第40話 馬の糞

花純は一連の異様な光景をみて、昔祖父が言っていたことを思い出していた。戦後間もない祖父の若い頃のことである。実家の近辺はメインストリートだった。


家の前は村役場だった。左隣が警察の車庫になっていて、その奥まった所が留置場である。当時そこから覚醒剤や、麻薬(当時は、ヒロポンなどと呼ばれていた)の禁断症状が出て、たびたび悲鳴のような叫び声が響きわたってきた。家まで聞こえたという。


当時のパチンコは手動だった。悪くこすい人は、磁石でパチンコ玉を操作した。その現場を店の人に見つかり、取り押さえられた。半殺しに痛めつけられ、血塗(まみ)れのまま、引きずられながら、警察へ突き出されていく哀れな姿を、よくみかけたそうだ。


腰縄で、駅まで歩いて刑事に連行されていく人もいた。鈍行列車の中で、私服の刑事に、護送される腰縄姿の犯罪者と同席したことがあったという。手錠にタオルを被せてくれる温情派の刑事もいれば、みせしめになにも被せず、手錠を晒(さら)したままにする非情な刑事もいたらしい。


いくら座席が空いていなかったとはいえ、誰もが避ける四人掛けのボックス席に座って、じっくり観察をしていたという祖父に、花純は絶句する。


パチンコがどんな物かわからないけれど、今なら早速パトカーが呼ばれる。デジタル化されているから磁石の出番はない。こんな光景を見て育った祖父が、パチンコや、ギャンブルを楽しむことは決してない。


目の敵のように、心の底から忌み嫌う。幼い頃からの刷りこみは強烈である。

丁度車に切り替わる過渡期の頃のことで、車は少ない。あまり走っていなかった。

道も舗装されていない。砂利道である。


まだ馬が大八車を引っ張っていた頃のことである。砂利道に馬が、糞を落としながら歩く、実にのどかな時代だった。二人で太鼓饅を食べているときに祖父が、

饅頭を二つ重ね

「馬はの、これぐらいの糞を道に落として歩くんじゃ」

と大きさを教えてくれたことがあった。


温かい太鼓饅が、まるで放(ひ)り立ての馬の糞みたいに思えた。

「嫌じゃ、お爺ちゃんいうたら、太鼓饅が食べれんようになった」

馬の体温を生暖かく感じて、食べづらかったのを覚えている。

今は左隣が、スーパーで、前は公民館にかわっている。

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