新・勇者パーティー

25.「気持ち」

 私は、王国の貴族令嬢として生まれた。

 名をナディア・ベルモント=クラウディア。


 幼い頃の私は、白いドレスに身を包み、父の書斎で本を読み、母の膝に抱かれて眠る、ただの少女だった。


「ナディア様は、将来、きっと王国に欠かせない魔法使いになられます」


 そんな言葉を、何度も耳にした。父も母も、私の才能を誇りに思っていた。私は、そんな両親の期待に応えようと、来る日も来る日も、魔法の修練に明け暮れた。


 王立学院への入学を見据え、幼少期から専門の家庭教師がつけられた。学ぶことは苦ではなかった。むしろ、私は夢中になって本の世界へ飛び込み、魔法陣の理や精霊との契約法を覚えた。両親も、私の才能を心から喜んでいた。


 ――けれど、それはあまりにも儚い夢だった。


 魔王軍の侵攻が激化したとき、私の家門は真っ先に戦火に呑まれた。貴族である父は兵を率いて領地を守ろうとし、母は民を逃がすために必死に駆け回った。


 けれど、魔物の群れの前に人の力はあまりにも小さかった。


 燃え落ちる屋敷、黒煙に包まれる街。炎の中で父の叫ぶ声を聞いた。母の背にしがみつき、必死に走った。けれど、振り返った瞬間、母の身体を黒い槍が貫いていた。


 私の世界は、一夜にして崩れ去った。


 気づけば、私は瓦礫の下に押し潰され、動けずにいた。耳に届くのは人々の悲鳴と、魔族や魔獣の咆哮。そして、やがて訪れる静寂。

 息もできず、涙も出ない。ただ、胸の奥が空っぽになる感覚だけが残った。


 炎に焼かれ、瓦礫に埋もれ、声も出せない私。


 ――死んだんだ。


 そう思った。



 次に目を覚ました時、私は石造りの天井を見上げていた。

 重苦しい空気、灯火に揺れる古代の文様。そして、枯れたような低い声が響いた。


「……目を覚ましたようじゃな」


 顔を向けると、そこには老いた男の姿があった。

 けれど、その輪郭は薄く、透き通っていた。


「……幽霊さん?」


 震える声でそう問うと、彼は嗤った。


「ふむ、幽霊とは随分な言い草じゃな。ワシはヴェルハルト。生前は大賢者と呼ばれた者だ。今はただの魂に過ぎぬがな」


 その声は静かでありながら、深い威厳を湛えていた。

 異常な事態でありながら、私は恐怖よりも、なぜか安堵を覚えていた。


「……どうして、私、生きてるの?」


 喉の奥から漏れた疑問に、ヴェルハルト――のちに私の師匠となるヴェル爺は淡々と答えた。


「お主はすでに一度死んだ。だが、縁あって生きた。肉体は一度死に、魂は半分以上残っていない。……だが、それでもお主はあの瓦礫の中で生きておった。ワシはそんなお主を、偶然にも保護しただけじゃ」


 ――それが奇跡か、それとも呪いか。

 その時の私には分からなかった。


 その日から、私はヴェル爺と共に暮らすことになった。


 遺跡の中で、目を覚ました時点で、私はもはや人としての戸籍も、帰る場所も失っていた。生き残った人々にとって、ナディアという令嬢は、すでに“死んだ”存在。私の名を知る者も、探しに来る者もいない。


 両親を救えなかった。

 私は無力だった。

 もし力があれば、あの夜を変えられたのだろうか。


 私には才能なんてものは無いも同然だった。


「どうすれば、強くなれますか」


 その瞬間から、私はヴェル爺の弟子となった。


 生前「大賢者ヴェルハルト」と呼ばれた存在。王国に多くの弟子を持ち、魔術の体系を築き、王の相談役でもあった。300年前の魔王との戦争の果てに、肉体を失い、この遺跡へ魂だけの存在として縛られた。


 そのことを、彼は悲しげに笑いながら語った。


「人の寿命は短い。じゃが、だからといって急ぐことはない。お主はまず、本当の才を知るところから始めるべきじゃ、お主の中にある”それ”を覚醒させねばならん」


「”それ”?」


「死霊術じゃよ。お主は、生と死の狭間に魂を置いた、それによって死霊術を扱える素質が芽生えたのじゃ」


 死霊術――王国では忌避され、禁忌とされる魔法。

 けれど、今の私にとって、それは父や母に会える唯一の方法に聞こえた。


 私がそのとき死霊術に望んだのはただ一つ。

 父と母に会いたい――それだけだった。


「魂を呼び戻せばいいの?」


 そう問う私に、ヴェル爺は首を振った。


「死霊術とは、死者と共に在るための魔法じゃ。だが、使い方を間違え、死者を無理にこの世へ縛り付けようとすれば、それは呪いとなる」


 どういうことか初めは理解できなかった。


 そうして、鍛錬を続け、数年が過ぎた。


 遺跡の奥で私は魔術書を読み漁り、ヴェル爺と議論した。やがて私は、各地の死霊を訪ね、縛られた魂を解き放ったり、共に歩む家族として迎え入れたりするようになった。


 それでようやく私は気付いた。


 死霊術とは、生者のためにあるわけではない。

 死者と生者を繋ぎ、語り、対等な結末を歩むためのものであると。


 十歳を過ぎた頃、私は両親との再会を望むことを止め、遺跡を出てギルドに身を置いた。


 主に、魔物の死骸処理――死霊術はそうした場面では非常に役立った。倒れれば腐り瘴気を撒き散らす魔界の生物である魔物。

 彼らと語ることによって、その瘴気の影響を軽減することができるからだ。


 けれど、周囲の冒険者たちの視線は冷たかった。

 依頼の報酬を受け取るたび、依頼主から「二度と来るな」と言われたこともある。


 私は心のどこかで思った。

 ――結局、私は誰にも必要とされないのだろうか。


 それでも、死霊たちはそばにいてくれた。


 「気にするな、ナディア様」

 「私たちはここにいます」


 その言葉が、何よりの救いだった。


 ――そんなある日、彼に出会った。


 勇者リカルド様。

 その人だけが、私の力を「忌まわしいもの」とは言わなかった。


 誰もが私を忌避する中、ただ彼だけが偏見を見せなかった。

 死霊を従えている私に、微笑みすら向けた。


 ――その瞬間、胸に灯がともった。


 私を否定しない人間。私を受け入れる人。


 私は彼を「推す」ことにした。


 初めて会ったその日から、リカルドは私にとって光だった。

 私の世界を照らしてくれる太陽。


 ギルドで彼の姿を見かけると、心臓が跳ね上がった。

 依頼の掲示板の前で彼がどの任務を取るか、こっそりと魔法で覗き見したこともある。

 彼の遠征予定を調べ、陰ながら成功を祈る日々。


 私は一人きりの「ファンクラブ」を作り、日記帳に彼のことを綴った。

 時には魔法でこっそりと手紙を送った。名前も書かず、ただ応援の言葉を送るために。返事が来ることはないけれど、それで十分だった。

 彼を応援できること自体が幸せだったから。


 やがて、彼のパーティーに迎え入れられた。

 

 勇者パーティーとしての日々は、かけがえのないものだった。

 旅の途中で共に食卓を囲み、笑い合い、背中を預け合う。


 そして気づけば、私は彼に惹かれていた。


 不器用で、責任感が強くて、いつも皆を守ろうとする姿。

 その背中に、私は恋をした。


 リカルド様は、勇者だ。

 彼には王国を背負う責務があり、人々を守る使命がある。

 その隣に立つのは、きっと私ではない。

 もっと相応しい誰か――清らかで、光のような存在だ。


 だから、影の私はその気持ちを伝えようとは思わなかった。





 これまで通り、彼を助けられるならそれでよかった。だから、彼の前に出てしまっても、誤魔化そうと初めは思った。


 でも、こんな状況で、嘘を言う気にはなれなかった。


「四年前、初めて会ったときからずっと、リカルド様は私の光だった」


 リカルド様の前で、私は震える声を吐き出していた。


「……だから、追放されたからって、推し活をやめるなんてことできなかった」


 ぜんぶ、言ってしまいと思った。


「昔に、手紙を送ったのも、追放されてから見守っていたのも……」


 ダメだったらそれまでだと思った。もう誤魔化せないと思った。

 というか、したくなかった。


 今まで、面と向かって彼に気持ちを伝えたことはなかったから。


「リカルド様のこと助けたくて、ありがとうって言いたくて!——大好きだから」


 言葉を吐き出した。

 リカルド様の瞳が、私をじっと見つめる。


 その視線に、胸の奥の鼓動が早鐘のように鳴る。

 拒絶されたらどうしようという不安。


「ナディア」


 リカルド様の声が、静かに、そして確かに私の名前を呼んだ。


「……ありがとうっていう気持ち、ちゃんと届いてた」


 そう言いながら、リカルド様は微笑む。

 その微笑みは、優しくて、温かくて、私の心を溶かすようだった。


 そして、彼はゆっくりと歩み寄り、私の肩に手を置く。

 震えていた息が、少しだけ落ち着く。


「ありがとうってさ、俺の方が伝えたいことばっかりだ。今まで、何回も助けてくれてた。あの手紙だって。俺にとっての光は君だって今更、気付いた」


 言葉が途切れる。彼の瞳の奥にある真剣さと、微かな照れが混じった表情。


「こんな虫のいいこと言うなんて、嫌かもしれないけど。でも——俺の隣に居てほしいんだ」

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