登校
翌朝。制服の襟を正しながら玄関のドアを開けた俺は、軽く息を呑んだ。
「おはよう、悟くん」
そこに立っていたのは、巻島だった。
制服の上から薄手のカーディガンを羽織り、手にはコンビニの袋を提げている。
朝の日差しを受けた姿は、ドラマか何かのワンシーンみたいだった。
「…………なんで?」
状況が理解できず、思わず言葉に困る。
俺の家を知ってるのも驚きだし、なにより朝っぱらから来る理由が分からない。
「なんでって、昨日の夜にMINEで送ったじゃん!」
あなたの通知はとっくにオフです。
なんなら、三十件くらい未読です。
「今日の放課後はレッスンで、どうしても会いたかったから」
「……朝から来るのはさすがにやばいって。近所の目もあるだろ?」
「それは気にしなくて大丈夫だよ? マネージャーを脅し――頼んであるから!」
今、脅したって言いかけませんでしたか?
しかも、頼むって何をだよ。
周囲を見てみると、やけに人通りが少ない。
歩いている人もいるにはいるが、全員が巻島を知らなさそうなお年寄りばかりだ。
最近のマネージャー業には人払いも入っているのか……?
「悟くんには迷惑かけないから安心してね。あと――これ」
差し出されたコンビニ袋の中には、菓子パンと紙パックのコーヒー。
「朝ごはん、食べてないでしょ?」
「なんで知ってんの?」
「一緒に歩きながらでもいいから、食べてほしくて」
俺の言葉は届いていない。
何が怖いって、パンもコーヒーも俺が好きな商品だということだ。
「――さ、行こっ! 遅刻しちゃうよ!」
巻島はいたずらっぽく笑い、俺の手を取って歩き出す。
朝の通学路を巻島と並んで歩く。
俺の右手には、さっき渡された菓子パン。
左手は巻島に握られたまま。
コーヒーはというと……。
「――はい、悟くん」
適切なタイミングで差し出され、飲まされている。
学校まではあと二十分はかかる。なんなんだこの時間は。
「こうやって好きな人と登校するのって、密かに夢だったんだよね。たまにクラスの子がそういう話しててさ、羨ましいなぁって」
「まぁ……学生らしいことではあるよな。……っていうか巻島」
「葉音」
「葉音……さん」
「葉音」
「……葉音」
「なぁに?」
「葉音に俺の家を教えた覚えはないんだけど……」
「あぁ、昨日の放課後にクラスの人に聞いたんだよ。えっと……名前はなんだっけな。聞いたらすぐに教えてくれたよ?」
隆輝は昨日の放課後、俺とゲーセンに行っていた。
彼以外に俺の家の場所を知ってるやつなんていないと思っていたが……とりあえず、そいつはいつかしばく。
「……それにしても、レッスンがある日も学校に来るなんて、すごいよな」
俺が話題を切り替えると、巻島は手を繋いだまま、ふわっと笑った。
「そんなことないよ。今日は午後からレッスンだけど、軽めなんだ。ダンスの復習と、ちょっとした演技指導も」
「演技? 何か出るのか?」
「うん。来月から撮影が始まるドラマに、ゲストで出られることになったの。高校生役でね。だから今は台本読んだり、表情の練習したりしてる」
「へぇ……」
マジで別の世界の人って感じだな。
「……でもね、演技って素の自分がないとできないことだから、ちょっと怖い時もあるんだ」
そう言って、巻島は少しだけ視線を落とす。
「演技こそ、素の自分がいらないものなんじゃないのか? 他の誰かになりきるわけだし」
「そうなんだけど……なりきる人がどんな気持ちとか、なんでこの行動をしたとか、そういうのって、自分が経験してるから分かることだと思うの。でも、僕は知らないことだらけで……たまに混乱しちゃう」
「……なるほどな。人生経験ってやつか」
単なる想像とか、演技はそんな単純なものじゃないんだろう。
「でも、悟くんには大切なことを教えてもらったけどね」
「なにを?」
「人を好きになるってこと」
思わず目を逸らした。
巻島は急にストレートに投げてくる。
「今日の放課後は会えないけど――お昼休みはいっぱい話そうね」
そう言って太陽のような笑みを浮かべる巻島に、俺も笑顔で返す。
「昼休みは東堂先輩と仲良くしててくれ」
・
生徒がちらほら見え始めた頃、俺たちは別れて歩くことにした。
俺としては巻島に先に行ってほしかったが、彼女は頑なにそれを拒み、俺の数メートル後方を陣取っている。
「……監視されてるのか?」
思わず漏らした独り言が、風に流れていったその時――。
「おーい、悟ー!」
振り返ると、巻島を追い越すように隆輝が駆けてきていた。
寝癖のついた髪、シャツの裾がちょっと出てるところまでいつも通り。
「おはよう、遅いな」
「今朝は寝坊してな」
「……昨日、俺を置いて帰ったくせに?」
「あれは……拙者なりの応援でござるよ」
なにを言ってるんだこいつは……。
そう思っていると、隆輝は俺の背後に目をやり、少し驚いた表情を浮かべた。
「……まさか、巻島と一緒に登校してきた?」
「まぁ、なんというか、そういう流れに……」
「マジでお前、人生のボーナスタイム突入してるじゃん……!」
「刺されて終わりのやつだろそれ」
なんてやっていると、今度は別方向から軽やかな足音が聞こえてくる。
「おっはよ〜ございま〜す、雑魚先輩たち〜」
声の主は二兎だった。
今朝も変わらず派手な髪色にピンクのリップ、制服の袖をまくり上げ、やる気満々な様子。
「二兎、おはよう。元気そうだな」
「えぇ〜? 先輩って女の子の顔色とか分かるんですかぁ〜?」
どこか小悪魔めいた笑顔を浮かべながら、二兎は俺の隣をちゃっかりキープしてくる。
「おはよう悟の後輩ちゃん」
「おはようございます〜せんともさん」
「せん……とも……?」
「先輩の友達でせんともですよー。悟先輩、察し悪い〜。おじさん〜」
先輩の友達を「せんとも」と呼ぶ方が安直というか、おじさんっぽくないか?
隆輝だってそんな呼び方――あ、ちょっと嬉しい時の顔してる。
「っていうかぁ……先輩っていつもこのくらいの時間に登校してたんですね。私もこれから、合わせちゃおうかなぁ?」
「さぁて、明日から早起き頑張っちゃおうかなぁ!」
朝から先輩からかいに来るとか、どれだけ暇なんだ。
そもそも今日は――なんか、背後から視線を感じる。
(うわ、見られてるよ……)
ふと振り返ると、巻島の目がこちらをじぃっと見つめていた。
口角は上がっているけど、目が全然笑っていない。
あれはもう「不機嫌」とかそういうレベルではない。
(この距離感でもプレッシャーかけてくるって、どうなってんだよ……)
二兎が俺の腕を軽く引っ張る。
「先輩、今日の放課後って空いてます〜?」
「いや、今日は……」
「へぇ、誰かと約束してるんですかぁ? まさか、また巻島先輩と密会ですかぁ?」
「そ、そんなわけ……」
また背後からのプレッシャーが一段階上がるのを感じた。
気温は穏やかなはずなのに、背中だけひんやりしている。
次に巻島と話す時が怖いなぁと、そんな考えが頭を支配していた。
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