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 たまに現れる、なんでこんな仕事してるんだ……などと説教臭いことを言ってくる一見客には、基本的に「綺麗事じゃ金にならないからね」という冷水のような言葉を浴びせることにしている。お腹が空くとか生きていけないとか、夢のためにお金が必要だとか、そういう可愛げが爪の先程度残った言葉では、何をトチ狂ったのかもう一度指名してくる男もいた。言い回しを変えてからは、この言葉を浴びせた客が二度とあたしを指名することはなくなった。客からすれば「金を出して買ってやっているんだ」と思っているのだろうが、こちらにしてみれば「金をもらう代わりに抱かせてやっているんだ」としか言えない。黙っていたら見向きもされないお前らが、金を積まなければ指一本触れられない優しさや温もりが惜しいのなら、まな板の上の鯉みたいに覚悟を決めて静かにしていろと言いたい気持ちだ。



 今日の客は常連で、月に一度は必ずあたしを呼ぶ。僕は女の子の気持ちをちょっとは理解してますよ……みたいな言動は時折癪に障るが、他の客みたいに返答に困るメッセージをいつまでも送ってこないし、いつも身ぎれいにしていたり、無闇矢鱈に主導権を握ろうとしてこないあたりは好感が持てる相手だ。こういう店を使うのは平気なくせに、あたしが下ネタを振ったら顔を赤らめる、どこかあべこべな男。だからこそ金が媒介しなければ、女と触れ合う機会もないのだろう。


 男はあたしと会う時、いつもゆったりめの服を着ているが、それを脱ぐと身体が余計に膨らんで見えた。水滴を拭いきれていない背中がきらきらと光っている。

 いそいそと腰にバスタオルを巻いている男に、訊いた。



「今日、いつもより予約長かったよね。臨時収入でもあったん?」

「そんなんじゃないよ。キサキさんとはもっと長い時間過ごしたいなー、ってずっと思ってただけで」



 ぼんやりしていると、自分のことを言われているのだと気づけない。マイナンバーカードに刷られている名前はもちろんキサキではないが、仕事中のあたしはキサキだ。だから返事をしろよキサキ。



「ふぇー。ありがたい話だけど、無理しちゃだめだかんね」



 あんたの金が途切れたら、リピーターがひとり減るから。



 口をついて飛び出そうになった、そんな蛇足を呑み込む。男は「大丈夫、大丈夫」と人畜無害な笑顔の表情を顔にはりつけている。

 お店のホームページに載っている年齢上、干支がひと回りくらい下ということになっているけれど、実際のあたしの年齢とはひとつしか違わない、それでも歳上の男。話を聞いている限り、仕事は数年に一度、まるでオリンピックの開催地みたいに変わっている。あたしの話と同じように、男の話がすべて本当とは限らないが、まあたぶん全部本当なんだと思う。嘘をつきたくてもつけないからこそ、仕事も長続きしないのだろう。



 お互いにもう慣れっこだから、あたしは可愛い子ぶることを放棄して、客より先にベッドの上に寝そべっていた。そんなあたしの隣に、男がようやく滑り込んでくる。

 少しだらしないその身体から、レンジで温めたコンビニ弁当みたいな生温かさが伝わってきた。いや、それはもしかしたら逆なのかもしれない……と思ったのは、男があたしの身体をへし折らんばかりに強く抱きしめてきた瞬間だった。機械的にいくつも作られたキャラクターをさも熱々かのように温め続けて、やがて冷えたそれを汗とともに排水口に捨てているあたしのほうがよっぽど生温かくて、生臭い気がしてくる。


 男の身体の上で動くたびに、その唇からは軋むドアみたいな声が洩れた。蝉にしてはひどく頼りない鳴き声だな……と思う。ムードを上げるためにあたしがアドトラックみたいにやかましくあげる声のほうが、よっぽど大きい。あたしは蝉でもなければオスでもないのに、まるでこっちが求愛しているみたいで、どこか癪だった。



 蝶になれたと思ってたのは、あたしの勘違いだったのかな。



 掌の中に、男の感情が吐き出される。触れた瞬間は熱を帯びていたそれは、ティッシュで拭う頃にはすっかり冷たくなっていた。

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