E10-03 再起

……何も、終わっていなかった。


鉛のように重かったエルの身体に、わずかな熱が灯る。


「……わたしは、器なんかじゃ、ない」


薔薇色の瞳に、強い光が宿る。


グラディウスが昏い嗤いを浮かべ、ゆっくりとエルに杖を向ける。


その杖先が触れようかというその刹那。


エルの唇が、かすかに動いた。


声にもならないほどの小さな呟き。


吐息のようなそれが紡がれた瞬間、空気が震えた。


太古の世界を生きた思念体。


星塔アストラリウムの守護者をぶ、魔法の言葉。


「おじいちゃん……!わたしに、力を貸して……!」


その囁きに応えるように、輝かんばかりの星色の光がエルの身体を包み込んだ。


ずっと途切れていた魔力の流れが、身体の奥から甦ってくる。


解放された魔力が空間を撫で、見えない波紋が静かに広がる。


四肢を拘束していた鎖が、音もなく解けていき、白とも銀ともつかぬ強い光が、場を徐々に満たしていく。


グラディウスは硬直した。


「こっ、これは……『星色のマナ』!? 星塔アストラリウムの魔術波が、なぜお前から!?

そうか!違う……違うぞ……! 星塔アストラリウムの暴走ではなかった……器が、最初に暴走したのじゃ……!

やはり、そういうことだったのだ! こやつが『鍵』なのじゃ! 星塔アストラリウムの力は――こやつのもの……!」


床から身を起こそうとするエルを、驚いたアスラドが蹴り飛ばす。


エルのそばに浮かび上がり始めていた思念体が千々に霧散した。


グラディウスが魔力を増幅させると、床の魔法陣が赤く脈動し、赤と白、二つの光が空間を割って拮抗し始める。


「ふふ……無駄だ!古代魔術は理論が精密なぶん、発動には時間がかかる。お前が何をしようと、手遅れなのじゃ……!はははは!!僥倖だ!!お前さえ手に入れれば、星塔アストラリウムの力が我が物になる……!これは、運命だったのじゃ!」


グラディウスの言葉に呼応するように、アスラドも声を上げた。


「お前は呪いを受け継ぐ器! この俺のために生まれてきた、哀れな生贄だ!」


エルは、静かに目を閉じた。


(……呪い? 運命? そんなもの、いらない)


星塔アストラリウム


アル=ザルが遺した知識と、幾千の星のように連なる魔術の軌跡。


あの日、硝子ガラスの檻の中で願った、たった一つのこと――






『自由になりたい』


その願いが、今やっと、自分の手に宿っている。


「……わたしは呪いを受け継ぐ器なんかじゃない。わたしは、星塔アストラリウムを受け継ぐ者」


光が爆ぜた。


白雷のような魔力が一気に膨れ上がり、場の支配権を塗り替えていく。


グラディウスが必死に術式を強化するが、アスラドは耐えきれず、怒りに任せて剣を抜いた。


「黙れぇぇっ! 下賤の女めが! ならば、その身に刻んでくれよう!お前はただの器だ!肉体はただの人間。切れば血が噴き出し、赦しを乞うようになるだろう!」


まだ床に片膝をついたままのエルの前に、アスラドが剣を振りかざした。


だが――エルの瞳は、アスラドを見ていなかった。


「あ……」


「何を見ている!? 俺を見ろ! 大陸で最も偉大な王となる男の姿を!!」


エルは、どこか遠くを見つめたまま目を見開く。


誰も気づいていない。


エルだけが、その気配を感じ取っていた。


近づいてくる、黒い嵐のようなマナを。


「来てくれる……!魔術師さん……!!」


「戯言を……黙れと言っているっ!!」


刀が振り下ろされる。


白刃がエルの喉元に届く、まさに寸前。


空気が張りつめた弓のように緊張し、そして――空間が、裂けた。


轟音と共に、青白い光の柱が吹き上がる。


裂け目から姿を現したのは、琥珀の瞳を獣のように光らせる、長身の男。


「……遅れて悪かったな」


レイヴが、エルを庇うように前に立つ。


「ここからは――俺に任せろ」

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