第4話 前世の記憶をフル稼働
「よ、ろしく、お願いいたし、ます」
お作法の授業、という名のお茶の時間である。アンジェリーナは何とか取り付けて、乙女ゲームにおける悪役令嬢、アルテマ・ロドリゲスに教えを乞うことが出来た。声をかけた時、それはもう、取り巻きたちから冷ややかな目線が刺すようにアンジェリーナに向けられた。だが、ここは学校。学びへの向上心があることは大変素晴らしい。とアルテマは喜んで受け入れてくれたのだ。
貴族社会において、また学校ないにおいてもカーストの頂点に立つ公爵令嬢であるアルテマに師事を仰げることは、貴族令嬢たちからしても垂涎のものであるし、まして、平民の生徒たちからしたら、恐ろしいほど無謀なことである。だがしかし、ここは乙女ゲームの世界である。キラキラとした瞳でヒロインがお願いをすれば、大抵の事は叶ってしまうのである。
もちろん、ほんとうに乙女ゲームのシステムが作動しているのかなんてアンジェリーナには検証なんてできないけれど、それでも、攻略対象者たちがいて、前世の記憶と相違ない学校や授業内容とくれば、乙女ゲームのヒロインのように振舞っても問題は無いだろう。ただし、アンジェリーナは攻略対象者たちを攻略するつもりは無い。だから、よくある乙女ゲームの世界に転生したイケイケヒロインのように逆ハーなんて絶対に目指さないのである。あくまでも、攻略情報を知っているだけであり、それを利用して推し活がしたいだけなのだ。
そう、大事なことなのでもう一度言おう。アンジェリーナはこの乙女ゲームの世界において、推し活がしたいのである。
そんなわけで、攻略対象者たちへの好感度をあげないで自分のスキルをあげる為に、最も安全で効率のいい方法は何かと考えた結果、推しの推しであり悪役令嬢であるアルテマから全てのスキルを伝授してもらおう大作戦なのである。
「そんなに緊張なさらないで」
鈴の音が転がるような声で笑うアルテマは、悪役令嬢と言うより、深層のご令嬢と言う言葉がピッタリな程に、大変美しかった。いや、美しいのは知っていた。何しろ乙女ゲームで散々アルテマのスチル絵を見てきたのだから。小さなスマホの画面でも、ハッキリとわかるほどに書き込まれたアルテマの顔は、長いまつ毛に縁取られた紫色の瞳がキラキラと輝いていたし、シャンプーのCMに出てきそうな程に艶やかな黒髪は午後の陽射しを浴びて輝いていた。結い上げられていないから、そよぐ風に毛先が揺れて生きているのが奇跡のような繊細に作り上げられたビスクドールのような存在だった。1枚のスチル絵と言ってしまえばそれまでだけれど、このアルテマを書き上げるとしたら、絵師は一体何時間必要になるだろうか。息を飲むような美しさが、アンジェリーナの目の前にあった。
「あ、申しわけございません。あの、あまりにもお美しいので、つい……」
うっかり目の前にいるアルテマをアルテマと呼んでしまいそうになり、アンジェリーナは慌てた。慌てたからこそ、上手い具合に自分で自分をフォローできた。
「ああ、わたくしのことはアルテマと呼んでくださいな。アンジェリーナさん」
にっこりと微笑みながらそんなことを言われれば、天にも登りそうな気持ちになる。悪役令嬢なんて、なんて肩書きを付けたんだ運営は!そんな気持ちでいっぱいになる。どう見ても天上から舞い降りた天使である。
「はい。ありがたき幸せ」
カーッと首のあたりから熱くなるのを感じて、アンジェリーナは焦ってしまった。まさかのまさかのまさかである。アルテマの登場シーンはめんどくさいのでスキップボタンを連打していた。そんな自分を今なら殴りたい。なぜこんなにも美しい声を聞かなかったのだろう。もったいないことをした。本当にもったいないことをした。口元を扇で隠しながら上品に笑うその姿、同じ制服をきているはずなのに、全く別物に見えてしまう不思議。そう、周りにいる取り巻きの貴族子女である女子生徒たちともアルテマは全く別物なのである。
「嫌だわ。そんな男性みたいな言い方なさらないでくださいな」
アルテマがちょっと小首を傾げるような仕草で言うものだから、アンジェリーナはますます顔が熱くなった。よくあるヒロインのあざとかわいいとは、全く別物の愛らしさがそこにはあった。だれにも真似しようができない。純粋無垢な乙女の疑問形、思わず胸がキュンとしてしまった。
「も、申しわけございません。その、アルテマ様の美しさが尊いのです」
思わず口走ってから、アンジェリーナはもうはんせいした。いや、尊いってなんだよ。ということだ。伝わらないだろう。尊いは。
「?そうなの?ありがとう」
いやいや、アルテマ、今、分からなくて疑問形だったよね。アンジェリーナはすかさず突っ込みたかったが、取り巻きたちの冷ややかな目線に気が付き慌てて目を伏せた。ダメだ。直視してはいけない。推しの推しは最推しである。自分のような存在が目線を合わせるなんて、畏れ多いもいいところである。
「アルテマ様」
横から取り巻きの一人が促すと、ようやくアルテマは今が何の時間なのか思い出したようだ。
「うふふふ、お茶についてアンジェリーナさんにお教え致しますわね」
そう言ってテーブルの上に並べられたのは紅茶の茶葉だ。缶に入っているのでなんだかわからないが、そのようなラベル表記があるのでアンジェリーナにもそれだけはわかった。
「よく午後のお茶会で飲まれるのはこれらの茶葉です。上級者となるとブレンドしたりもしますけど、あまりに歓迎はされませんね。やはり茶師が作ったものをそのままが一番ですからね」
そう説明しながら、アルテマは流れるような動作でお茶の支度を初めて行った。
「実際のお茶会ではお茶をいれるのはメイドの仕事になるのですけれど、主人の気に入るようにいれて貰わなければなりません。やはり自分でキチンとお茶をいれられる知識と作法を会得して置く必要があります」
一つ一つの動作ごとに説明を加え、アルテマはアンジェリーナに確認しながらお茶の入れ方をレクチャーしていく。それをアンジェリーナはしっかりとみているのだが、あまりにも美しすぎる所作に見とれてしまい、白磁のティーカップにそそがれるお茶の最後の一滴まで凝視してしまったのであった。
「まぁ、お顔が近すぎましてよ」
アルテマが鈴を転がすような声でそう言ったとたん、アンジェリーナは我に返った。いやいやいやいや、うっかり自分の目で脳内実況中継をしてしまった。たぶん乙女ゲームの中でなら、ミニゲームとしてお茶の入れ方が実行されていたことだろう。たぶんそうだったと記憶している。リアルに時間が計られて、最後に白磁のティーカップに注がれたお茶の色までが判定されるのだ。合格点がなかなか厳しく、何回もやり直しをした記憶がある。とうぜん、やり直しの回数が多ければ、攻略対象者の好感度が下がっていく。渋いお茶を飲ませると、ものすごく下がっていたことも記憶している。
「も、申し訳ございません」
「まぁ、色も大切な要素ですからね」
アルテマがサラリと流してくれたので、取り巻きたちの冷ややかな目線だけで済んだことはよしとしよう。
「香りはいかが?」
ティーカップをまだ凝視しているアンジェリーナに、アルテマが尋ねる。ティーカップに注がれている時から香りはたっていたのだが、今はふんわりと鼻で感じ取れる。花のような甘さとどこかスッキとした爽やかさがある。
「とてもいい香りがします。甘いけれどどこかスッキリとした」
「素晴らしいわ」
アンジェリーナの感想を聞いてアルテマが手放しで褒めてくれた。どうやら正解だったらしい。とは言うものの、この答えは乙女ゲーム内で何回も答えてきた答えだ。もっとも、他の答えがあまりにもあんまりだったので、間違えたことは無い。そのおかげで転生した今でも覚えているのだから運営に感謝しておこうと思う。
「お茶菓子はいかがかしら?一緒に召し上がってみて」
そう言ってアルテマが複数の焼き菓子を出てきた。どうやら味の違う焼き菓子らしく、だいたい今回のお茶にあうらしいのだが、その中で特にあうものを見つけるのがテストのようだ。これももちろん、乙女ゲームの中でミニゲームとして登場した。ゲームの時は見た目で判断画できたのだが、実際の焼き菓子となると難易度が桁違いに跳ね上がる。
(全く見た目じゃ違いが分からないじゃない)
アンジェリーナは大いに焦った。何しろ取り巻きたちが冷ややかな目線を終始送って来ているからだ。中にはアンジェリーナを小馬鹿にしたようなわかりやすい目線もあるが、中には睨めつけるような目線も混じってるから緊張感が半端ない。
「遠慮なく召し上がって?」
アルテマに再度促されたので、アンジェリーナは意を決して焼き菓子を口にした。香ばしい焼き菓子ではあるが、確かに1つづつ味が違う。
(ゲームの時は番号がふってあったから順番に押せば何とかなったけど、流石にコレは難しい)
一枚食べてはお茶を飲み、咀嚼しながら考える。こう言っちゃなんだが、どれも大変に美味しい。あうあわないかで考えれば、どれでもいいような気がする。所詮アンジェリーナはこの世界において庶民。前世の記憶は持っているが、前世でだって庶民。お寿司は回転寿司で、平日ランチはコンビニ弁当だった。多分この世界の食べ物よりは相当美味しい物を食べていただろうけれど、ぶっちゃけ味の記憶なんてない。味噌とか醤油が恋しい時はあるけれど、自分で作ろうとか探そうとまでは思わない。その程度なのだ。食べ物に対してその程度の思い入れ、つまり毎日美味しくごはんが食べられればいい。この感覚は前世も今世も変わらない庶民の味感覚なのである。
「こ、ちらが美味しかったです」
言葉を慎重に選びながらアンジェリーナは焼き菓子をひとつ選んだ。
「まぁ、素晴らしいわ。わたくしもそう思いましてよ」
にこやかに微笑むアルテマを見て、アンジェリーナはほっと胸を撫で下ろしたのだった。
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