第2話 貴方だけに仕えて幾年

 今は亡き故郷の海。そのさざ波と砂漠の風の音はどこか似ている気がする。

 目を開ければ苦しいほどの快晴。時は、まだうっすらと星々が瞬く、曙。まだ忌まわしい太陽は顔を出していない。

 だが、ああ、やはり空も、見上げていた海面のきらめきと似ている。


 体を起こせばさらさらと服の隙間から砂がこぼれ落ちる。砂塵対策も、それでも体中に付着する砂も、まだずっと慣れない。

 その砂を流してくれるはずの故郷の海は、数年前のファルカ族の襲撃により燃やし尽くされ、『海の心』を奪い取られ、敗北のその先にある滅亡を辿った。

 今、この世界をどこを探しても海はもう、どこにもない。


「おはよう、ウィーロ」

「おはようございます、カィシス様。お加減はいかがですか」

「別に、なんともない。……お前はどうなんだ?」

「俺ですか?」


 なんとも意外な返事が返ってきてしまい戸惑う。この人の前では常に動じずにいたいのに。


「なんともありませんよ。俺に何かおかしなところでも?」

「うなされていた。悪夢でも見たか」


 軽く首を横に振ると、カィシス様はまだ疑わしそうな顔をしていたが、俺がてきぱきと寝ている時に使っていた毛布をかたすのを見て、諦めたらしく一つ軽いため息をついた。

 そもそも俺の大丈夫というのは、悪夢は見たがそれがたいした問題じゃないということだと、いい加減カィシス様もわかってきたことだろう。


 手慣れた仕草で火を起こし、手元にある穀物と野菜で簡単なスープ風のご飯を作る。胃には優しく栄養もとれるが、あまり食べた気はしない。

 食材や薪はたまに出くわす、森の民、クルージャ族の旅商人から買って備蓄しているが、俺としては到底足りない。

 海底の宮殿での暮らしと同様にいくわけもないとはわかっているが、それとこれとは別の話だ。

 俺はカィシス様を守り仕えることが使命なのだから。


「まだ、炎の夢を見るか」


 椀に口をつけて一口すすったカィシス様がそう聞く。

 気遣わし気な瞳をするカィシス様の目はなかなか見れるものじゃない。もともと美しい、海のような透き通った瞳が、心配の色を含んで少しかげる。

 それに少しばかりの、罪悪感と背徳感、それから優越感を感じる。どれほど身近にいて、まるで家族のように接していても、カィシス様が俺たちの神様であることは忘れたことも、忘れるつもりもない。


「まだ見ますよ。あれは俺が忘れていいものではない」


 忘れもしない。忘れるわけがない。あの赤くて痛い光景は。皆が焼かれていくつもの水疱となって消えていった。伸ばされる幾つもの手を振り切って、俺はたった一柱の手を掴んで、だから今の未来がある。


「お前が忘れてはいけないものは、少しばかり多すぎる。よくもそう色々と覚えていられるな」


 痛い、熱い、苦しい、生きたい。悲鳴のような怨嗟はまだずっと鼓膜の中でこだましている。でももしかしたら、俺の復讐心なのかもしれない。


「復讐心っていうのはそういうもんなんですよ」


 そもそも痛みを伴う記憶は忘れにくい。未だ腹部に残る火傷痕を指先でなぞる。痛みはもうないはずなのに、触れると不思議とじくじくとした痛みが走る。

 その痛みに思いをはせていると、ふとカィシス様が俺の体を引き寄せた。そしてドスリと鈍い音が鳴る。


「何者だ!」

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