E09-01 外交の時間―夜会にて―

モルテヴィアの夜会は、実に豪華絢爛だった。


ありったけの資金を注ぎ込んだと言わんばかりの過剰なまでの装飾が目立つ。


壁のいたるところには金糸のタペストリーが掛けられ、天井からは宝石のついたシャンデリアが垂れ下がり、おまけに甘い香が鼻腔をくすぐる。


すべて贅を凝らしてはいるが、そのどこかが奇妙に空虚で、美しさよりもどれだけ金をかけたか――そんな虚栄心が滲み出るようだった。


それでも珍しい高級食材や種々の酒などがふんだんに用意されたので、来賓たちは酒杯を片手にあちこちで会話に花を咲かせていた。


そんな中、噂の的は新興国ノーラの次期大公エルシア=ノーラとその王配となる魔術師レヴィアンであった。


平民出身の若き寡婦、しかも元冒険者――

その王配は亡き前大公の友人といえども市井の魔術師――


「まったく、どんな田舎娘が出てくることやら。さぞ見物でしょうね」


「冒険者なんて、なんて野蛮な……!知性も品位もかけらもないような人種でしょう?ああ、同じ空間にいるのも嫌だわ」


「ドレスをいくら飾り立てたところで、所詮は野卑な成金の国じゃありませんこと?」


あざけりの囁きがあちらこちらから聞こえてくる。


モルテヴィアの貴族夫人や未婚の令嬢たちである。


国の経済不況のあおりを受け、モルテヴィアの貴族たちの財政事情も芳しくない。


ねたそねみも混ぜ合わせて、新興国家の若き元首を揶揄せずにはおれないのだ。


――そのとき、会場がざわめいた。


大扉が開き、入場の合図とともにエルとレイヴが並んで姿を現したからだ。


「………………!!」


誰も、口をきけなかった。


息を呑む音だけが会場に伝播していく。


扉から現れたのは、光り輝くひとだった。


白磁の肌に、薄紅の唇。


金粉を散らした銀髪を高く結い上げているので、白く細いうなじが露わになっている。


宝石のように輝く薔薇色の瞳は真っ直ぐに前を向き、静かに来賓たちを見回した。


「……まるで、女神だ」


誰ともなく呟いたその声が、波紋のように広がった。


エルがゆっくりと歩を進めるたびに、ドレスの裾が波のように揺れる。


身体の曲線に沿った淡い象牙色アイボリーのドレスは裾部分から流れるように広がり、下の方はだんだんとゴールドの色合いが濃くなるよう複雑に布が重ねられている。


華美な意匠デザインではなく、むしろ最小限の装飾しか施されていない。


それがエルの美貌を逆に引き立てていた。


すべてが完璧だった。


威厳と気品、若さと艶やかさが結晶となったようだった。


輝かんばかりのエルの美貌を目の当たりにしたモルテヴィアの令嬢たちは、ごてごてと装飾が施された刺繍だらけの自分たちのドレスを見下ろし、またエルの姿を見て、何も言えなくなった。


隣のレイヴも、誰もが見惚れるほどの男ぶりである。


長身を漆黒の礼服で包み、要所に埋め込まれた紅玉が燦然と輝く。


琥珀の瞳には怜悧な光が浮かび、一目で油断のならない男だとわかる。


エルをそつなくエスコートする姿は気品に満ち溢れているのに、貴族の男にはない野趣がある。


未婚の貴族令嬢たちは誰もがレイヴから目を離せなくなってしまい、夫人たちですら夫をそっちのけにしてちらちらと視線を送る始末であった。


ノーラ公国は豊かな経済を誇る、新進気鋭の新興国家だ。


冒険者ギルドとも良好な関係を築いており、ましてや転移陣ポータルの中継基地がある物流拠点である。


来賓たちは慌てて思考の歯車を回し始めた。


この若き元首とその王配に、どのように言葉をかけ、どう距離を測るべきか――。


エルとレイヴは周りの反応を正しく理解すると、素早く目配せを交わした。


――うまく注目を集められたみたいだね――


――着せ替え人形になった甲斐があったってもんだぜ――


エルは嫣然と微笑むと、レイヴの耳にだけ届くようにそっと囁いた。


「さあ、楽しい外交の時間だよ」


各国の王族や貴族たちは、手にした酒杯の向こうで目線を交わしながら、誰が先陣を切って新興国ノーラの元首に話しかけるべきかを探っていた。


その静かな駆け引きを、思わぬ声が破った。


「まあ……さぞ目立ちたかったのでしょうね。あの色、ご覧になって? モルテヴィアではゴールドなど一昨年の流行ですわ。田舎にはまだ伝わっていなかったのかしら」


声の主は、モルテヴィアの貴族令嬢である。


数人の取り巻きとともにエルとレイヴの正面へと割って入ってきた。


わざとらしく笑いながら。


背後では要人たちが、揃って凍りついた表情になる。


「……なんてことを言ってくれるんだ!!」と言いたげな視線を向けられているのに、令嬢本人はまるで気づいていない。


エルは足を止めた。


薔薇色の瞳がゆっくりと瞬き、彼女たちへ優しく向けられる。


「ご機嫌よう。ご親切にありがとうございます。――ですが、色というものに本来、流行り廃りなどないのではありませんこと? 身に纏う者の好みと、大切な方への愛情のほうが、大事だとわたくしは思いますわ」


「……愛情?」


令嬢が眉をひそめたとき、ようやく周囲の視線に気づいた。


取り巻きたちもはっとし、エルの隣にいるレイヴを見て青ざめる。


――そう、エルのドレスに込められた意味に気づいたのだ。


象牙色アイボリーの地に、裾へ向かうほど深まるゴールドのグラデーション。


広がる裾には、琥珀色の小さなビーズが星屑のように散りばめられ、光を受けて優しく輝く。


もちろん、それはレイヴの琥珀色の瞳に見立てて仕立てられたものだ。


パートナーの色をお互いに身に着けるのは社交界ではごく定番の装いなのに、それを「流行遅れ」と断じてしまったのだ。


それでは失礼を通り越して常識外れである。


「わっ……私としたことが、言い間違えてしまいましたわ! 色ではなく、意匠デザインのことを申し上げたかったのです! そのように肌を剥き出しにするなど、なんと破廉恥な……!」


令嬢は慌てて話をすり替えた。


エルのドレスには袖がなく、肩が露わになっているのでそれを指摘したのだ。


ちなみに実際は肘までを覆う絹の長手袋を着けているので露出は抑えられており、むしろ夏の夜会にふさわしい清楚な装いである。


さらに片足には深い切込スリットが入っており、艶やかながら動きやすさが担保されている。


「まあ、そうでしたの。……ご忠告、感謝いたします。では、わたくしも親切心から申し上げますが、このドレスは、第三大陸トリア・ゼラム随一の仕立職人――ミレア=ヴォルティア女史の最新作でございますの」


その一言で、周囲に小さなどよめきが広がった。


ミレア=ヴォルティア女史のドレスは社交界で絶大な人気を博している。


滅多に手に入らぬと評判の女史のドレスの、ましてや最新作とは――!


各国の来賓の女性陣は目の色を変えた。


女史のドレスと、それを華麗に着こなすエルに熱い視線を送る。


モルテヴィアの令嬢たちだけが、ぽかんとした表情だ。


エルは微笑みを崩さず、けれど芯のある声で告げる。


「モルテヴィアのご令嬢方は随分と古風な意匠デザインを好まれるものと驚いておりましたが……。そもそもこちらには、流通していないのでしたわね?」


モルテヴィアが転移陣ポータルでの外部との直接接続を制限していることは、今や公然の事実。


仕立職人の最新作など届くはずもなく、令嬢の発言はまさに無知の証明であった。


「な、なな……なんですって!? モルテヴィアを流行遅れとおっしゃるの!? ノーラなんて、わたくしたちの国と比べたら、まるで洗練されていないわ!」


令嬢の手が震え、ドレスの裾をきつく握る。


彼女の声が一段高くなった。


だが、もたついたドレスを身に着け声を荒げる姿と、気品に満ちたエルを見比べた誰もが、その言葉の虚しさを感じていた。


「……そうですね。ノーラは冒険者たちに支えられた、自由の国ですから。あまり形式にはこだわりませんの。たとえば――身分の足りない者が、国家元首に不躾に声をかける、のようなね」


場が静まり返る。


ひやりと冷たい言葉の刃が、令嬢の喉元に突きつけられたのだ。


エルの声はあくまで穏やかだが、その言葉が意味するものは誰の耳にも明白だった。


「ご安心を。ノーラでは、そんな些細なことは問題になりませんわ。……ですが、身分の代わりに必要なものがございますの」


令嬢たちが戸惑いの表情を浮かべる。


「え……?」


エルの瞳が、きらりと光った。


レイヴはエルのマナが脈打つのを感じ――、次の瞬間、し出された魔力が空気を震わせる。


「ひっ……!」


令嬢の身体が震え、後退りした足が絨毯の縁に引っかかった。


声にならない悲鳴を上げて、令嬢が尻もちをつく。


何が起きたのか分からず、周囲は一瞬だけ静まり返った。


魔力を持たぬ者には、彼女がただ勝手に転んだようにしか見えない。


取り巻きの一人が慌てて手を差し伸べるが、令嬢の顔は羞恥に染まり、言葉を失っている。

  

エルは一瞥しただけで、レイヴの腕に軽く手を添えた。


まるで何事もなかったようにさらりと告げる。


「我が国は自由な国風と申し上げましたが、自由には責任が伴います。

ノーラでは実力が物を言います。……力のない者が騒ぎ立てると、ときに自分の足元をすくわれることもありますのよ。こんなふうにね」


穏やかな口調の中の明らかな警告に令嬢たちは震え上がった。


転んだ令嬢にも、多少の魔力があったようだ。


エルの強大なマナを感じとったようで、その顔色は真っ青である。


レイヴが小声で笑った。


「……おまえ、やっぱり猫かぶりがうまいな」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る