新・勇者パーティー
25.「気持ち」
私は、王国の貴族令嬢として生まれた。
名をナディア・ベルモント=クラウディア。
幼い頃の私は、白いドレスに身を包み、父の書斎で本を読み、母の膝に抱かれて眠る、ただの少女だった。
「ナディア様は、将来、きっと王国に欠かせない魔法使いになられます」
そんな言葉を、何度も耳にした。父も母も、私の才能を誇りに思っていた。私は、そんな両親の期待に応えようと、来る日も来る日も、魔法の修練に明け暮れた。
王立学院への入学を見据え、幼少期から専門の家庭教師がつけられた。学ぶことは苦ではなかった。むしろ、私は夢中になって本の世界へ飛び込み、魔法陣の理や精霊との契約法を覚えた。両親も、私の才能を心から喜んでいた。
――けれど、それはあまりにも儚い夢だった。
魔王軍の侵攻が激化したとき、私の家門は真っ先に戦火に呑まれた。貴族である父は兵を率いて領地を守ろうとし、母は民を逃がすために必死に駆け回った。
けれど、魔物の群れの前に人の力はあまりにも小さかった。
燃え落ちる屋敷、黒煙に包まれる街。炎の中で父の叫ぶ声を聞いた。母の背にしがみつき、必死に走った。けれど、振り返った瞬間、母の身体を黒い槍が貫いていた。
私の世界は、一夜にして崩れ去った。
気づけば、私は瓦礫の下に押し潰され、動けずにいた。耳に届くのは人々の悲鳴と、魔族や魔獣の咆哮。そして、やがて訪れる静寂。
息もできず、涙も出ない。ただ、胸の奥が空っぽになる感覚だけが残った。
炎に焼かれ、瓦礫に埋もれ、声も出せない私。
――死んだんだ。
そう思った。
◇
次に目を覚ました時、私は石造りの天井を見上げていた。
重苦しい空気、灯火に揺れる古代の文様。そして、枯れたような低い声が響いた。
「……目を覚ましたようじゃな」
顔を向けると、そこには老いた男の姿があった。
けれど、その輪郭は薄く、透き通っていた。
「……幽霊さん?」
震える声でそう問うと、彼は嗤った。
「ふむ、幽霊とは随分な言い草じゃな。ワシはヴェルハルト。生前は大賢者と呼ばれた者だ。今はただの魂に過ぎぬがな」
その声は静かでありながら、深い威厳を湛えていた。
異常な事態でありながら、私は恐怖よりも、なぜか安堵を覚えていた。
「……どうして、私、生きてるの?」
喉の奥から漏れた疑問に、ヴェルハルト――のちに私の師匠となるヴェル爺は淡々と答えた。
「お主はすでに一度死んだ。だが、縁あって生きた。肉体は一度死に、魂は半分以上残っていない。……だが、それでもお主はあの瓦礫の中で生きておった。ワシはそんなお主を、偶然にも保護しただけじゃ」
――それが奇跡か、それとも呪いか。
その時の私には分からなかった。
その日から、私はヴェル爺と共に暮らすことになった。
遺跡の中で、目を覚ました時点で、私はもはや人としての戸籍も、帰る場所も失っていた。生き残った人々にとって、ナディアという令嬢は、すでに“死んだ”存在。私の名を知る者も、探しに来る者もいない。
両親を救えなかった。
私は無力だった。
もし力があれば、あの夜を変えられたのだろうか。
私には才能なんてものは無いも同然だった。
「どうすれば、強くなれますか」
その瞬間から、私はヴェル爺の弟子となった。
生前「大賢者ヴェルハルト」と呼ばれた存在。王国に多くの弟子を持ち、魔術の体系を築き、王の相談役でもあった。300年前の魔王との戦争の果てに、肉体を失い、この遺跡へ魂だけの存在として縛られた。
そのことを、彼は悲しげに笑いながら語った。
「人の寿命は短い。じゃが、だからといって急ぐことはない。お主はまず、本当の才を知るところから始めるべきじゃ、お主の中にある”それ”を覚醒させねばならん」
「”それ”?」
「死霊術じゃよ。お主は、生と死の狭間に魂を置いた、それによって死霊術を扱える素質が芽生えたのじゃ」
死霊術――王国では忌避され、禁忌とされる魔法。
けれど、今の私にとって、それは父や母に会える唯一の方法に聞こえた。
私がそのとき死霊術に望んだのはただ一つ。
父と母に会いたい――それだけだった。
「魂を呼び戻せばいいの?」
そう問う私に、ヴェル爺は首を振った。
「死霊術とは、死者と共に在るための魔法じゃ。だが、使い方を間違え、死者を無理にこの世へ縛り付けようとすれば、それは呪いとなる」
どういうことか初めは理解できなかった。
そうして、鍛錬を続け、数年が過ぎた。
遺跡の奥で私は魔術書を読み漁り、ヴェル爺と議論した。やがて私は、各地の死霊を訪ね、縛られた魂を解き放ったり、共に歩む家族として迎え入れたりするようになった。
それでようやく私は気付いた。
死霊術とは、生者のためにあるわけではない。
死者と生者を繋ぎ、語り、対等な結末を歩むためのものであると。
十歳を過ぎた頃、私は両親との再会を望むことを止め、遺跡を出てギルドに身を置いた。
主に、魔物の死骸処理――死霊術はそうした場面では非常に役立った。倒れれば腐り瘴気を撒き散らす魔界の生物である魔物。
彼らと語ることによって、その瘴気の影響を軽減することができるからだ。
けれど、周囲の冒険者たちの視線は冷たかった。
依頼の報酬を受け取るたび、依頼主から「二度と来るな」と言われたこともある。
私は心のどこかで思った。
――結局、私は誰にも必要とされないのだろうか。
それでも、死霊たちはそばにいてくれた。
「気にするな、ナディア様」
「私たちはここにいます」
その言葉が、何よりの救いだった。
――そんなある日、彼に出会った。
勇者リカルド様。
その人だけが、私の力を「忌まわしいもの」とは言わなかった。
誰もが私を忌避する中、ただ彼だけが偏見を見せなかった。
死霊を従えている私に、微笑みすら向けた。
――その瞬間、胸に灯がともった。
私を否定しない人間。私を受け入れる人。
私は彼を「推す」ことにした。
初めて会ったその日から、リカルドは私にとって光だった。
私の世界を照らしてくれる太陽。
ギルドで彼の姿を見かけると、心臓が跳ね上がった。
依頼の掲示板の前で彼がどの任務を取るか、こっそりと魔法で覗き見したこともある。
彼の遠征予定を調べ、陰ながら成功を祈る日々。
私は一人きりの「ファンクラブ」を作り、日記帳に彼のことを綴った。
時には魔法でこっそりと手紙を送った。名前も書かず、ただ応援の言葉を送るために。返事が来ることはないけれど、それで十分だった。
彼を応援できること自体が幸せだったから。
やがて、彼のパーティーに迎え入れられた。
勇者パーティーとしての日々は、かけがえのないものだった。
旅の途中で共に食卓を囲み、笑い合い、背中を預け合う。
そして気づけば、私は彼に惹かれていた。
不器用で、責任感が強くて、いつも皆を守ろうとする姿。
その背中に、私は恋をした。
リカルド様は、勇者だ。
彼には王国を背負う責務があり、人々を守る使命がある。
その隣に立つのは、きっと私ではない。
もっと相応しい誰か――清らかで、光のような存在だ。
だから、影の私はその気持ちを伝えようとは思わなかった。
◇
これまで通り、彼を助けられるならそれでよかった。だから、彼の前に出てしまっても、誤魔化そうと初めは思った。
でも、こんな状況で、嘘を言う気にはなれなかった。
「四年前、初めて会ったときからずっと、リカルド様は私の光だった」
リカルド様の前で、私は震える声を吐き出していた。
「……だから、追放されたからって、推し活をやめるなんてことできなかった」
ぜんぶ、言ってしまいと思った。
「昔に、手紙を送ったのも、追放されてから見守っていたのも……」
ダメだったらそれまでだと思った。もう誤魔化せないと思った。
というか、したくなかった。
今まで、面と向かって彼に気持ちを伝えたことはなかったから。
「リカルド様のこと助けたくて、ありがとうって言いたくて!——大好きだから」
言葉を吐き出した。
リカルド様の瞳が、私をじっと見つめる。
その視線に、胸の奥の鼓動が早鐘のように鳴る。
拒絶されたらどうしようという不安。
「ナディア」
リカルド様の声が、静かに、そして確かに私の名前を呼んだ。
「……ありがとうっていう気持ち、ちゃんと届いてた」
そう言いながら、リカルド様は微笑む。
その微笑みは、優しくて、温かくて、私の心を溶かすようだった。
そして、彼はゆっくりと歩み寄り、私の肩に手を置く。
震えていた息が、少しだけ落ち着く。
「ありがとうってさ、俺の方が伝えたいことばっかりだ。今まで、何回も助けてくれてた。あの手紙だって。俺にとっての光は君だって今更、気付いた」
言葉が途切れる。彼の瞳の奥にある真剣さと、微かな照れが混じった表情。
「こんな虫のいいこと言うなんて、嫌かもしれないけど。でも——俺の隣に居てほしいんだ」
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