ばあちゃん時々灰色の町、猫は本の隙間で鳴く。

Roa

第一章 初夏


ばあちゃんが死んだ ー


幼い頃、両親に捨てられ、親戚間でも厄介者扱いされ 引き取り手がおらず、


他に身寄りがなかった俺を唯一引き取ってくなれたのは、産まれてから一度も会った事すらなかった祖母だった。


祖母の葬儀を執り行なった際、親戚の一人から初めてそう聞かされた。


それまで知らなかったんだ。

俺は当時の記憶があまり無いから。


祖母は俺を引き取った経緯について決して話す事は無かった。


やがて葬儀が進み火葬され、小さな骨と灰になった祖母を見ても、俺は何処か他人事のようで、


今にも降り出しそうな夏の始まりを予感させる灰色の空をただ見つめるばかりだった。


見知らぬ親戚達は 皆作ったように神妙な顔をしていたが、それがなんとも居心地が悪かった。


皆が引き上げた後、がらんとした古く軋む家の中には、線香と祖母の匂いが微かに残るだけとなり


開け放した窓からは 湿気を帯びた風が吹き込み、窓辺に吊るされた風鈴を鳴らした。


「にゃあ」


いつの間にそこに居たのだろうか、足元で灰色の毛並みをした碧い瞳の猫が一声鳴いた。


生前祖母が飼育していた猫だ。

よく椅子に座る祖母の膝の上が心地良いのか乗っていたっけ。


俺は再び空を見上げる。

思えば、この町は何もかもが灰色だ。


町も人も空気も、時の流れにすらもし色があったとするならば、やはり灰色なんだろうな。


俺の暮らすこの町は、田畑と森林ばかりが広がる いわゆる〝田舎〟というやつだ。


本当に何も無い場所だ。


けれど、そんな田舎にも時の流れはあるのだと知ったのは、祖母の家から車で10分程の距離に23時間営業のスーパーマーケットが出来た事だろうか。


店内の隅には洒落たつもりなのだろうか、ブックカフェとは名ばかりの貸し出し専用の本屋が併設されたコーヒーショップがある。


祖母はコーヒーが好きで、店が出来た時、初めて俺が運転する車で連れて行くと大変喜んでいた。


俺は ふと思い立ち、そこへ赴いてみる事にした。


車に乗り込み、ふと後部座席を見ると、いつの間にか灰色の猫がそこに居た。


「お前も着いて来るのか?」


そう問い掛けても、猫はただ黙って座っているだけだ。


当然だ、答えるはずがない。


猫なのだから。




スーパーマーケットに着くと、車を降りる。


どうやら 猫はついてくる気はないらしい。

まぁ、店内は入店拒否だろうけど。


俺は 店内に入ると、野菜や惣菜等が売られている売り場を横目に通り過ぎる。


その先に件のブックカフェがあるからだ。


やがて店の前まで来た。


「いらっしゃいませ!」


俺と違い、愛想の良い店員の女性が笑顔で接客をする。


「…コーヒーをいただけますか」


俺が無愛想にそう言うと、店員は少し困った顔をして答えた。


「えーっと…種類はいかがなさいますか?」


「…詳しくないからわからないんだ」


女性店員は 手をポンッと叩く。


「そうですか…でしたら、こちらの方から香りをお試しいただいてからお選びいただけますよ!」


そういうと 店員はカウンターに並べられたガラス製の蓋が着いた容器を示した。


見ると中には、焙煎されたコーヒー豆が陶器の皿に入れられ置かれている。


傍にはコルクボードが立て掛けられ、そこに何やら紙が貼ってあって


【蓋に移った香りを嗅いでみてください】


と、書いてあった。


「豆の焙煎の仕方によっても、香りは変わってくるんですよ」


奥深そうな世界だな、と思いながら、俺は 一番手前の容器に手を掛けた。


ゆっくりと蓋を取り、鼻を近付けてみる。


「これは…柑橘系のフルーツのような香りがする」


「そちらはタンザニア産の キリマンジャロ という銘柄になります!非常にバランスが良く、毎日飲まれましても飽きがこないと思います!」


名前だけは 聞いたことがある。


コーヒーに関して無知な俺が知っているくらいだから、恐らく有名な銘柄なのだろう。


続いてその隣の容器を開いてみる。


「これは…深く燻したような、しかしどこかドライフルーツのような甘さがあるかな」


「そちらは 深煎りの グアテマラ でございます!一日の終わりに飲まれますと、大変癒されますよ!」


並べられた容器の中に、一つだけ


店員が描いたのだろうか、容器の下のカウンターに、お世辞にも可愛いとは 言い難い容姿の猫が


【当店の オリジナルブレンドにゃん!!】


と、女性らしい手書きの文字とともに ポストイットのような紙に書かれて貼り付けてあった。


俺は気になって、容器の蓋を取り香りを嗅ぐ。


「これは…」


言葉が詰まる。


「どうかなさいましたか?」


「いや…」


店員の心配そうな問いに、そう答えるのが精一杯だった。


この香りを俺は知っている…


これは…祖母が 俺によく淹れてくれたコーヒーの香りだ。


なぜ 今まで忘れていたのだろうか。


「これを下さい」


「ありがとうございます!何グラムにいたしますか?」


俺は とりあえず オリジナルブレンド200gを購入し店を後にした。


こんな言い方は おかしいかも知れないけど、紙袋から香るコーヒーの香りで、この灰色の世界に、微かに色が挿したような気がしたんだ。


車に戻ると、すっかり忘れかけていた灰色の猫が、後部座席の上で まるで置物のように鎮座していた。


車を走らせ帰路に着く。




やがて祖母の家に着き、車を降り、猫のために後部座席を開けてやろうと思い窓から覗くが、なぜか その猫が見当たらない。


「にゃあ」


背後で鳴き声がして振り返ると、〝早く戸を開けろ〟と言いたげな表情の猫が家の玄関前に居た。


「まるで亡霊のようなやつだな…」


俺はそう思いながら玄関の戸を開いた。


荷物を置き、居間に敷かれた座布団に腰を下ろし、卓袱台に突っ伏した。





ーー 柱時計の音で目が覚めた。


どうやら昼間の疲れで あのまま眠ってしまったようだ。


痛む身体を ほぐしながら上体を起こすと、気が付けば 陽は完全に落ち、家の中は暗闇に包まれていた。


今は 何時だろうか…


立ち上がり、電灯の紐を引く。


ちかちか と 二、三回 明滅した後、ようやく部屋の中を照らす。


室内の明かりで照らされた 縁側から見える庭先には、僅かに咲き始めた紫陽花が 雨が降るのを 待ち侘びているように見えた。


しんと静まり返った室内で、俺は しばらくその景色を眺めていた。


とくに何を考えるでもなく、ただ、どこか 心の奥に引っかかるような感覚があった。


そのとき——背後で、布が擦れる音がし、続いて声がした。


「…起きたかい」


低く、少しかすれていて…


けれど 妙に懐かしい響きだった。


でも…まさかそんなはずは…


ゆっくりと振り向くと、そこには、あの灰色の猫が、卓袱台の近くに敷かれた座布団の上に ちょこんと座り、まっすぐこちらを見詰めていた。


思わず俺は 有り得ないことだとは理解しながらも、つい言葉を発していた。


「……ばあちゃん…?」


声に出した自分の言葉が、自分自身でも信じられなかった。


ただ、自然とそんな言葉を発していたんだ。


猫は、ふうっと息を吐き、俺の疑問に対し はっきりと人の言葉で、祖母の声で答えた。


「そうだよ。不思議な事もあるもんだねぇ」


その声は、俺にとって世界でいちばん優しい声だった。


俺は驚きのあまり 言葉を失い、思わずその場に 崩れるようにして座り込んでしまった。


目の前の〝祖母の声をした猫〟は、相変わらず静かに、そしてどこか申し訳なさそうに 俺を見ている。


「…夢、じゃないのか?」


俺は 思わずそう呟いた。


目の前に居るのは、猫だ…


猫が喋るはずがない、しかも祖母の声でなんて…


あまりにも非現実的な状況に思考が追いつかない。


しかし、その猫の眼差しは、俺のよく知っているものだった。


「夢でも幻でもないようだね。

…私も信じ難いけどね」


猫が…いや祖母が、少し困った顔をして言った。


その話し方も、確かにばあちゃんだった。


「どうして…だってばあちゃんは…」


言おうとして、俺は言葉に詰まる。


言ったら、言ってしまったら、また居なくなってしまうような気がしたから。


死んだはずの祖母が、猫の身体で喋っている。


気が付けば、俺はいつの間にか泣いていた。


涙が溢れたのは、非現実的な現象に対する驚愕でも、ましてや恐怖からでもないはずだ。


俺の心の中に、深く穿たれた 穴のように空いていた〝何か〟の痛みに、気付かされたからかも知れない。


「…まだ やり残したことがあるみたいだねぇ」


祖母は静かにそう言った。


「寂しかったかい?」


猫の姿をした祖母は、座り込んだ俺に近付くと、器用に前足をすっと伸ばす。


その仕草は、かつて俺が泣いている時に、そっと優しく俺の頭を撫でてくれた、祖母の手ひら のような温かさがあった。


「さてと…お腹空いただろ?晩御飯にしようかね」


「…え?」


祖母は、猫の身体で器用にすっくと二本足で立ち上がると、台所へ向かう。


頷いて俺は思わず口を開いた。


「二足歩行出来るんだね…」


台所へ向かいかけていた祖母は足を止め、こちらを振り向いた。


「ああ、なんだか身体が軽くてねぇ。今ならなんでも出来そうさ」


そう言って再び台所へ向かい、料理の準備を始める祖母


しかし 身体はやはり猫だから、重い物は持てないし、刃物だって使えない。


「…身体は軽いのに不便だねぇ…」


見かねて俺が手伝う事にした。


祖母の指示で出来上がった晩飯は


やはり祖母の手料理の味だった。


しとしと と降り出した霧雨が、庭先で咲く紫陽花の花と葉を濡らした。


その日から、灰色をした猫の姿になった祖母と俺の奇妙な生活が始まった。



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ばあちゃん時々灰色の町、猫は本の隙間で鳴く。 Roa @roa_anakowa

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