21.「語ること」

 ――炎に包まれた魂の牢獄。

 赤黒い溶岩の地に、鎖に繋がれた巨躯がゆらりと揺れていた。


「……我は四血族、その一角を担う炎の血族の末裔だ」


 ファルネウスは虚ろな目で遠い昔を懐かしむように語り始めた。

 その声は、かつて敵として対峙したときの咆哮とはまるで別人のように、静かで、どこか誇りを滲ませていた。


「四血族……?」


 思わず私は呟いていた。


「四血族とは……代々、魔王に仕えてきた四天王の家系を指す。炎、氷、風、岩。それぞれが特異な魔力を持ち、魔界の秩序を保っていた」


 ファルネウスの言葉に、私は息をのむ。

 つまり、いままで四天王と呼ばれていた存在は、その都度選ばれる者ではなく、代々受け継がれてきた血統だったのだ。


「我ら炎の血族は火力に優れ、また忠義にも厚かった……少なくとも、あの女が魔王になるまでは」


 あの女――おそらく現魔王のことだろう。

 ファルネウスの瞳に紅蓮の怒りが宿る。


「二十年前、先代魔王が死んだ。死因は分からん。だが、その直後、末席にいたはずの女が突如として現れ、自らを魔王と名乗った。風と岩の血族は反発した。正当性を疑い、先代の死をも不審に思ったからだ。だが……」


 ファルネウスは歯ぎしりし、鎖を震わせた。


「彼女の力は我らの想像を遥かに超えていた。反発した風と岩の血族は、一族もろとも滅ぼされた。魂ごと消し飛ばされ、転生すら許されぬ真の滅びだ」


「……なんてこと……!」


 私は胸の奥が冷たくなるのを感じた。

 魂ごと消す――それは私が知るどんな死よりも残酷なことだった。


 浄化と消滅ではその性質そのものが大きく違う。

 消滅とは、死ではなく、無となること。


 生きていたという証すら残させない残酷なものだった。


「氷の血族は、風と岩の末路を見て、カルディアを生かすという約束のもと、魔王に恭順した。だが、結果はお前カルディアも知っていよう」


「……ええ。私以外、皆……」


カルディアの声は、脆く崩れた。


「炎の血族もまた同じだ。生き残るため、一族を守るために従った。だが守れたのは……我一人。父は黒牢との戦いで力を失い、呪いに蝕まれて消滅した。母も、弟も、妹も……皆、呪いに耐えきれず、燃え尽きた」


 ファルネウスの言葉に、私は息を詰めた。


「我とカルディアは人類に破れ、残ったのは白牢と黒牢だ」


 ファルネウスは重々しい鎖を引きずりながら、顔を上げた。


「奴らは純粋な魔族ではない。血族を持たず、ただあの女の意思を体現する存在だ。姿は……人に近い」


(人……?)


 魔族は基本的に、死地や魔界の瘴気でしか生きることはできず、その生態から、多くは獣の姿や異形を伴う。


「そして、あの女は白牢と黒牢を新たな支配者に据えた。人と対等な関係を結ぶ現状に不満を持った魔族を利用し、それを認めさせた。なにより、対抗できる者達がそのときには居なかった」


 鎖がぎしりと鳴り、炎が揺れる。

 私は無意識に拳を握っていた。


「だが、まだ、平穏を望む魔族もいる。……人と争うことを望まず、ただ生きることを願う者たちが。だが、あの女の支配のもとでは、それもあとどれだけ続くか」

 

「なら、あなたが平和を実現させればいいわ」


「ははは、何を言い出すかと思えば、それは無理だと言っただろう。四血族の中で最も力を持っていた我にかけられた呪縛は、お前カルディアの比ではない」


「私が弱いとでもいいたいのかしら」


「そうだな、我の方が強い」


 ファルネウスの口元にかすかな嘲りが浮かんだ。


「なら、どうして今は鎖に縛られているの?」


 カルディアは一歩踏み出し、ファルネウスの足元へと迫った。


「強さがすべてなら、あなたは鎖に縛られなかったはずよ。――でも、現実は違った。あなたは心を囚われたのよ」


 ファルネウスの巨体がぴくりと揺れた。

 鎖の先で炎がぱちぱちと弾ける。


「……口の減らぬ女よ」


「ついさっき自由に話せるようになったの。ここのナディアが救ってくれた」


 カルディアの声が響いた。

 その声は、どこか誇らしげに聞こえた。


「だから、貴方を救うことができると、私が保証するわ」


「ええ、カルディアの言う通り。私には力がない。剣を振るうことも、炎を操ることもできない。ただ……耳を傾けることならできる。カルディアの声を聞いたように、あなたの声を聞くことだってできる」


「声を……聞くだと?」


 ファルネウスの目が、わずかに細められた。

 その炎の奥に、かすかな揺らぎが宿る。


「あなたの家族を想う。その心は、カルディアと同じよ」


 私の言葉に、ファルネウスの瞳が揺れた気がした。


「……我の心を掘り返すつもりか。とうに消えた心を」


「消えてないわ」


 私は静かに首を振った。


「あなたはまだ悲しんでいる。怒っている。――それは、生きている証でしょう?」


 ファルネウスはしばし黙り込み、その沈黙の中で、鎖の音だけが静かに鳴る。


(家族を喪った痛みと……守れなかった悔恨。そこに届けば、呪縛を解く糸口が掴めるはず)


「この魂の深層でなら、魔王の呪縛もその影響も落ちるわ。だから、あなたも思い出して」


 私は小さく息を吸い、目を閉じた。


 意識を沈める。

 赤黒い熔岩の地の下、さらに深く――燃えさかる魂の核へと。


 そこには、無数の声があった。

 炎に呑まれ、悲鳴を上げる家族の声。

 父の怒号、母の嘆き、弟妹の叫び。

 すべてが燃え尽き、灰となり、ファルネウスの胸にこびりついている。


「ファルネウス……」


 私は呼びかける。


「あなたは独りじゃない。あなたの痛みは、私が一緒に背負う」


「もちろん、私もよ。同じ四天王として背負ってあげるわ」


 その瞬間、ひと筋の蒼い光がきらりと射す。

 外界からの光。


(これは聖火?……)


 覚醒した勇者の証——リカルド様の聖剣が纏っていた光そのものだった。


「……馬鹿な連中よ」


 ファルネウスの声が震える。


「勇者もお前達も、我以上に熱い心を持っているではないか」


「そんなことない、貴方だって本当は負けてないはずよ」


「……」


「黙ってどうするのよ、沈黙は肯定ってことでいいのよね?——いくわよ」


 私は黒い鎖へと指を延ばし、言葉を紡ぐ。


「――【鎮魂律レクイエム】」


 歌のような詠唱が、魂の空洞に響く。

 私は死者のための歌しか知らない。けれど、いま歌うのは「生き直す」ための歌だ。


「燃えよ、ただし奪うためにあらず。

 照らせ、ただし誇るためにあらず。

 戻れ、ただし過去へあらず。――未来へ」


 私は目を閉じ、すべてを呼んだ。


 ――リカルド様。

 ――ゴドフリーさん。

 ——ミランダさん。

 ——フローラさん。

 ――そして、死霊たち。


 私の家族。


「私には彼らが居て——貴方には今、私が居る」


 ――彼の炎は、誰かの光。

 ――彼の名は、誰かの希望。


 私は黒鎖の結び目へ掌を押し当てた。


「――【魂鎖解呪イグニション・リリース】!」


 閃光。


 炎が白く反転し、次の瞬間、轟音とともに二重の鎖が弾け飛んだ。

 それでも、はじけ飛んだ鎖は、空中で静止し、再び結合し始めた。


「……ナディア。礼を言う。救いは無かったが、おかげで思い出せた」


 ファルネウスが私を見た。


「バカ言わないで、まだ終わってないんだから!!」


「ナディア! 私も支える!」


 カルディアの声が鋭く響き、冷気が私の背を包む。


「聞こえてるでしょう、ファルネウス!」


 私は巨躯を見上げ、声を張り上げた。


「一緒に! 私の手を取って!」


 私は全力で手を伸ばした。

 ――届かないかもしれない。


 けれど、それでも差し伸べるしかない。


「鎖が来る前に早く!」


 沈黙ののち、巨躯の炎の腕が、ぎしりと音を立てて動いた。

 彼の指先が、私の掌に重なる。


「ファルネウス……!」


 次の瞬間、彼の全身から炎が爆ぜた。

 炎が鎖を呑み込み、完全に消滅させる。


 私は膝をつき、胸に手を当てた。


「バカ者が、我が手を取らなければお前も呪縛に——」


「……それでもいいわ」


 私は小さく息を吐き、力強く彼の手を握り返した。


「あなたが苦しんでいるなら、見て見ぬふりなんてできない」


「我は敵だぞ! お前の仲間をも、葬ろうとした!人を殺した!」


 握った掌に熱が食い込み、皮膚が焼け焦げる痛みが走る。

 けれど、私は目を逸らさなかった。


「それでも――救いたいと思った。ただそれだけよ」


「そうよ、ファルネウス」


 カルディアの声。


「あなたはもう、敵じゃない。……私と同じように、縛られていただけ」


「……そうか」


 ファルネウスはかすかに笑った。


「礼をもう一度言おう。我を――我の炎を、思い出させてくれた。我の肉体は限界に近い、流石は勇者だな」


「それって——勝ったのね、リカルド様が」


 私は頷いた。


「なら、付いてきて」


「いいだろう」


 ガラン、と音がして、空間が解けていく。

 意識が現実へと引き上げられ、私は目を開けた。



 溶岩窟の熱風。焦げた岩の匂い。


「……終わったのですね、ナディア様」


 ヴェル爺の囁き。

 クラウスとドレイコが私を囲って、護りの輪を保っている。


「姉御、どうやら成功みてぇだな」


 バーンは、にやりと親指を立てた。


「ええ、それに——リカルド様の方も終わったみたい」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る