第二話 媚沼凌介2

 五時間目の授業は眠気との戦いだった。凌介はぐっすり眠っている弘樹を横目に、なんとか眠気を堪えていた。

 授業の内容も悪かった。ただひたすらに黒板の文字と先生の言葉をノートに記す時間で、生徒はほとんど脱落していた。耐えていた筈の凌介も、気づけば夢の中へ迷い込んでしまっていた。

 凌介は道を歩いていた。前には聖也がいて、自分の道を歩んでいる。凌介は聖也の通った道をただついていっているだけだった。

 先を行く聖也が幸せを拾う。また拾う。また拾う。初めのうち、凌介はそれを見ているだけだったが、やがてあることに気づく。

 凌介には自分の道を進む権利もなく、幸せも流れてこない。全て前を行く聖也に奪われてしまう。

 凌介はやっと自分のしていることに疑いを抱き始めた。が、もう人生は終わりに差し掛かっていた。

「駄目だぁーッ!」

 そこで目が覚めた。凌介は立ち上がっていて、先生も眠っていた生徒も驚いた様子で彼を見ていた。

「媚沼くん、何を寝ぼけているんです?」

「あ……す、すいません……」

「ちょうどいい。そのまましばらく、立っていなさい」

 先生が告げると、クラスで笑いが起こった。凌介は照れながらも、内心は先程見た夢のせいで穏やかではなかった。

 そうして五時間目が終わり、六時間目が終わった。放課後の掃除が終わり、教室から生徒がいなくなっていく。カーストトップの四人と凌介は集まって帰る支度をしていた。

「帰りどっか寄るー?」

「悪い、今日も部活あるわ」

「えー、今日もー?」

 聖也と弘樹はサッカー部に所属していた。帰宅部の女子二人はぶーぶー文句を言っていたが、やがて仕方ないと諦める。

 凌介は五時間目に見た夢について、少し考え込んでいた。何かが彼に引っかかっていた。

「凌介、どうかしたか?」

 そんな凌介に気づいた聖也が彼に訊ねると、凌介は慌てて誤魔化した。

「い、いや、今日は俺も用事あった気がしてて!」

「あー、そなの? じゃ女子二人でどっか行く?」

「うん! 賛成ー!」

 話はまとまり解散し、各々がそれぞれの場所へ向かった。教室に残ったのは、凌介だけになった。

「……もし仮に」

 凌介は明かりの消えた教室で独りごちる。もし仮に、俺のやっていることが何にもならない行為だとしたら? 媚びることで青春を味わわせてもらっているが、実は青春でもなんでもないとしたら?

 あの頃、確かに俺は青春に憧れていた。でも、望んだのはこんな青春だったっけか?

 凌介は震えた。聖也がいないと何もできない。このままでは聖也が開拓した道をただ歩くだけのつまらない人生になってしまう。そんなの、俺の憧れた青春でもなんでもない。

「俺に……できるのか?」

 いや、やってやる。今からでも。今から、だからこそ。まだ間に合う。

「……こうなりゃ、今からでも独立してやる!」

 彼は誰もいない教室で独立することを決意した。その密かな独立宣言は静かな教室に響き、そして。

「その独立、協力してあげよっか?」

 そして、一人の女子の耳に届いていた。

「なっ――!」

 凌介が振り返ると、教室の戸を開けて穂波が立っていた。にやり、と普段とは想像もつかない怪しい笑みを浮かべている。

「か、帰ったんじゃ……なかったんすか……?」

「ちょっと忘れ物をしちゃってねー! てか……」

 凌介は彼女をまじまじと見つめた。聞かれていた? 気のせいということはないだろうか。

 だが、そんな凌介の期待を裏切るように、穂波はふふっ、と笑って言った。

「独立するんなら……その変な敬語、辞めたら?」

「き、聞いていたんすか……」

 呆然とする凌介をよそに、穂波は彼に近づいた。

「敬語、辞めたら?」

「ぐっ……聞いて、たのか?」

「まあねー! でも盗み聞きした訳じゃないからね。君が勝手に一人で話してただけ」

「そ、それは確かに」

 どうしよう、と凌介は考えた。冗談ということにしてなかったことにするか。だが、彼女は確か、協力してくれる、と言った筈だ。その真意が知りたい。彼は恐る恐る訊ねてみることにした。

「きょ、協力してくれる、って?」

「うん。そのまんまの意味。協力したげる」

「でも……なんで?」

 穂波は凌介を置いたまま教室を歩き、教卓に腰かけた。見下すように凌介を見ている。いつもの明るいだけの少女の姿は、そこにはない。

「君とは中学が違うからねー。……ってか、この高校に同じ中学の奴なんていないけど」

「それが、なんなんす……なんだよ」

「私、高校デビューなんだよねー」

 唐突のカミングアウトに凌介は怯んだ。は? この容姿、この性格で高校デビュー? まさか、あり得ない。

「あり得ない、って思ったでしょ? 片っ端から研究したんだよ。リア充について、ね」

 穂波は自身の髪の毛に触れながら「髪も染めたしねー」とつけ足した。

「マジですか」

「私、生まれつき勉強も運動も駄目だから、コミュ力一本で全て補ってるのー。凄いでしょ?」

 凌介は「凄い……」と感嘆の声を漏らした。

「で、なんで俺に……」

「だから、分からない? 君は勉強も運動もそれなりにできるじゃん! 顔も悪くない! なのに、媚びへつらって、自分から周りに舐められてる。意味分かんない。そんなの、私に喧嘩売ってるとしか思えない。見てるだけで苛つく」

「いや……そんなつもりは」

「でも、本当は欲があったんだ……ってね。だから協力してあげる。エセリア充のよしみだよ。本物の青春、手に入れよ?」

「……待ってくれよ」

 話が急過ぎて、凌介は少し混乱していた。一体自分は、どれ程の覚悟で独立宣言をしたのだろうか。

「ちなみに、断ったらどうする?」

 ふと、凌介が聞くと、穂波はポケットからスマホを取り出した。

「そんな選択肢ないよ。もう録音しちゃった! これを校内放送で流せば、どのみち君は独立せざるを得ない」

「んな無茶苦茶な……」

 つまり、巻き込まれて渋々独立するか、堂々と自分から独立するかの違いがあるだけか。

 だが、巻き込まれるのはごめんだ。そうじゃない、自分が巻き込む側になるんだ。俺の青春、俺の人生を生きるんだ。

「どうする?」

「やるよ……やってやるよ! 独立してやる!」

 凌介はぐっ、と拳に力を込めてそう言った。独立してみせる。俺の……俺だけの何かを手に入れられるように。

 穂波はそんな凌介を見てふふっ、と笑みを漏らし、再び彼に寄って手を差し出した。

「じゃあ、握手!」

 そして、二人は協力関係の握手を交わした。

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