シネマ

氷雨ハレ

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前過ぎず後ろ過ぎずの中央、映画好きなら誰もが知っている最適解の二席、決して広くない箱の中でそこだけに人が座っていた。映画の上映はまだ始まっておらず、矢継ぎ早に映される広告を二人は見ていた。


「どの映画も面白そうですね。これから映画を見るっていうのに、目移りしてしまいそう」

「ああ、分かります。私もたまにそう思うので」


二人、その男女は知り合いではなかった。ただ隣同士になった関係だった。だが、その席から、二人は互いに相手のことを映画好きの同類と確信していた。


「失礼を承知で一つ質問が」

「はい、なんでしょう?」

「貴女はどうしてこの映画を見に来たのですか? お世辞にも、この映画は別に監督が有名な訳でも、内容が面白い訳でもない。しかし、貴女がこの映画に惹かれてここにいる。その理由を知りたいのです」


女は少し考えてから口を開いた。


「この映画は、私なんです」

「『私』?」

「はい。この映画に限らず、この監督の作品みんな、物語が小さな話なんです。ヒーローも巨悪も存在しない、人間の素朴な姿。すれ違って、喧嘩して、悩んで、後悔して。私の現実の地続きにあるような、そんな些細な話が大好きなんです」


男は「なるほど」と小声で呟いた。その声は広告の音と共に、消えてなくなった。開演の合図だった。


上映時間は一時間程。映画にしては短い部類のものだった。内容は単純に或る人の人生を描いたものだった。ドラマチックな展開はなく、ただ一切は流れていった。男は表情を変化させることなく映画を眺め、女は途中からハンカチを片手に映画を眺めていた。


エンドロールが過ぎ、映画が終わって、女は男に謝罪した。「すみません。上映中にうるさくしてしまいました」と。男は「いいんだ。感動してくれたなら」と返した。

室内を明かりが満たしても、二人は立ち上がろうとしなかった。何も映さなくなった壁を見て、そのまま時間は過ぎていった。


「どうでした? 映画は」


沈黙を破ったのは男の方だった。この頃になると、女は平常を取り戻したようだった。


「悲しくなりました」

「それはどういう?」

「人生が儚く感じられたので。この映画の監督は、映画の為に十八年の時間を掛けたと仰っていました。でも、それがたったの一時間にしかならないなんて、と思うと、人生は刹那に過ぎてしまうんだって悲観してしまうんです」


女は更に、丁寧に言葉を紡いだ。


「それに、これが監督の、最後の作品らしいんです。願うことなら、もっと見たかった。監督の作る映画を、監督の見る風景を」


男は黙ったまま女の言葉を耳を傾けていた。その顔には、どこかやるせないような、そんな気持ちが表れていた。


「私は、監督に憧れているんです。監督のように、自分の世界を表現したい。広い世界の片隅に、こんなに小さくて綺麗な世界があるってことを、表現したいんです。でも、私には無理です。私は監督のようにはなれないんです。監督のように、才能が無いから……」


女の声は徐々に小さくなって、そのまま消えてしまった。少しの沈黙を挟んで、男は言った。


「貴女は、いい監督になれる。貴女は自分を想い、自分を伝えることが出来るのだから」


そう言って男は立ち上がり、座っていた席に置き土産をして、女に一言


「これは託します。貴女になら大丈夫でしょう」


と伝えて去っていった。女はそれを手に取って、よく観察した。それはビデオカメラだった。それには、つい数分前まで見ていた映画が在った。

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シネマ 氷雨ハレ @hisamehare

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