アミューズ.2

 「では入学祝いとして、フルコースを堪能していただきたいと思います。とは言えこれも授業の一環となります。味付けはシンプルに、素材の味を活かしたものです。しっかりと味わうようにしてください」


 その言葉と共に配膳ワゴンが2台、教室内に運ばれてきた。


「まずはアミューズを」


 目の前に運ばれてきたのは、一口サイズの赤い塊。火がはいっているのか分からないほど赤く、艶やかだった。

 これが人の肉。

 実際に目にしても、意外なほど落ち着いていた。恐怖や嫌悪感よりも、好奇心からなのか、それとも別の欲求なのか、と思うほど、その塊は魅力的すぎた。


 みんな恐る恐る、口に運ぶ。ぼくもそれに倣い、一口で、頬張った。


 ・・・・・・


 硬いだけ。味がしない。食べた瞬間から味のないガムを噛んでいるような感覚だった。「まず」と呟く声が、周りから聞こえる。どうやらぼくがハズレの肉を引いたわけではなかったようだ。

 なんとか水で流し込み、飲み込んだ。

 

 その後も前菜、スープ……と最後のコーヒーまで、ほとんどの料理がまずい。素材の味を活かすとは言ったものの、焼いても煮ても美味しいとは思えなかった。

 唯一、スープとして出された、煮込まれた内臓と思われる部位からは味を感じることができた。豚のホルモンに近い味がしたが、これは個体差が大きいらしいのか、隣の生徒は一口食べた瞬間吐き出し、水を大量に飲んでいた。


 「最後にコーヒーをどうぞ。少量の血液をいれた特別なコーヒーです」


 少し酸味の強いコーヒーを飲んでいると、白い着物を着た女性が教室に入ってきた。黒髪の美しく、冷たい空気を纏った、若い女性だった。


「みなさん、入学おめでとうございます。この学園の理事長を務めます、桐塚雪ゆきと申します。最初の料理はどうでしたか?」


 物腰柔らかく、笑顔で問いかける。その問いに答えるものはいなかったが、無言の表情がその回答になっていた。


「とても食べられたものではないでしょう。こんなものを、あなた達の雇い主となるパトロン達は求めているのです。安くて美味しい他の肉があるにも関わらず、です。それはなぜだか分かりますか?」


 学園長は新入生が答えるのを待たず続ける。


「それが、権力だからです。普通の人が食べられない食事を、力を持つ自分たちだけが食べることができる。その権力の証明が人肉なのです。それに、その肉をより美味しく料理できる料理人のパトロンになる事も、自分の力を表すことになります。ここでしっかりと腕を磨いていってくださいね」


 パトロンにとっては、あなた達は今食べたものと変わりないのですよ、学園長はまるでそう言っているようだった。


 「それと、これは私からのプレゼントです」


 配膳ワゴンを運んできた女性2人が、今度は封筒を抱えて戻ってきた。

 そのA4サイズの封筒には新入生それぞれの名前がプリントされている。ぼくの前にも『秋目冬季』と書かれた厚みが1センチほどある茶色い封筒が置かれた。


 「どうぞ、中をご確認ください」


 中には、ある女の写真や履歴書、日記などが入っていた。それが何を意味しているのか、本能が理解するのを拒否していた。

 前のテーブルに座る女の子が吐いた。


 「もうお分かりかもしれませんが、お渡しした封筒の中には、今あなた達が口にした肉の、生前の様子が分かるものが入っています。肉が、肉になる前の姿をよく知っておいてください。普段食べている牛肉や鶏肉と同じことです。ただ肉を見ているだけでは美味しい料理を作ることはできません」


 ぼくのテーブルの上には、笑顔を見せる女性の写真が広がっている。その写真の中には確実に生きている女性がいた。履歴書の中には人生があった。

 その女性を、ぼくは食べたのだ。

 今まで無かった、人肉を食べたという実感が急速に広がった。

 そしてあるひとつの、大きな感情が生まれる。恐怖でも後悔でも、好奇心でもない。いや、強いて言うなら後悔に近いかもしれない。


 ……


 ぼくは冷たくなったコーヒーを飲み干した。




 その日、久しぶりに母の夢を見た。そこはぼくの誕生日に連れて行ってくれた、動物園だった。

 母は、展示されている動物を見て「美味しそうだね」と言っていた。そのときは、本当に食べるのが好きなんだと笑っていたが、母は生きている動物を見ていなかったのではないかと思う。

 母の中ではもうすでに動物は解体され、それぞれの部位に分かれ、肉になっていたのだろう。かつて、母が人間の肉で実際にそうしていたように。


 そして母は唐突にこんなことを言った。


 「チンパンジーってね、共食いするの。なわばり争いとか、ライバルの子供を殺して食べちゃうこともあるんだって」


 「人間は、そんな理由じゃなくて、もっとくだらない理由で共食いするんだけどね」



 

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