「目標地点へ到着」

 中島がGPSで座標を報告する。【疾風】は基地から約三十分、全力疾走した所で目的地へ到着した。

 しかしこの場所に、漁船はいるが怪物の姿はない。漁船とは大分前から無線連絡がついていたが、彼らも怪物の姿を見失っていた。現在、海上は高波が発生しており、目立たない黒色の怪物を発見するのは難しい状況であった。

 中島は、この時までなんとか任務をこなしていたが、現状は【疾風】の振動で、胃袋を縦横無尽に揺さぶられ、激しい嘔吐感に苛まれていた。中島の片手には、社長から手渡されたビニール袋が固く握りしめられていた。

 中島はそんな吐き気に襲われつつも、ディスプレイを血眼で見ていた。水平線レーダーと赤外線センサーには何の情報もない。現在、波が高すぎてソナーも使えない。外ではもう雪が吹雪となっており、視界は良くて二十メートルもない状態だ。

 それにひきかえ残りの二人はというと、当然船酔いなどはあるはずもなく、余裕で双眼鏡を使い、海を探していた。しばらくして桜は双眼鏡を降ろし、中島の方を向いた。

「中島、センサーに感がなければ目でも探せ。もしも任務中に全センサーが壊れたらどうするんだ」

 中島は桜に呼び止められて顔を上げる。

「私がディスプレイを見ている。お前も肉眼で探してみろ」

「了解」

 中島は桜にうながされて窓の外を見る。しかし大雪で視界がない上に、手前で発生する高波に注意を削がれてしまい、遠目を維持する事が出来なかった。

「船長、一時方向五百メートルじゃ」

 中島が見つけるよりも先に、山本が見つけてしまった。山本はすでに七十歳を超えている手練れの船乗りであるから、荒天時では水平線レーダーや赤外線センサーよりも先に発見してしまう事もある。こういった状況では、まさしく機械よりも経験が優れる事が普通にあった。

 中島は山本の指差す方向に目を凝らす。そして、窓の外に怪物の姿を見つけた。彼自身、怪物の姿は写真や映像などで見た事はある。しかし本物を見た事は、今が初めてであった。哺乳類と魚類の遺伝子を持つ、異形の怪物を。


 怪物の姿は、大きな鮫の頭、体は人の四肢を酷く短くしたような姿であった。滑稽な事に赤ん坊の体つきに良く似ている。これに全身を、黒くぬめった鱗が覆っていた。

 大きさは体長五メートル、体重が十トンと、全長が短い割には大変な重量があった。それは胴体部がブクブクと太っており、内臓を寒さから守るために脂肪がついているからである。

 怪物の手には黒く尖った長い爪がついており、指の間には河童のような薄い膜が張られていた。そしてつま先は大きく、ダイバーの足ひれのようになっている。泳ぐ場合はこれを使って平泳ぎに似た方法で泳ぎ、最高速力は概ね二十ノット、通常は十ノットくらいで泳ぐ。知能はそれほど高くない為、指を使う動作はほとんど出来なかったが、大型で力はあるせいか、爪で攻撃してきたり、船に抱き着いてくる事も多かった。

 怪物は胸と脇にエラがあり、肺呼吸はしていない。その為、陸地に上がる事は数十分程度しか不可能で、事実上、海の中だけでしか生息が出来ない。そのくせ頭のみを浮上させて泳ぐ事が多いのは、その遺伝子に含まれる、哺乳類としての習性ではないかと言われている。頭を出して泳ぐ場合は、喉仏あたりにも吸水口があるので、それを利用して頭だけを出したまま長時間泳ぎ続ける場合もある。

 種類は雄雌以外に、青い鱗をした怪物と、黒い鱗をした怪物に分かれ、前者を青鱗種、後者を黒鱗種と呼称している。そして後者の方が凶暴で危険性が高い。

 この怪物は元々、食用を目的として牛から遺伝子改良された種であるが、広大な海での養殖を考慮した為、魚類の遺伝子を組み込む事で作られた生物である。元々はハワイの研究所で開発されていた生物である。そして事故により二十頭逃げ出した事が、世界を危機に陥れている原因である。

 性格は極めて凶暴な肉食生物であった。その理由は餌を積極的に食べて、早く大きくなる為であり、この趣旨に沿って遺伝子を改良された事が結果的に裏目に出る事になった。そして食用として優秀な繁殖力を求めた事が原因で、この悪魔のような生物を世界中の海で大量繁殖させる結果となった。今では、世界中の海に怪物が跳梁跋扈していた。


 中島が茫然として眺めている間にも、怪物は立ち泳ぎをしながら首をブンブンと振り回し、奇怪な行動をとっていた。人から見れば何か勝利の踊りのようでもある。怪物のこういった意味不明な行動は、他の個体にもよく見られる事であった。

 怪物を良く見ると、そのホホジロザメを思わせる大きな口に、襲われた船員の上半身が咥えられていた。その上半身からは大腸が長くはみ出していた。中島は、大腸がまるでムチのように振り回されているのを見て、軽い嘔吐感をおぼえた。

「このまま進路を怪物に向けておく。ジイちゃん照準頼む」

 桜は命令を下す。それに砲術士である山本が「了解」と返答する。

「中島! ボケッとしてないで、化け物の後ろに船はいないかレーダーで探せ!」

 続けて桜は中島に命令を出す。普通、射撃をする場合は周辺被害を第一に考える。そうでなければ、他の船を簡単に巻き添えにしてしまう。

「あっ、ええと、いません!」

 中島は激しい揺れのせいで、軽く舌を噛んでしまった。彼らが座るシートには、強力なサスペンションが付いている。しかしこの小さな船で高速を出せば、どうしても衝撃は凄まじく、不慣れな者には通常会話でも困難になる。

「ヘルメットにマイクが付いてるんだ、普通に喋れ! 大声を出すと舌を噛むぞ!」

 桜が中島を怒鳴りつける。中島は噛む前に言ってくれよと思った。そして、何で桜は怒鳴っていても舌を噛まないのか、むしろ不思議になった。

「よし、三十五ミリ機関砲で攻撃!」

「了解した、射撃開始」

 山本のディスプレイには照準カメラの映像が表示されており、すでに海面上の頭部へと照準が合せられていた。そして桜の命令が下ると、即座にトリガーを引き絞った。

 すると甲板にある三十五ミリ機関砲が、「バンッバンッバンッ」と、回転数の遅い連続音を立てながら発砲する。発射された三十五ミリ砲弾は怪物の頭部に命中し、怪物は「ギャア」と短く一声を上げた後、動きを止めた。今は波間を浮いている。

「死んだか?」

 桜は双眼鏡を怪物に向けた。桜は怪物に砲弾が命中した事を確認し、満足そうに「ふふん」とつぶやいた。そして浮いている怪物の近くに船を寄せた。

 中島は恐怖に戦慄いていた。それはおぞましい怪物の死に顔と、まだ口に挟まっていた被害者の遺体が目の前にあったからだ。

「ジイちゃん、周辺に怪物はいるかな?」

 桜は山本に聞く。桜は呆然としている中島に聞くのはやめた。

「センサーには何も映っておらん。大丈夫だ」

 山本はディスプレイにセンサー画面を表示させて確認した。

「ありがとう。じゃあ怪物忌諱剤の散布をお願い。後は回収船の要請と、襲われた漁船に連絡を取って。遺体の引き渡しがあるから」

「了解じゃ」

 山本は速やかに作業を始める。中島よりもはるかに手際が良い。

 桜は命令を終えると、船内備え付けのM82アンチマテリアルライフルを持って、船外へ出ようとした。このライフルは重機関銃の弾を使うので、高い破壊力と長い射程を持つが、その代わりにサイズや重量が大きく、しかも反動が大変大きい。しかし当たり所さえ良ければ、怪物でも撃ち倒す事が可能である。

「船長、甲板に出るのは危険では……」

 中島が言いかけると、桜はドアノブに手をかけたまま答えた。

「中島、被害者の遺体回収を行う。合図をしたらお前も出てこい。鳶口は外にある」

 桜は中島の忠告を聞かずに、ライフルのボルトを操作して初弾を装填すると、ドアを開けてブリッジから外に出た。

 桜が船外に出た途端、それまで身動き一つしなかった怪物が、もがくように動き出した。

「ギャァァァァァ」

 すると怪物が大きく体を震わせながら叫び声を上げ、水の中から最後の力でヨロヨロと首を持ち上げた。そして首を左右に振った後、仇敵を見つけたと言わんばかりに泳ぎだし、【疾風】めがけて突進してきた。

「船長!」

 中島は大声で叫んだ。彼は急いでシートから立ち上がり、桜を追う。そしてドアを開け、桜の腕を掴んで船内に引き入れようとした。だが桜は、振り向きもせずに片足を振り上げ、中島を船内へと蹴り飛ばした。

 中島は、床へ後頭部を打ち付けて気絶してしまった。当の桜本人は、全く冷静であった。彼女は素早くライフルを構えた。

 すでに怪物は【疾風】の目前まで近づき、桜に喰らいつこうとして大きな口を広げていた。その口からは、唾液と被害者の血液が入り交じった、粘着質の液体がダラダラ流れ出していた。目も心なしか笑っているように見える。

 桜は怪物の姿に怯えもせず、正確に引き金を絞る。するとライフルは一際大きい「ズドン」という音を発して銃弾を放った。撃ち出された銃弾は、大きく広げた怪物の口中に命中した。その血しぶきは広い範囲に飛び散り、桜の顔を真っ赤に染め上げた。

「ふん、死に損ないめ」

 桜は顔の返り血を面倒くさそうに袖で拭ってから、ブリッジの中に戻る。

 船内に入った桜は、ライフルを床に置いた。そして、まだ倒れたまま気を失っている、中島の胸倉をつかみ上げた。

「おい中島! 起きろ!」

 桜は中島の顔を何度か平手打ちする。五回ほど往復ビンタを貰った所で、中島はやっと目を覚ました。

「ああ、怪物が何で船内に……」

 中島は、まだ血がついていた桜の顔を怪物と見間違えた。桜はもう五回ほど往復ビンタを喰らわせる。桜は涙ぐんでいた。一応、彼女も女の子だ。

「……中島、もう二度とこういう事をするな。二人とも死ぬハメになる。いいな」

 桜は中島を立たせ、今度は鳶口を持たせて遺体回収に入った。自分は再びライフルを持つ。

 被害者の遺体回収は、本来、怪物の死骸回収を目的とした回収船の仕事である。だが回収船が到着する前に、新たに現れた怪物に食われる事が多く、可能な限り先発した船で回収してやるのが常識となっていた。

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