嘘つきによる自伝
叢上友哉
第1話 生きづらさ
目を開く。誰かを愛しても、その誰かに愛されるわけじゃないことに涙する。僕は稀代の大嘘吐きだったと、自分で勝手に思っている。
この小説は嘘つきによる自伝だから、自伝でありながらも嘘を交えなければ、僕自身の気が済まないんだ。すまないね、本当に。僕はまた、涙をボロボロと溢した。すまないね、本当にさ。
じゃあ……僕について語ろうね。本当はね、自分のことなんて語りたくないんだ。
「なら語るなよ」と友人のK太朗が云った。
「うるせえよ、ゴミ」と云うと、僕は彼に股間を蹴られ悶絶する。これも事実だ。
僕を痛めつけたK太朗も、もちろん本名じゃない。けれども僕は、とりあえず本名で行く。
僕の名前は、
「おいK太朗」と僕は呼んだ。彼は無言のまま、僕のほうを向いた。ここでもし、僕がキスをかましたらどんな反応するんだろう? とか悪戯心が湧き上がったけど、僕は当たり前にホモじゃない。
可愛い女の子に情けなく隷属する凡人にすぎない。でも、隷属よりも先に勃起してしまうだろう。すべきでない場面やら場所やらで勃起してしまうと、僕は顔が熱くなって、勃起はさらに加速していくのだ。
「はあ……、可愛い妹とか欲しいな……」
「妹? いるだろ、お前」とK太朗は怪訝そうに云った。
そうなんだよ。僕には妹がいる。けれども僕の妹様は、街を歩けば誰もが振り向くような美少女ではないし、ましてや美しさの片鱗すらもない。そんな少女である。って云うと、流石に云いすぎかもしれないけど、たぶん可愛くはない。
『美少女』という三文字は、この三文字が並んでいるから素晴らしいのであって、『美』が抜けて『少女』だけ残っても価値はほとんどゼロなんである。
「それは云いすぎやろ」
「云いすぎじゃないよ。あのね、K太朗は会ったことあるでしょ?」
「うん」
「あの顔で美少女は遠すぎでしょ? ねえ」
僕はにやつく。にやついた僕の醜悪な顔よりも、妹の顔はずっと醜いと、僕は思ってる。酷い兄貴でごめん。僕は再び涙を溢し、溢した涙の海から妹が飛沫を上げて陸へ上がった。怖い。
「げっ!」と僕は
すると、蓬もすぐ近くにある僕の顔面に唾を散らし、「ハルト、キモい。マジで──」と暴言を続けようとして、僕のそばにいたK太朗の姿に気がつくと顔を赤らめて、「……何でもない。いいから離れて、お兄ちゃん」と甘ったるい声で云った。
はあ……とため息をそっと吐いて、僕は勃起していることにうんざりした。僕は違法サイトでよくエロASMRを聴いているせいか、甘えた声を耳にかけられるともう駄目なんである。
K太朗は苦笑して、「久しぶり、蓬ちゃん」と云った。彼の声も普段よりカッコつけで、僕はさらに勃起した。実はホモなのかもしれない、僕は……。なんて思って悲しくなったけど、それ以上に今は眠かった。
煉獄で喇叭を吹き鳴らすしわくちゃの年老いた悪魔みたいな奴が、僕の足を掴んで煉獄の奥底に引き摺り込もうとしているくらいの眠気が僕を襲い、竜巻みたいな速度で放課後の教室を出て昇降口へ向かおうとして、えへえへだらしない表情で前髪を弄りながらK太朗と会話を試みている妹を振り返って見る。
あらあら、可愛いね。死ね。僕は泣いた。
泣きながら、ぐちゃぐちゃになった情緒を抱えて僕は階段を駆け降りて昇降口で靴を履こうとする。けれど、履こうとしたところで胸に何かがつっかえているような感を覚えた。
僕は嘔吐した。履こうとしたところで、吐いてしまったのだ。
「おいおい。ここは、靴を履くための場所であって、吐くための場所じゃないぜ?」
「う……う、ぅ、うるせえ、よ」
僕は押し寄せる吐き気を堪えつつ、僕を煽ってきたガキを睨みつける。
彼は気障な感じで肩をすくめ、「どうして俺を睨むんだよ」と僕を軽く睨んだ。そして言葉を続ける。
「お前のさあ、その……実に個性的な顔を眺めているとな、ムラムラしてくるんだ。だからやめてくれ」
僕は再び吐いた。僕の下駄箱の横の下駄箱に置かれたシューズから臭う精液みたいな臭いと、僕の吐瀉物の甘くも苦いある種異常な臭いの混ざった臭いが辺りに立ち込め、彼はまた肩をすくめた。
「吐くなよ、本当に。キモいのはさあ、お前の妹の顔面だけで十分だろうに」
蔑みを含んだその言葉を聞いた途端、僕の脳の血管やら心臓の重要な血管やらがブチブチブチッ! とけたたましい轟音を響かせて破れ、次いで僕は激怒した。
僕は激怒したんだ。その瞬間、僕の視界は真っ赤に染まって、クソガキの侮蔑たっぷりの表情は隠された。たぶん、全身血まみれなんだろうね。あーあ、なんか情けない。怒りはあれど、多量の血が外に流れ出たおかげか、少し収まってきた。
そもそも僕が怒ったのは、蓬の顔面の醜さを指摘されたからじゃない。僕以外の奴が、妹の気持ち悪さを語らないでほしかったのだ。これも愛なのだ。愛なんです。ねえ……。
ダラダラと赤い血が顔の表面を流れた後、あのクソガキはどこかへ消えていた。たぶん、あの野郎はクソでもしに便所に行ったんだろう。
僕は血の混じった唾を床に吐いた。
吐いてばかりでクラクラしてきた僕は、いかにも鈍間っぽく靴をよたよた産まれたての仔鹿みたいに履いて、フラフラしながら外へ出た。
自分のことを語るのは小っ恥ずかしい。とてもとても。できるだけ真実やら事実やらを語ろうとしても、ほんの少し、どこかに綻びが生まれる。知ってるよ。分かってても駄目なんだよ。
でもみんなに信じてほしいのは、僕は嘘つきだけど、善良な嘘つきだってことなんだ。世の中にあるあらゆるものすべては、そのほとんどが善と悪に分けられる。
実際、善悪なんてないって分かってても、分けたくてしょうがないのが人間なんだよ。で、もし嘘つきという概念をどちらかに分けて、僕がどっちに属するかといえば、そりゃあもちろん善のほう。
本物の悪い奴ってのは、地獄とか煉獄にいる悪魔だけだと僕は思う。人間はニュートラル。けどま、何でも良いんだ、そんなこたぁ。
うーん……。ニュートラルだって考えれば、醜悪であるかどうか論ずること自体が愚かしいのかな? しかしそれでは、愚かしいか愚かしくないか考えるのも善悪を振り分けるってことだから、じゃあ、どうしたらいい?
駄目ね。ムヅかちいことを考え出すとキリがないし、僕は平凡な人間だから、結局善悪について考え出すと止まらないんだ。
止まらないといえば、脳やら心臓が爆散しかけたときに溢れた血が未だ止まる気配がない。特に心臓が、僕の剥き出しの心臓の破れた箇所から、心拍の度に真っ赤っかな血が激しい濁流みたいに流れ続けているんだよな。
どうしたらいい? なんて、でもこれは、考えて分かる問題じゃない。人間は当たり前に、血を流し続ければ死にます。
つーかこれ、死んでないほうがおかしい血液量じゃねえか?
フラフラ、フラフラと、教員たちの車が停まっている駐車場の前を通り抜けて、僕はどうにか狭い裏門まで辿り着いた。
まあ裏門ったって、本当に狭いんだ。あまりにも狭すぎて、同時に二人が横並びになって通るのにも苦労するくらいなんだよ。しかも金網でできた、何の温かみも感じられない裏門なんだ。
裏門を抜けた先のこれまた狭い畦道みたいな道は、近所の爺と婆と小学生くらいしか通らないし、ほら……通った。
金網のフェンスに凭れて微睡んでいると、僕のすぐ前を通り過ぎようとした小学生は立ち止まった。そして、じっとこちらを見つめた。
警戒心の代わりに好奇心を全身に詰め込まれた猫みたいだと思った。
見つめる目は結構気になったけど、僕は小学生の女の子にはあんまり興味がないので、ひとまず夜中になるくらいまでここで眠ろうと決める。すると、女の子が不意に口を開く。
「……あなたって、お姉ちゃん? それともお兄ちゃんですか?」
思ったよりも、礼儀正しそうな声音だった。くうう、耳に響くぜ。僕はひとまず答える。とってもとっても眠いけれども、可愛い子に話しかけられて無視はできまい。
僕は飛び出た心臓を右手で強く握りながら云う。
「僕はね、お兄ちゃんだよお兄ちゃん。ねっ、これからもお兄ちゃんって呼んでね。ね?」
「はい。呼びます。……お兄ちゃん」
「うあ゛!!」
僕は死んだ。粉微塵だ。粉微塵だったと思う。
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