鏡と少女

兀々 をかし

奇妙な夢

 物心がつき始めた私はとある奇妙な、それでいて、現実のような夢を見るようになった。

 私と同い年ぐらいの黒い女の子が私の目の前で鏡を持って立っていた。大きな鏡で彼女の大部分は覆われていて見えなかった。唯一見ることができるのは、彼女の小さい足と、鏡を懸命に支えているしっとりとした手だけであった。

 私は鏡の目の前に立っていた。しかしながら、その鏡以外には何も感じない。どういうわけか、地面の感触さえ感じていなかった。つまり、私の視点だけがこの世界に存在し、私そのものは霧以上になっていた。そのため、彼女に触れることはできないし、更に、話しかけることさえ不可能だった。

 その鏡がとても鮮明にはっきりと見えていたのに対し、周りの風景は霧がかっていて、認知ができなかった。そのためより鏡を引き立たせていた。その鏡には多角的な視点が一つに収斂されていて、二次元で木の全体を映し出していた。

 その中に顔が見えない女の子が走り回っていた。顔は見えなかったが笑い声が聞こえたのではしゃいでいることがわかった。小さい女の子とそれを見守る両親がいて、幸せな家庭が現れていた。匂い、見た目、彼らの声全てが私を笑顔にさせる。

 瞬きの一瞬に黒い少女は存在をなくした。鏡は重力が効かないことをこの時に理解し、彼女は鏡を支えていたわけではないことが分かった。

 すると、鏡は淀み、彼らの形は私の笑顔と共になくなっていった。そして、その鏡を少しの恐怖で覗き込んでいると、徐々にピアノの偶像が出来上がっていった。埃ひとつなく綺麗だが、存在が否定的で、黒い少女と同じような雰囲気がそのピアノから漂っている。

 周りの風景はやはり霧が掛かっているのでよく分からなかったが、感じない触覚に慣れ、ようやく鼻で息をすることを覚えると、雨の日の独特な匂いが鼻をかすめ、案の定小雨が降り始めた。

 そう思っていると、あの黒い少女が鏡の中に出てきた。しとしととこの世界の大地に落ちている枯葉をどかしながら、一歩ずつ丁寧に歩いている。その自然への愛のようなものが静寂を作り出し、その静寂自身が私の身体に浸透していき、波紋のように世界にも伝播していった。

 彼女がそのピアノのそばに坐り、あの小さい手を目一杯広げると、穏やかで幸せな音色が奏でられた。私は子どもの頃からずっとピアノを聴いて、そして、弾いてきたので、彼女の表現に圧倒された。不確かな存在の彼女が私に確かな存在を感じさせた。それゆえなんとも奇妙な感覚に襲われた。

 彼女の感情をそのまま音に表し、周りの木々がそれに共鳴していた。その音色は、何種類もの小鳥の囀りと、木々のざわめきとを引き起こした。終始テンポは遅くゆったりとしていて、美しさと壮大さが混じり合い、私の脳に直接感動を与えた。

 約十分の演奏は呆気に取られる前に終わってしまい、余韻が残る中、朝日が目が覚めさせ、私に本当にそれが夢であったと思わせたが、それは納得はできなかった。


 その夢は突然現れる。その度にあの黒い少女は私と同じように背丈が伸びて、手が大きくなり、そして、この存在がより確実なものとなっていった。いや、私の彼女への認知がより高度なものとなっていっていると言った方が適当である。従ってもうここ最近あの夢を見ることは無くなっている。今まで何回もあれを経験したが、それが未知なるものと変わりはないので、少しの安堵感を感じる。

 あの夢の最初は、森から始まる時もあり、川のせせらぎからもあり、また、海の中からもあった。そこはどんどん移り変わってゆくのに対し、その後のピアノは固定されていた。周りは全てのものが混ざっているようにも感じるし、また、何もないようにも感じる。そして、彼女の顔も同じようであった。

 ピアノの音は柔らかく静かな時もあれば、悲しげで虚な時まで千差万別であった。少し考えると、それは彼女の感情であるのでもちろんのことであった。


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