冷たい桜
三角海域
冷たい桜
雪が舞い散る中、僕は妹の咲の手を引いて山道を歩いていた。息は白く、頬は凍えるように冷たい。
「お兄ちゃん、本当にあるの? 青い桜」
「ああ、きっとある」
遺伝子操作で作られた冬に咲く桜を見るため、僕たちはひたすら歩き続けた。
両親を交通事故で亡くしてから七年、僕たちは二人だけで生きてきた。生活はギリギリだったが幸せな生活。そんな幸せは咲を蝕む病魔によって壊されてしまった。
いつか治る。そう信じていた。だが、運命は残酷だった。
三か月前、医師から告げられた余命宣告。
咲は静かに聞いていたが、夜になって僕の部屋を訪れた。
「春になったら最後の花見に出掛けようって約束したのに、無理になっちゃったね。ごめんね」
咲はそう言い、涙を流した。
僕は咲の手を握り、言った。
「約束通り、一緒に桜を見に行こう」
テレビで見かけた冬に咲く桜。それを思い出した。せめて、最後の約束だけは叶えてやりたかった。
二時間ほど歩き、目的地にたどり着く。雪はもう止んでいた。
目の前の光景に僕たちは息を呑んだ。
青白い光を放つ花びらが、冷気の中でひらひらと舞い踊っている。まるで氷の結晶のように透明で、それでいて桜の形をしている。花びらの一枚一枚が光を受けて、幻想的な青い輝きを放っていた。
「きれい……」
咲が小さくつぶやいた。
僕たちは桜の木の下に座った。持参した毛布を広げ、咲を包んでやる。花びらが時折、頬に触れる。予想以上に冷たく、まるで雪のようだった。でも不思議と、その冷たさが心地よかった。
「不思議。こんなに冷たいのに、暖かく感じる」
咲が花びらを手のひらに受け止めた。花びらは体温で溶けることなく、青い光を保ち続けていた。
僕は小さい頃のことを思い出した。両親がまだ生きていた頃、四人で自然公園の桜を見た日。咲はまだ幼く、散る花びらを必死に追いかけていた。父が笑いながら咲を肩車し、母が弁当を広げていた。
「お兄ちゃん、覚えてる? みんなで桜を見に行ったときのこと」
咲も同じことを考えていたらしい。
「ああ、覚えてる。お前は花びらを集めて、押し花にするって言ってた」
「結局、全部茶色になっちゃったけどね。それでもお母さんは大切にしてくれて」
過去を懐かしみながら僕たちは笑った。青い桜の下で、最後の笑い声を響かせた。あの頃も、そして今も、僕たちは幸せだった。
「お兄ちゃん、ありがとう」
咲は僕の肩に頭を預けた。
「咲……」
「こんなにきれいな桜を見られて、すごく嬉しい。ねえ、お兄ちゃん。わたしがいなくなっても、泣かないで」
「そんなこと言うな」
「お父さんとお母さんと一緒にお兄ちゃんをずっと見守ってる。だから、ね?」
青い花弁が咲を包み込むように舞い落ちる。
「一人にしてごめんね、お兄ちゃん」
両親を失った時、僕は咲を守ると誓った。でも結局、守れなかった。
そうして、僕は一人になった。
春がきた。あたたかな陽気の中、家族四人で見た桜の木の下に僕はいた。
花びらが手のひらに落ちる。あの冷たい青い花びらとは全く違う。
これから一人で歩いていかなければならない。だが、家族が残してくれた思い出と、あの冷たい桜の記憶があれば、きっと歩いていける。
桜の花びらが舞い散る中、僕は新しい季節に向かって歩き始めた。
冷たい桜 三角海域 @sankakukaiiki
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