかは自分も含めて

『人も、神になれる』

と信じていた。


『汚らわしい世界の中の死で終わるのではなく、より良い世界、

復活を授けられる者になろう』

といつも願っていた。


ドストエフスキーの第1のミスは、自分の父に

『死んで欲しい』

と願い、激しく憎んだことだった。父は酒癖が悪く、酒浸りでアルコール中毒だった。常日頃の自分の悪行のつけを払わされ、殺されてしまう。


性格が悪くても、それは父の勝手であって、責めてはいけない。死を願うのではなく

『こんな男もいるのだ』

さらりと受け流せばよかった。


責めて、死を願ったりしなければ、自責の念に襲われることもない。癲癇の持病を抱えて一生苦しむこともない。鷹(おう)揚(よう)に構え許せば良かった。

ドストエフスキーが狭量だから癲癇を発症してしまった。


それに対し龍は父の死を願っていなかった。治の死は辛かったし、率直に悲しんだ。

だから癲癇を発症しなかった。


ドストエフスキーの第2のミスは、この衝撃を受けとめきれなかったことにあった。自分が傷ついてはいけない。絶対に自分を責めてはいけない。父が殺されたとき、ドストエフスキーは戸惑った。動揺する。


ミハイルの死は自業自得であって、自分を責めていなければ、癲癇は発症しなかった。心の持ち方いかんで、不幸を呼び寄せもし、幸せにもなるという「証」だと龍は確信する。心を鎮めてさえいられれば、重篤(とく)な病も、乗り越えられる「証」である。

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