23.「白と黒、勇者と仮面」

「……え?」


 私の心臓が、凍りついた。心臓の鼓動すら、感じられなかった。

 リカルド様が、死んだ?

 殺された?


 私が、ここに、いたのに。私の、目の前で?


「……」


 私が動けなかったから。

 私が、ただ立ち尽くしていたから。

 だから、リカルド様が死んだ。


 フローラに後ろから刺され、崩れ落ち、そして——トドメを刺された。

 死霊術師として、いつも隣にいてくれた死霊たちの気配がない。何も聞こえない。

 ゴドフリーさんも、ミランダさんも、もう声を上げていなかった。

 ただ、静寂だけが私たちを包んでいた。


 だから、その静寂を破る声が、私には鮮明に聞こえた。


「少々遅れた、ティサーナリス」


 フローラの、凍えるような声が響く。


「今はフローラよ、ディウフィスト」


 影と共に、黒い鎧を纏った人影が現れた。その気配で、私にはすぐに分かった。フローラが白牢ならば、この男は、もう一人の四天王、黒牢だ。


「勇者は?」


 ディウフィストが、リカルド様を見下ろす。


「こいつよ」


 フローラが冷たい声で答える。その声には、一切の感情が感じられなかった。


「ほぉ……生きてるようだな」


 ディウフィストの言葉に、私は息をのんだ。


「うそでしょ?」


 フローラの口から、ひどく間の抜けた声が漏れた。


「お前には分からんか?——霊脈を辿ってみろ、死んでいない。これは聖剣の加護の影響か」


 その言葉に、私の視界が、一気に開けた。


(聖剣の、加護……)


 リカルド様は、聖剣の加護によって、まだ、この世に繋がれていた。

 その事実に、私の心に、わずかな希望の光が灯った。


「だが、時間の問題だろう。聖剣の加護も、長くは持たない。何度か致命を与えてやれば死ぬ」


 ディウフィストが、腰の剣に手をかける。


「いいえ」


 フローラが、その手を制した。


「私が、するわ」


 フローラの言葉に、ディウフィストは肩をすくめた。


「好きにしろ。だが、あまり時間をかけるな。魔王様が待っておられる。それに、俺の罠もそう長くは持たないからな」


 罠?


「そうだろう、影の死霊術師よ」


 フローラの言葉。


『——今は出てこれないようね』


 違和感は会った。でも、本当に気付かれているなんて。


 ディウフィストの言葉が、幾重にも隠蔽し、隠れ潜んでいた私を、まっすぐに貫いた。

 私は、その場に立ち尽くしていた。動けなかった。彼の言う通り、私はさっきから動けていない。死霊の皆も、気配が消えかかっていた。


「貴様たちがここに来る前に、俺の影の結界を張り巡らせておいた。霊脈に由来する俺だけが持つ特殊な構造結界だ。ちょうど、”魂”に標的を絞った拘束魔法のようなものでな」


 その言葉に、私は絶句した。すべてが、黒牢の仕組んだ罠だったのだ。


「炎牢の魂が貴様の中にあることを見れば、奴を救うために魂を身体から出したのだろう。失敗だったな」


 ディウフィストは、ニヤリと笑った。その笑みには、私を嘲笑うような、深い侮蔑の色があった。


 その間にも、リカルド様の体が、ゆっくりと、確実に冷えていくのが分かった。聖剣の加護が、少しずつ、弱まっていく。


(リカルド様が……!)


 ゴドフリーさんも、ミランダさんも、動けない。私が、やるしかない。


「……っ」


 魔法は全く使えそうにない。それでも、動くしかなかった。

 重い足を確実に持ち上げた。


(いける!)


 また一歩前に出し、私は走り始めた。


「ほう、見所があるな」


 ディウフィストは、愉快そうに笑った。


「だが、無駄なことだ」


 彼は、腰の剣を抜き放つ。その刃は、闇を纏い、私に向かって、鋭く振り下ろされた。


 ザシュッ――!


 私は、斬撃が当たる瞬間、前に飛び込み、地面を転がった。斬撃は、私の横を通り過ぎ、岩壁に深い傷をつけた。


 黒牢は、つまらなさそうに鼻を鳴らす。


「やはり、魔法は使えないようだな。今の貴様になにができる?勇者を救えるのか?」


 私の頭の中で、すべての点と点が繋がった。カルディアを縛っていたあの忌まわしい鎖。そして、ファルネウスを苦しめていた呪い。それは、魂に直接作用する呪いだった。


 そして、目の前の男の持つ力は、まさにそれだった。


「——あなたよね? カルディアを、ファルネウスを、あの”呪縛”に縛ったのは!」


 ディウフィストの笑みが消え、その瞳にわずかな驚きの色が浮かぶ。


「……ほう。そこまで見抜くとはな。そうさ。俺は魂を操る。死人の魂に願いを乞うような、貴様の力とは違う」


「ディウフィストの言う通りよ。霊脈を操る私と、魂を操る彼、この世界のすべてを、支配することができる。魔王様に選ばれた力なのよ」


 霊脈を操る?

 死者を操る?


 死霊術師は、ただ静かに、死者と語り合い、彼らに安らぎを与え、彼らの力を借りる存在。


 私は、震える声で尋ねた。


「そんなこと許されるはずないじゃない」


「愚問だな」


 ディウフィストは、嘲笑した。


「力があれば、許されるのだ」


 ディウフィストは、再び剣を構えた。その瞳には、もはや私への興味すら見られなかった。冷たい殺意だけがあった。


「死ぬがいい……」


 彼の声が、私に降り注ぐ。

 私は、地面を蹴り、最後の力を振り絞って、リカルド様へと向かって、飛び込んだ。


「退け!!!」


 なんでもよかった。

 リカルド様を救えるのなら、どんなリスクを背負ってもよかった。


 魔法が使えないのなら、強制的に体内の魔力を放出すればいい。

 魔法は、あくまで安全かつ効率的に魔力を排出方法なだけ。


「 ——【魔力暴走マナ・バースト】!」


 体内にあった魔力のほぼすべてを使った。

 一部は、リカルド様への推進力として。

 残りは、リカルド様の前に立つフローラとディウフィストを吹き飛ばすため。


「なっ——」


 【魔力暴走マナ・バースト】は成功した。

 フローラとディウフィストを吹き飛ばし、リカルド様の元へ私は辿り着いた。


「リカルド様!」


 倒れていたリカルド様の体を、抱き上げる。その体は、信じられないほどに冷たかった。命が、風前の灯火だということを、肌で感じた。


「……リ、カルド、様……」


 声が、震える。もう、時間がない。私は、この体で、彼に何ができる?

 その時、私の頭の中に、ファルネウスの声が響いた。


『――愚か者が。このままでは、貴様もろとも、魂ごと消滅するぞ』


 靄がかかったような掠れたファルネウスの声。


『彼を救えるならそれでいい!』


 彼が目覚めたことに驚きつつも、私は返事をした。


『はぁ、仕方がない女だ……』


ファルネウスの声が、かすかに笑ったように聞こえた。


『――我の魂を使え』


『え?』


『なに、命の大半をお前に渡すだけだ。全てではないのだから、心配せずとも死にはしない』


 その瞬間、私の体から、激しい炎が燃え上がった。それは、ファルネウスの力。彼の魂。


「ほう……面白い」


 ディウフィストが、目を細めた。


「その体に、炎牢の魂を宿らせたか。だが、所詮は、魂だ。俺の魂の呪縛には、抗えん」


 ディウフィストが、再び剣を構える。その剣から放たれる闇の力が、私へと向かって、渦を巻いていく。


 私は、炎を纏ったまま、リカルド様を抱きかかえ、その場から飛び退いた。


「遅い」


 ディウフィストの声が、冷たく響く。その声に呼応するように、黒い渦はさらに巨大化し、鋭い刃となって私に迫ってくる。


(速い……!)


 私は必死に避けるが、渦の速度は私の予想を遥かに超えていた。一撃、また一撃と、私の炎のバリアを削っていく。リカルド様を抱えているため、動きが鈍くなっているのだ。


「無駄だ。俺の刃は、魂を断つ。その炎牢の魂も、貴様自身の魂も、すべて切り裂いてやろう」


 ディウフィストに、フローラが静かに歩み寄る。その手には、先ほどリカルド様を刺した銀の刃が握られていた。


「ディウフィスト、遊んでいないで」


「わかっている。だが、あのバリアは少し厄介だ」


 フローラの言葉にも、ディウフィストはどこか楽しそうに笑っている。

 そのときだった。ファルネウスの声が、私の頭に響く。


『ナディアよ。無駄な力を振りまくでない。我の魂は、お前が想像するよりも、ずっと強い。だが、奴には、ただの力では対抗できん。父はそれで負けた』


『どうすればいいの?』


『……思い出すのだ。俺が、お前たちに語ったことを。我にはお前が居るのだろう?——お前には誰が居る?』


 リカルド様の顔が浮かぶ。死霊達——家族の声が聞こえる。


『炎は独りよがりの力ではない。暖かさの証明であり、集団の証明だ。誰かのための光だ。それを忘れるな、そして”想え”』


 誰かのための光。

 リカルド様が私に教えてくれたように私も彼の光になる覚悟がいるのかもしれない。


(影じゃない、リカルド様にだって照らしてくれる光が必要だったんじゃないの?)


 私は、リカルド様を抱きしめた。

 精一杯、優しく抱きしめた。


 彼の冷たい体温が、肌を伝わってくる。


 私の炎は、彼を守るためのもの。

 私の炎は、彼を温めるためのもの。


「大好きです……!」


 私は、リカルド様を抱きしめたまま、閉じていた瞳をゆっくりと開いた。


 私の周りに燃え盛っていた炎が、ゆっくりと形を変えていく。

 燃え盛るような赤い炎ではない。


 ファルネウスの力が、私の中で変質した、包み込む暖かい炎だった。


 ディウフィストは、その変化に、わずかに目を見開いた。


 ディウフィストの闇の剣が、再び私に向かって振り下ろされる。

 その刃が、私に届く寸前、私は、リカルド様を抱きかかえたまま、一歩も引くことなく、その場を動かなかった。


「……大丈夫」


 私の口から、確信に満ちた言葉が漏れた。


「……もう大丈夫だから」


 私は、炎を纏った拳を、ディウフィストの闇の刃に向かって、真っ直ぐに突き出した。


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