正しいロケットキックの飛ばし方

RGG

本編 部室争奪戦編

第1話 参上、落語研究部

『青春』

1.(五行説で春は青にあてる)春。陽春。(運歩色葉)

2.年の若い時代。人生の春にたとえられる時期。「―時代」「―の思い出」―‐き【青春期】






はじめに


私がこれを書くに至った動機というと、まったく得体のしれない情熱につき動かされたとしかいいようがない。

私は幼少のみぎりより軽率で勇名をはせ、両親より「これは大成すまい」と早々に見切りをつけられていたものだ。私個人としてその評価に多少思うところはあるにせよ、命のような貴重な青春、命より貴重なキャンパスライフの幾ばくかをこんなことに費やしたのだからまったく粗忽のそしりは免れまい。

とはいえ、ここに現れる人物のどれをとっても満天下に燦然と輝く粗忽者ばかりという体たらくで、今さら私の与太郎ぶりなど彼らに比ぶれば実にささやかなものである。


彼らは半世紀もの間、多くの身から出た錆とまったく争う必要のない戦いを勝ち抜き、周囲から羨望と畏怖と軽蔑のまなざしを一身に集め、騒動をチンドン屋のちらしのように振りまきつつキャンパス内を闊歩していた。隆盛をきわめ我が世の春を謳歌していた彼らがなぜ一朝にしてその姿を消したのか。

彼らがいた時代とはなんだったのか。

彼らを失って私たちはなにを失いまた得たのか。


私はかたじけなくも彼らの後輩にあたり、いわゆる阿呆の系譜の末席をけがす者である。

彼らのことを知るに及んで、いよいよこれは私よりさらに続く後輩諸君らに語り継ぎ、なにがしかの教範にしてもらおうと思いこれを記す。なに阿呆な話でも教訓というものはいくらでも得られるものである。

目をつぶり、耳をふさぐことも出来る。

他山の石としてこれからの指針とすることも出来る。

すべてはこれを読む諸氏らの自由である。


北へ向かう者は敬虔と繁栄を手にし、南へ向かう者は享楽と退廃を手にするという。彼らは迷うことなく南へと驀進する者だろう。

これを今、手にしている君はどうであろうか。


彼らは確かに阿呆かもしれぬが、それでもこういった形で諸君らに語り継ぐ価値が少しくらいはあるのではないだろうかとぼんやり思っている。






『正しいロケットキックの飛ばし方』


桜が咲いたと思ったら早々に退散し、そろそろ入梅の気配感じる六月。

ここは関東平野のど真ん中、東京の上部に位置する埼玉県。舞台はそのふところの更に奥地にある。

華の都より電車で約一時間半。電車一本で行けるフットワークでありながらここは物にあふれた都会と違い交通量も少なく、近くにある広大な国営の森林公園のせいか空気が清々しい。まぁ要するに田舎だ。都会より多いものといえば田畑と使われていない土地と野良猫くらいのものだろう。安国大学の敷地も多分にもれずなかなかに広大であるため、一部は野良猫の棲みかと化している。


――リュックを背負い少女はキックボードを軽快に蹴る。短髪が風にゆるくなびく。


そんな自然豊かな擬似盆地の底に、われらが大学はある。


その一隅に部室棟と呼ばれる建物がある。上から見ると大きなL字形になった三階建ての建物で、L字の内側にはゆるく弧をえがく中庭と各階へ伸びる外階段があり、外側は各運動部のコートが広がっている。

一階はL字の内側に各サークルの部屋が並んでいて、その向かいは倉庫、お手洗いなどになっている。二階は一階とは反対に、L字の外側にサークルの部室が並び、内側には壁がなく吹きっさらしの廊下の向こうに中庭が広がっている。L字の接点部はちょっとした広さの踊り場になっていて、自販機や会議室などもここにある。各扉の前にはたいてい勧誘のための様々な看板や張り紙、奇怪なオブジェが並んでいる。


――中庭にキックボードを置き捨てると外階段を使って二階へと上がる。


部室棟にはそれぞれ各階ごとに統括団体によって区分けされている。一階は体育会の治める体育系サークル。二階は文化団体連合会本部が治める文化系。三階は研究会連合の研究会系、といった具合である。他にも部室を持たず、それゆえにどこの団体にも所属していない通称『地下(じげ)組織』と呼ばれる弱小サークル群もある。


二階のひときわすすけた看板が置かれた部屋の前にやってきた少女は、カギがかかっていないことを確認するとドアノブをひねる。にぶい音とともに開かれる扉は相当に重たいので肩で押すようにして中へと入る。

木製の看板に墨書された文字は風雨にさらされてすすけて読めず、何故か看板の上には溶接などに使われるマスクがぶら下がっていた。


「おはようです。」


部屋は縦長に十二畳ほどある。壁はコンクリートむき出しで部屋の一番おくに窓が一つだけある。部屋の一番おくから真ん中のあたりまで酒屋のビールケースを敷き詰め、その上に畳を六畳、敷いているため部屋の奥半分だけ一段高くなっている。窓は本来、胸ほどの高さにあるのだが、このため畳の上に立つと窓は腰掛けるのにちょうどいい位置に落ち着くことになる。畳の上には小さなテーブル、本棚、ラジカセなどが置かれ、他にも用途不明の物体が乱雑にバラまかれている。部屋の手前側はドアを開けてすぐ右側(ドアは一番左についている)に腰ほどの高さのテーブルがある。その上にはテレビ、ビデオデッキ、家庭用ゲーム機などが置かれ、テーブルの下には様々なものが詰め込まれた衣装ケースが積まれている。右の壁にはベニヤなど木材が立てかけてあり、床には背もたれのない丸椅子や台車など雑然としている。


「あれ、ずいぶん早いね。」


靴を後ろ足で放り投げるようにして脱ぎながら、小柄な少女は先客に声をかける。畳の上には男が壁に寄りかかりながら、文庫本を読んでいた。少女は左肩にひっかけるようにして背負っていたリュックを畳のすみに投げるようにして置き、ところどころ擦り切れた青紫色の座布団を引き寄せ尻の下に敷く。


「いやまいったまいった。昨日あのまま飲んじゃってさ。面倒だからそのまま来たわ。」


大きくあくびを一つ、あごをしゃくった先には綿がつぶれてぺたんこになった布団にくるまって眠る男の姿があった。ちなみに畳の上に置かれたテーブルは元々こたつで、この時期には布団は当然取り外している。いうまでもなく男が使っている布団はそれである。


「うぇ、じゃあ徹夜だったんだ。あーさんは。」

「マキノか、まだ見てないな。」




ここは安国大学とその近隣に悪名を轟かす団体の巣窟。創立されて五十余年。「面白ければなんでもいい」という趣旨のもと集まったこの平成の御世にちょっとみないはねっかえり集団は「安国大学の梁山泊」と異名され、学内きっての無法地帯とされている。


「それが我が落語研究部なのです。」

「起きたんですか師匠。」


先ほどまで布団にくるまって眠っていた男が目を覚ます。

口周りからあごを黒々と染めたひげと肩まで伸びた髪、そして鶴のような痩身を深緑色のつなぎで包んでいるそのいでたちはどこから見てもまともでない。一目で常人ではないとわかる風貌で、支部長のミネモン氏に言わせれば


「良く言ってヒッピー、悪く言えばヒロポン中毒。」


まさしくしかり。


「む、池田の姿が見えないな。」

「さっき師匠がタバコ買ってこいって言ったんじゃないですか。」

「増田、俺は貴様の師匠ではないと何度言えば」


そんなときゴン、という音とともにドアが開き、一組の男女が入ってきた。呑気そうな小太りの外見に、目だけが油断なさげに、いかにも機敏そうに動いている男性と、背までまっすぐ伸びた黒髪が目をひく着物の女性。身長は女性の方が他の女性と比べても高いため、二人並ぶと頭一つ分は差があるのがどこかおかしさを感じさせる。

この部屋のドアはたてつけが悪いらしく、どういう具合かゴゥン、とドア自体が震えながら開く。鉄製なので熱膨張するのかもしれない。


「あら、ハルちゃん。」

「先輩、タバコ買ってきましたよ。」

「あ、あーさんいらはいいらはい。」


「ハルちゃん」と呼ばれた小柄な女性は手招きをして「あーさん」と呼ばれた女性に自分が使っていた座布団を薦めるが「あーさん」はそれを丁寧に断り直接、畳に腰を下ろす。


「なんだ、ラッキーではないではないか。」


「師匠」痩身の男がタバコの箱をみて顔をしかめる。


「あすこのコンビニ、ちょうど切らしてました。」


「池田」と呼ばれた小太りの男は悪びれずにそういうとレシートとおつりを男に渡す。まぁいい、と男はタバコをあけると早速火をつけ紫煙をくゆらす。煙は窓の外へ細く長く伸びていく。その先には梅雨にはまだ遠そうな、からりとした空が広がっていた。


こうしてそれぞれが行動を始める。女性陣は一昔前に鳴り物入りで発売されたもののあまり流行らなかった家庭用ゲーム機で対戦し、男三人はテーブルを囲んで軍人将棋を指していた。ここはいつもこんな風である。適当に集まって、それぞれが好き勝手なことをして、適当に解散していく。本を読むものもいれば寝ているものもいる。ネタを作れば無益な議論に時間を費やしたりもする。


「天気がいいなぁ」


相手のミサイル攻撃で自陣が焼け野原になった頃、窓の外をぼんやり眺めて痩身の男が呟いた。タバコは既に灰皿いっぱいだがまだくわえている。チェーンスモーカーなのだ。

ちなみにこの部室棟は、倉庫などがあるせいか一階が一番広く、その上に二階三階が乗っかるような形になっている。ピラミッドに近いといえば近い。自然、二階の窓から一階の屋根――というより天井の上に乗れるようになっていて、結構な広さがある。雨水の排水の関係などから窓の外には出ることは禁止されているが、殆どの生徒がここを「ベランダ」として利用している。その「ベランダ」の向こう、各部の運動場が広がり、彼ら落研の部室から一番近いのはテニス部のコートである。


「野球をしよう」


太陽に照らされてテニスに興じる連中を眺めつつ、そんなことを言い出した。増田が顔をしかめる。


「またそんな。道具がありやせんぜ。」

「道具なんぞ、そこいらを漁れば出てくる。」


んな阿呆な、といいつつ増田が部室の隅の雑多なゴミ山を漁ると金属バットと人数分のグローブが発掘された。あるもんだね。


「あるもんだね。」

「よし行くぞ。お前らもいつまでもバーチャロンをやってるんじゃない。」

「え。」


女性陣のゲームは既にセガサターンに移っていた。「ハル」のテムジンが「あーさん」のアファームドに大敗したところだった。




キン、と金属バットの甲高い音が中庭に響く。白球は遠く部室棟の向こうに広がる林に消えていった。

余談になるがこの安国大学は都心の大学と違い、広大な敷地面積を誇り、そしてその自慢の面積の殆どは鬱蒼とした林に覆われている。その中に各学部のゼミ室、研究棟などが点在し、慣れない新入生などはうっかり迷いこんでうろうろしていると、突如として森の中から悪の秘密基地のような建物が現れて驚く羽目になる。


「うむうむ、なかなか良いではないか。」

「良かぁないですよ。拾いにいくのが大変だぁ。」

「きりきり走れ。ホームランだぞ。」


野球をしようと言ったものの当たり前だが人数が足りないのでひたすら投げては打つ、というノックになっていた。球が森林に消えるたび増田と池田が走って拾い、投げ返す。池田は小柄で太めだが、意外と機敏に動くのに対し、増田は大柄で体つきは立派なものだが、一連の動きをみているかぎり、さほど運動神経は良くなさそうだ。どたどたと走っている。


「悪うござんした、ね。」


肩が抜けるほど大きく投げた球は近くの木に当たり明後日の方向へ飛んでいく。


「まぬけぇ。」

「あははははは。」

「まぁ無様。」

「誰だいまシンプル悪口言ったやつは。」


「師匠」がバットを振り回しながら罵倒していると


「やめなさい落語研究部。ただちに野球をやめなさい。」


突如として彼らの後方、部室棟の方から声がした。やや甲走った声に一同がふりむくと腕組みをした女の人がこちらをにらみつけていた。

背丈はさほど高くない。しかし背中までまっすぐに伸びた髪、力強い目にきゅっと結んだ口からは意思の強さを感じ、実際より彼女を大きく見せた。実際、彼女を見た彼らは一様にげ、と驚いた顔をして


「やぁこれはこれは龍野さんじゃあありませんか。」

「あ、超子だ。やっほー。」

「あら一緒に野球やりますか。投げて打つだけですけど。」


龍野超子と呼ばれた女性はそれには答えず


「横田、増田嬉野(よしの)、池田和良(かずよし)、馬場春満(はるみ)、牧野青々(あおあお)、そこに並びなさい。」

「なんでわざわざフルネームよ。真面目か。」

「真面目でしょ。それより横田先輩だけなんで名字。」

「下の名前知らないんじゃない。」

「そういえば私も知りません。」

「先輩、下の名前なんてぇの。」

「えぇい黙れ黙れ小僧ども。」

「そう、黙って一列に並びなさい。」


いつの間にか超子の後ろには数名の生徒が並んでこちらを見ていた。どうも視線をみるかぎりあまり好意的な視線には見えない。しぶしぶ一列に並び、彼らと向かい合う形になる。


「これはこれは。文団の正式なご登場ですな。」

「そう。今回の件、文団として裁決を下します。」

「といっても野球してただけだで。」

「中庭で野球なんてしないで下さい。球が窓ガラスにでも当たったらどうするつもりですか。」

「ガラスに聞け。根性のあるガラスなら耐える。こちらの根性が勝ればガラスは割れる。」


横田が腕を組み当然、という顔で胸をそらすのを見て超子は、はぁ、とため息ひとつつき呆れた顔で


「割れたガラスの責任は取れるんですか。」

「取れぬ。大体、所属団体の尻ぬぐいのためにお前たち管轄団体がいるのだろう。」

「そうだそうだ。」

「その通り。」

「なにかあったら超子よろしく。」

「一分の隙もない、完璧な物の道理かと。」


ぴき、と青筋がたてられる音が聞こえた気がした。それでも超子はひきつった笑顔のまま話しかける。驚くべき忍耐力といえるだろう。私ならこんな集団の相手は到底ご免被る。狂人と議論など出来ると考える方がおかしい。出来ると思っているのならそいつもまた狂人だ。


「あなたたち落語研究部を文化団体連合会に入れたことが百年の誤りでしたね。」

「まだ創部から五十年だ。その判断はあと半世紀早いな。」

「あなたたちが残り半世紀で更生してくれるなんて思いません。こちらはとっくに諦めています。」

「人間に対する可能性を信じられないとは。可哀想なやつだな。」

「人間の可能性を信じているのなら、いたいけな一回生を堕落の道に引き込むのをやめてください。」

「知らんのか超子。落研の落は堕落の落だぞ。」


とにかく、と声を荒げる。


「中庭での危険行為は禁じられています。これは文団の規則ではなくその上、学生会館運営規約に定められています。」

「オレンジノートか。あんなの覚えてるやついるのか。」


ちなみに部室棟の正式名称は「学生会館」。教師の立ち入りが禁止された、完全に生徒に自治が任された独立地区である。教師の立ち入りはおろか、運営方針に介入も出来ない、守護不入の地である。


「落語研究部に減点二点とします。」


それを聞いて全員がえぇ、と抗議の声をあげる。


「またぁ。こないだも二点減点したじゃん。」

「四月にもなにかで減点された気がするな。」

「このままじゃあっという間に点数がなくなるね。」

「お代官さまぁ。」


すがりつくような一回生四人組の仕草にえぇいやかましい、と一蹴する超子。


「とにかく、裁断は下されました。これ以上の失点は文団からの脱退を意味します。肝に免じて大人しく過ごすように。」


以上、といい龍野超子は他の文団部員を連れて去っていった。残されたのは茫然とたたずむ五人の落語研究部と野球のバットとグローブのみ。高かった太陽も傾き始めていた。


「帰るか。」


横田がそんなことを言い、みんなやれやれと荷物を取りに一度部室へ戻る。そのまま帰り支度を済ませ、部室を出た。部室の外ではあいかわらず運動部の掛け声が聞こえていた。


「このクソ暑い中、運動などよく出来るな。」


先ほどまでの自分たちを棚に上げて横田が毒づく。


「そういえば午後の講義サボっちゃったなぁ。」

「誰か今日の日本史概説出てるやついない。」

「増田、それを俺たちに言っているのだとしたら貴様のまぬけも相当なものだぞ。」

「お腹空きましたねぇ。」

「すみれ食堂にでも行くか。」

「あ、そうだ。」


キックボードを押して歩く春満が横並びで歩くみんなの前に出る。小さな影が長く長く伸びる。


「くつ飛ばししましょう。」

「なんだって。」

「くつ飛ばし。右でも左でもいいから思いっきり蹴っ飛ばしてくつを飛ばすんです。正門がゴールで一番最後の人のおごりってことで。」


いひひ、といたずらっぽく笑う。それを聞いて拒否するようなやつはここにはいない。やろう、と即決し、全員一列に横並びに並び


「せぇの。」


一斉にくつを蹴りだす。大小さまざまなくつが夕焼け空に飛んでいく。横に飛ぶもの、高く飛ぶもの、放物線を描いたり直線で飛んでいったり。とんでもないところに飛ぶものもあれば危うく道ゆく人に当たりそうになったりもする。


郊外の空はどこまでも広範で、夕焼け空はどこまでもオレンジで、くつはそこに飲み込まれて消えそうになる。


「落語研究部。」


後ろから超子の怒号が聞こえると、彼らはけんけんしながら慌てて逃げていくのだった。それを回りの生徒がまたか、と笑って見守る。




これは、彼らの、そんな、迷惑で、楽しくて、騒がしくて、にぎやかで、阿呆な、物語なのだ。もし良ければ最後までおつきあいいただきたい。きっと後悔はさせない。もしくは後悔しかさせない。善哉善哉

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