第5話 雷 1

その日、空はしだいにどんより暗くなり空気が湿っぽく、雲が重くさがっていた。

あけっぱなしのリビングの窓に頬杖をつき、純は外の景色をただみるともなく

ぼんやりながめていた。


家の前には龍潭(りゅうたん)という中華料理店がある。

安くておいしい本場の中華料理が食べられると評判で、かなりはやっていた。

純たち一家もときどき夕飯を食べにいく。


皮から作る本格的な餃子が本当においしくて、家族そろって大好物だった。

午後もだいぶすぎていた。店のまえに自転車が一台とまっている。

70才をこえたばかりの白髪の男の人が出てきた。


つまようじをくわえ、歯をシーハーさせている。

生ビールを一杯ひっかけたらしい。顔がほんのり染まって、

どことなくご機嫌だった。足どりはしっかりしている。


自転車のハンドルをつかみ、足をうしろにけりあげて、またがると勢いよくツイーっと自転車をこぎだした。そのとたん、さっきまで自転車がとめてあったところに、

いきなり空から直径30cmの大きな火の塊がスーっと落ちてきた。


その塊がアスファルトにぶつかった瞬間に、光の粒子がほどけて溶け、地面に吸いこまれていった。その数秒後ガラガラガッシャーン、空が二つにわれて、崩れ落ちてきたのかと思うほどの地響(ひび)きが鳴りわたった。


大きな衝撃波と雷鳴が、あたり一面の空気をビリビリ震わせ、頭の上でとどろいた。塊の落下地点と、すでに動きはじめていた自転車との距離は2mもない。

たとえ直撃していなくても、落下直後に感電しなかったのは奇跡だった。


雨降っていない。路面はぬれていなかった。だから老人は助かったのだろう。雷は老人と、自転車をねらって激突してきた。


屠(ほふ)りそこねたいらだちをまき散らすように、その後もしばらくの間、

近くでゴロゴロくぐもった音を、大空一杯にとどろかせていた。


雷鳴が響きはじめた頃には、自転車は100m先まで進んでいた。

いきなりザバーと大粒の雨が落ちてきた。

それも突然一気に大空を引っくりかえしたような激しい雨脚(あまあし)だった。


件(くだん)のお爺さんは、自分が危機一髪のところで命拾いしたことなどなにも知らず、グイグイペダルをこぎつづけている。

雨で煙(けぶ)る中をいそいでどこかへ帰っていった。


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