第32話 二重スパイ

「前の市長選のときの、わしをあいつらの会計責任者とまちごうとっての、家に電話がかかってきたんじゃがい。ほいでの話を合わせてやっとったら、一斉にばらまくちゅうとんじゃが。日にちがわかったけんの、ほの数十人の家の角々(かどかど)を押さえとっての、配りにいけんようにしてやったんじゃがい。家から一歩もださせんかったんじゃ。



ほしたらの、あいつが負けた後での

『あれだけ配ったのに、なんでやー』

ちゅうて怒り狂うっとったんじゃと。配れんかったんじゃけん、みんな懐(ふところ)へいれたんじゃろの。なんぼし、かえせんかろがい」


臨場感たっぷりに、身振り手振りもはげしく、おもしろおかしく笑う。

へたなドラマより、真に迫っていてよほどおもしろい。


安藤は自分が、新人と親戚だとはいわないでおいた。黙ってきき役のままでいる。

山内がどちらに転ぶかまだよくわからなかったからである。


安藤は山内が両方の陣営にかかわっていたのではないかと疑っていた。

つまりスパイだと思っていた。まさかどこの間抜けが会計責任者をまちがえたりするだろうか。とりあえず彼の与太話を楽しむだけだ。


よく聞く名前がいっぱい飛びかってすごい。

「あれはわしが当選させてやった」

と山内はいいきる。話がいくらでも果てしなく広がり、ツボをおさえていてしかも巧(うま)い。


おもしろおかしい話の引き出しを、上下左右なん段にも積み重ねて持っている話好きだった。相手がどんな話に喰いつくか表情をよみとって、それにあわせてくりだす技に長(た)けていた。有言実行するから、地域での信用も厚い。


困ったことが起きたら、

「山内っちゃん家(とこ)にいきゃあ、なんとかしてくれる」

と信任も得ていた。


みぬかれている安藤は別にして、年配者を虜にしていた。

山内とはこの土地を買うときに、世話になってからの付き合いである。

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