第4話 貴方に海を還す日まで

 俺が怪我をしてから数日。俺らの元にお客人が訪れた。


「それは……」

「恐らく、貴方がたが探し求めているものでしょう」


 顔に大きな火傷痕のある男が手のひらにのせて差し出してきたものは、確かに俺らが探し求めてきた、海の心そのものだった。


「なぜこれを貴方が」

「先日、儂らの部族の民に会ったのでは」


 睨むようにその男を見れば、顔だけでなく、風と砂除けの布から除く肌のあちこちが焼け爛れていた。そういえばこの間襲ってきた奴らも火傷痕が確認できる奴が多かったような気がする。


「ならばお気づきでしょう。この世界にあった海の加護を失い、我らは我らの炎に苦しめられることになりました。貴方がたの同朋、そして貴方様にはもはやなんと詫びたらよい事でしょう。もはや悔いるには遅い、ですが我らの子孫にせめてもの未来を紡ぐために。いくらでも代償を支払いましょう」


 その言葉に、かっと頭に血が上った。


「ならば死ね! 我らの同朋を惨殺しておいて今更謝罪だと!?」

「ウィーロ、よい」

「カィシス様、なぜ」


 心の底から信じているはずのカィシス様の言葉が今だけはわからなかった。どうして、曲刀に手をかける俺をとめようとするのだろう。

 こいつは、目の前の奴は、狂おしいほど憎い仇だというのに。俺の、家族や友人、そして仲間たちを全員殺した奴らだというのに。


「よい。彼らの魂は我と共にある。海が還れば、自然と彼らも我らの海の元へ戻るだろう。それに我は、一刻も早くお前と共に故郷の海が見たい」


 ゆっくりと頭が冷えていく。いつしか俺は、故郷の海を取り戻すことではなく、故郷の仇を殺すことが目的になっていたのか。

 これではまるで、俺らの故郷を壊したやつらと同じじゃないか。ずっとくすぶってきた心の中のどろどろの正体に気がついて、俺はどうしようもなく泣きたくなる。

 ずっと憎んできた。そんな奴らになりたくないとずっと思っていた。だというのに。

 暗澹とした重苦しい思いに更にとどめを刺す事実がある。……俺は、どうあがいてもあなたと共に海に戻ることはもうない。

 なかなか上がってくれない口角を無理やりに上にあげて微笑む。


「わかりました。カィシス様の望むままに」


 男から海の心を受け取り、大切にしまう。

 カィシス様の少し後ろを歩いて、故郷の海のあった場所に戻る最中、俺もカィシス様も一言もしゃべらなかった。

 願うことなら、永遠につかなければ良かったのに。

 靴ごしの足裏に、砂の熱が伝わる。この砂で厚く覆われた下に故郷が。もうすぐそこに海がある。

 砂漠に膝をつき、腕輪の形をしている海の心をカィシス様の手首にはめる。手が震えたのは、上手く隠し通せただろうか。


「やっと貴方に捧げられる。受け取ってください、カィシス様」


 カィシス様を中心に砂漠のど真ん中で水が広がる。偉大なる海の神の手にやっと海が還った瞬間だった。

 砂に塗れた足に心地よい水の感触が伝わる。腰へ、胸へ、首へ、そして覆われる。

 俺はごぶり、と空気を吐き出した。ひどく喉が痛くて笑えてくる。

 昔、俺が飲み込んだあの石は、故郷を壊しつくした炎の色とそっくりだった。与える苦痛も凶暴性もそっくりで。でも俺と同胞はそれに頼るしかなかった。俺の仇、同朋の仇、故郷の仇、カィシス様とともに復讐すべきもの。吞み込んで、喉に押し通して、腹に隠して、その炎はずっと俺を灼いていた。


「俺が飲み込んだ赤い石は俺の喉を灼きました。この身が水を必要としなくなるように。お気になさらず、貴方は知らなくて良いことです。――この身を捧げ、貴方に海をお還しする」

「待てウィーロ、お前は我に何を隠していたっ」


 もう遅い、全ては泡沫に。

 仇から貴方を守り、貴方を欺き、貴方に報いた。そして最後に、薄い薄い一本の傷跡を貴方に残した。なんと小気味いいことか。

 ああほら、貴方は酷く傷ついた顔をしてなお、手を伸ばすのでしょう。水中の炎となって消えていく俺に。

 笑ってくださいよ、海の王の偉大なる帰還の時なのですから。

 カィシス様の顔から目をそらしたくて映した海面を見て思った。

 やはり明けの消えゆく星空とよく似ている、と。

 覚えておこう、俺はもう、この景色を見られないだろうから。

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貴方に海を還す日まで 白昼夢茶々猫 @hiruneko22

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