空想語源〜負けず嫌いと呼ばれた男〜

コウノトリ🐣

負けず嫌い

 ありとあらゆる言葉が生まれ、変質する町、語源町。その町に住む菖蒲賢男しょうぶけんおは日清戦争勝利後、皆が練習試合に励む中、一人黙々と隅で木刀を振るっていた。

 そんな彼を周りの訓練生は揶揄して呼ぶ。負けるのを恐れて練習試合にさえ挑めない生粋の臆病者、であると。


 どれだけ揶揄われようと賢男はどうでも良かった。周りの訓練生は真面目な手前にやっかみをかけたいだけなのは自明であったから。どうせ、優秀な手前への嫉妬。気にするだけ損である。


「おい、負けず嫌い。そんなに負けるのが怖いか」


 手前は日清戦争勝利の熱にのぼせ上がって、今だけ真剣練習に取り組む同輩の訓練生の揶揄を流していた。手前は陸軍士官学校に入学し、将校となって日本を守る人材。育ててくれた恩義ある両親と日本を守ってくださる天皇陛下へ報じる身。


其方そなたらは手前に構っておらず、訓練に取り組めば如何か?」

「へっ! 練習試合もしないに言われずともやるわ」


 其方らのようなものにかける時間などない。木刀を振り回して打ち合い始めた同輩を尻目に手前は空想上の敵兵を木刀で斬る練習を継続した。最近、蛮国から輸入された姿見には手前の調った姿勢で木刀を振るう姿が写し出される。


手前の剣術の腕は上々かな」


 練習試合で同輩らが振る木刀と比べて手前の方が断然、技術が上。同輩らと遊んで練習試合やる必要性を考えられなかった。



――――夜柳矢行やなぎさゆき――――


 日清戦争が終わったのは小生らが陸軍の訓練生として語源町の兵舎で訓練に取り組むようになって二年の時が経ってから。小生らは精強なる日本軍の一人になるのだ。そのことがとても誇らしい。

 それ故に気に入らない。木刀を振る姿勢が綺麗だと先輩から褒められていた同輩がいる。やつは臆病者の練習試合から逃げるなのに。


「おい、。そんなに負けるのが怖いか」

其方そなたらは手前に構っておらず、訓練に取り組めば如何か?」


 小生の揶揄いにもやつは怒鳴ることもなく、"其方"と上から目線で余裕をぶって応じる。やつは精強な日本軍の兵卒の一人にたる自覚がない。臆病なお前がで練習試合さえも避けるやつが将校になろうとするなんて忌々しい。

 小生らはやつに日本軍人たる心構えを教えてやらねばならない。臆病であるな、勇敢であれ。


 やつは本当に小生らの挑発を買う気概さえもない。そんなに戦いから逃げるなら、兵舎から出て行け! 小生ら日本軍の兵に相応しくない。


! お前のような者は小生ら訓練生として相応しくない」

「其方らに手前のことを言う権限はない。越権行為にあたるぞ」

「口ばっかり達者なやつめ。お前のようなは非国民の家族の元で蹲っておけ!」

「貴様! 誰の親が非国民だと」

「そうであろう。お前のような、日本軍人の節度を乱す臆病者を育てたのだ。天皇陛下の役に立てぬ男子を育む家族はお前と同様に非国民だ」

「貴様、言った言葉は飲み込めぬぞ」


 やつはここまで言ってようやく木刀を抜いた。小生らはなやつが木刀を抜かなければ、士気を下げる非国民として誅するつもりでいた。やつが振るうのは何の捻りもない真っ直ぐな剣。

 やつの剣はあまりに素直で立ち姿と実力がチグハグであった。



――――喧嘩練習試合――――


 こういう時、小説やアニメなら彼は勝てたのであろう。ただ、これは現実。実践経験の欠如した訓練生と基礎で負けているものの、実践経験で圧倒的な差を持つ訓練生の勝負がそこにあった。


 手前が振るった木刀はあっさりと何度も夜柳は避けてみせた。手前は怒りで冷静でなかった。だから、手前は何度も木刀で打たれているのに、夜柳は一度も木刀に打たれていない。

 冷静になれば良い。それだけで手前の技術によって勝てる。手前は確信していた。夜柳の木刀は腕で振っていて力に無駄がある。手前の木刀には無駄がない。なのに――


 ――木刀が当たるのは手前だけ。信じない。手前が負けているなんて認めない。絶対に。絶対に手前の方が日本軍人として優れているに決まっているのだから。認めないからな!


 夜柳は何度打たれて血を流そうとも立ち向かってくるに慄くと同時にこれこそが日本軍人であると感じる。木刀は決して柔な武器ではない。打たれると痛いし、時には身を裂く。

 勇猛果敢、矜持がために挑む菖蒲の姿はまさに侍であろう。夜柳は菖蒲が元のに戻らないように徹底的に第三者が止めるまで打ち負かした。


 

――――事後――――


 菖蒲は夜柳に打ち負かされてからというもの、菖蒲は夜柳に試合を挑み続けた。全ては家族を冒涜した夜柳に謝罪させ、手前が強いという自尊心を取り戻すために。


「おいおい、またのやつ夜柳に試合っているぞ」

「ああ、アイツは負けず嫌いだかなね」


 菖蒲につけられたあだ名”負けず嫌い”だけが残り、彼の姿を見た人々は理解する。競争心が強く、負けることを極端に嫌う。あの姿が負けず嫌いなんだと。負けを認めず修練する姿を見て人々はそう悟った。

 もう誰も負けを恐れて臆病な者に対して”負けず嫌い”なんて言いはしない。負けず嫌いは菖蒲のように競争心が強く、負けることを極端に嫌う性格の者のことを言うのだから。




本来の語源

「負けず嫌い」は「負け嫌い」に否定の「ず」が加わったものと考えられています。明治時代以降に生まれた比較的新しい言葉で、「食わず嫌い」など他の表現と混同されて広まった説、また、「負けず嫌い」の「ず」は、打ち消しの意味ではなく、強調や意志を表すために使われたという説もあります。

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