第2話:ぽにーてーる

 朝の光が、グラウンドの隅まで届きはじめるころ。

 藤鈴 晴(ふじすず はる)は、鏡の前でひとつ深呼吸した。


 高めの位置で、きゅっと結んだポニーテール。鏡の中の自分に笑いかけてみる。


 「よし、今日も勝つ!」


 バドミントン部の朝練は早い。けれど、彼女にとってはもう習慣だった。

 フォームを確認し、体幹を整え、呼吸を意識する。部の誰よりも早く来て、誰よりも長くシャトルを打つ。


 努力は裏切らないと信じている。

 でも、勝ちたい理由は、それだけじゃなかった。


 ——コートの向こうに、あの人がいるから。


 太田 徠斗(おおた らいと)。

 寡黙で、表情が読みにくいけど、打つシャトルはまっすぐで、迷いがなくて。

 初めて彼と組んだダブルスのとき、晴は確かに思ったのだ。


 (あ、この人と一緒に全国、行きたいって)


 やがてその思いは、バドミントンの枠を超えて、心に根を張っていった。

 徠斗の言葉に一喜一憂し、ちいさな笑顔に胸を締めつけられる日々。


 だけど、それは「恋」なんて言葉にするには、まだ怖かった。



---


 部活紹介の翌日。入部届を持ってきた子がいた。名前は——


 「水沼 海湖(みずぬま みこ)です! よろしくお願いします〜」


 柔らかい関西弁と、ふにゃりとした笑顔。ちょっとふわふわしてて、どこか放っておけない空気をまとっている。

 そして……晴はすぐに気づいた。彼女の視線の先に、誰がいるのかを。


 (……徠斗くん?)


 入部早々、みこはシャトルの拾い方すらおぼつかない。サーブも空振り、ドロップもネット直撃。

 でも、なぜか徠斗はそんなみこにだけ、少しだけ口数が多かった。


 「もうちょっと、肘を下げて……そう」

 「手首で、やわらかく振ってみて」


 その光景を見ていると、心の奥にじくじくと熱がたまっていく。

 晴はシャトルを打ちながら、その熱を強く押し込めた。



---


 その日の帰り道、晴は体育館裏のベンチで水筒を開けながら、ひとり座っていた。

 ふと、風が吹いて、ポニーテールが揺れる。


 ——ポニーテールは、特別なものだった。


 中学のとき、何度も負けて、悔しくて泣いて、髪を下ろしていたときに、徠斗がふとひと言つぶやいた。


 「結んでるほうが、強そうに見える」


 それがきっかけだった。

 勝ちたい。強くなりたい。徠斗の隣で、同じ方向を見たい。


 だから、毎朝結んでる。願いを込めて。

 シャトルの音よりも、気持ちのほうが先に飛んでいってしまいそうなこの頃。



---


 翌朝の練習。

 みこが、また空振りして転んだ。


 「わっ、いたっ……」


 徠斗が、すぐに手を差し伸べた。


 「大丈夫か?」


 その一瞬。晴の心に、またちくりと痛みが走った。

 でも、笑顔で駆け寄って、みこの腕を取った。


 「こけ方までドジっ子なんて、みこちゃん罪やで〜?」


 「えっ、晴ちゃんって関西弁うつるん? かわいい〜!」


 ――負けたくない。誰にも。

 バドミントンでも、恋でも。


 今日もまた、晴はポニーテールをきゅっと結ぶ。

 強くなるために。見ていてもらうために。

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