親父が遺した大きな遺産
春風秋雄
唯一の家族だった親父が亡くなった
親父の四十九日も終わり、やっと遺品整理もおおかた片付いた。あとはノートパソコンだけだ。俺が買ってあげたパソコンで、なかなかのスペックなので、出来たら初期化して俺が使いたいと思っていたのだが、パスワードが設定してあって、思い当たる数字を色々入れてみたが、どれもヒットせず、ずっと開くことができなかった。やっと落ち着いてきたので、時間をかけてこのパソコンに取り組もうと電源を入れた。今まで様々な数字を入れてダメだった。ひょっとしたら文字が入っているのかもしれないと思ったが、もう少し数字でチャレンジしてみようと思った。まさかとは思うが、「1111」と1を4回打ち込んでエンターを押すと、開いた。なんだよこれ?パスワードになってないじゃないか。まあ、親父のことだ。下手な数字にすれば自分が忘れてしまうと思ったのだろう。
初期化する前に、大切なデータはないだろうかとフォルダーを見てみる。おいおい、親父!こんなのをパソコンに保存するなよ!「A」という名前が付いたフォルダーを開けると、アダルト動画がいっぱい保存されていた。あの年になっても親父は男だから仕方ないかと思う反面、俺自身、自分のパソコンにアダルトの画像や動画を保存していたので、何かあったときのために処分しておかなければと思った。
ピクチャーのフォルダーには懐かしい写真がたくさん保存されていた。昔のプリント写真をスキャナーで取り込んだ画像もたくさんある。親父はこういうことにはマメだったんだなと思った。フォルダーで整理されていて、自分だけの写真、家族写真、仕事関係、学友、風景など、様々な写真が保存されていた。その他というフォルダーを開くと、その中には誰かの結婚式に出席したときの写真とか、どこかの落成式と思われる写真などがあった。そして「K」という名前がついたフォルダーがある。その他というフォルダーの中にまたフォルダーがあるとは、どういうことなのだろうと思い開くと、そこには見知らぬ女性の写真が10数枚あった。これは誰だ?女性の写真は若い学生時代と思われる古い写真をスキャナーでとったものから、今の親父と同じくらいの60代後半と思われる写真まであった。そして、写真の何枚かには娘さんと思われる女性と一緒に写っているものもあり、親父を含めた3人で写っている写真もあった。ひょっとして親父の彼女か?お袋がこの世を去って20年以上になる。親父にそういう人がいてもおかしくはない。まさかとは思うが、この娘さんと思われる女性は親父の子供ではないだろうな?もしそうなら、相続の問題も生じてくる。一体誰なんだろう?写真は若い頃のものが2枚あり、あとは40代か50代になった頃以降のものだった。その中間の20代後半から30代のものはなかった。若いころの写真もそうだが、40代か50代の頃の写真はプリントされたものをスキャナーでとったものだ。現物の写真があるかもしれない。俺はこの前整理したばかりのアルバムや数々の写真が入っていた親父の箱を取り出した。根気よく探していると、あった。一番若い頃と思われる写真の裏を見ると、“昭和53年7月16日箱根にて 山根久美子”と書いてあった。娘さんと思われる女性の高校卒業式に一緒に撮った写真は、平成13年と書かれていた。平成13年に高校卒業ということは、俺よりひとつ上ということになる。しかし、この写真には名前が関根久美子、関根京香となっている。結婚して苗字が変わったのだろう。つまり親父の子供ではないということか?
俺はもう一度パソコンの写真を見た。一番新しそうなもののプロパティを開くと、撮影日時が半年前になっていた。つい最近まで付き合いが続いていたということだ。
俺は、さきほど見た“関根京香”という名前が気になった。どこかで聞いたような名前だ。俺は親父の仕事用の通帳を引っ張り出した。あった。毎月20万円を“セキネ キョウカ”あてに振り込んでいる。てっきり個人事業主の業者か誰かだと思っていた。一体親父とどういう関係なのだ?
俺の名前は滝沢康平。現在43歳の独身だ。滝沢建築事務所を2年前に親父から引き継ぎ、今は代表をしている。親父の滝沢昇は、脳溢血でいきなりポックリと逝ってしまった。まだ68歳だった。ほとんど現役は退いていたので、会社には影響がなかったが、お袋が20年前に病気で亡くなって、父子二人で暮らしていたので、唯一の家族がいなくなり、俺はポカンと心に穴が空いたようだった。俺がこの年まで独身でいたのは、父親と同居という条件がネックになっていたようだ。若い頃から滝沢建築事務所を継ぐつもりでいたので、住居の一階を事務所にしている以上、親父と同居するのが自然な流れだった。しかし、相手女性からすると、将来介護が必要となる父親と同居というのはかなりのネックになっていたのだろう。俺は30代後半になると、もう結婚はあきらめていた。
仕事の区切りがついたところで、俺は関根母娘に会ってみる気になった。どういう関係かはわからないが、親父が亡くなったことを知らないはずだ。せめてその報告だけでもしておかなければならない。本当はハガキの一枚でも出せば事はすむが、俺自身が会ってみたいと思った。
年賀状を引っ張り出し、関根さんから来ていないか探した。あった。印刷された定型文の横にきれいな字で「いつもいつも、ありがとうございます。本年もよろしくお願いいたします」と書いてあった。住所を見る。千葉県の住所になっていた。電話番号は記載されていなかった。今度の休みに行ってみようと思う。その前に、迷った末に親父が毎月振り込んでいた口座を調べ、振り込みがされていなかった3か月分の60万円を振り込んでおくことにした。
住所を頼りに関根さんの家を探す。意外とすぐに見つかった。築30年近くは経っているだろうと思われる一軒家だった。在宅中かどうかはわからない。とりあえず呼び鈴を鳴らす。ほどなくインターフォンから声がした。
「はい、どちら様でしょうか?」
声からして娘さんのようだ。
「滝沢建築事務所の滝沢康平と言います。滝沢昇の息子です」
相手の女性が一瞬息をのむ気配がした。
「少々お待ちください」
女性はそう言ってインターフォンを切った。しばらくして玄関ドアが開いた。
「どうぞ、お入りください」
女性はそう言って俺を中に招き入れた。写真で見たときに綺麗なひとだなと思ったが、実際に会ってみると、本当に綺麗な人だった。俺は玄関で靴を脱ぎ、上がらせてもらった。
仕事柄、家の造りを見てしまう。かなり良い材質のものを使っている。リビングを通って、和室に案内された。座卓の前に座って待っていると、京香さんがお茶を持ってきてくれた。
「初めまして、父がお世話になっていたようで、息子の康平と申します」
俺はそう言って名刺を差し出した。京香さんが緊張した面持ちで名刺を受け取った。
「実は、父は先々月に脳溢血で亡くなりました。本日はそのご報告でお伺いしました」
俺がそう告げると、京香さんは驚いた顔をしていたが、その顔が次第に悲しみの顔に変わってきた。
「そうでしたか、何も知らなくて、葬儀にも駆けつけることもできず、申し訳ありません」
「いえ、とんでもないです。こちらこそご報告が遅くなりまして申し訳ありません。ところで、今日は久美子さんは?」
「お父様から私たち親子のことは伺っていないのでしょうか?」
「父からは何も聞いていなかったのです。遺品を整理していて、偶然関根さん親子のことを知った次第です」
「そうだったのですか。じゃあ、先日振り込んで頂いたお金は?」
「あなた方親子のことを知って色々調べていたら、父が毎月20万円ずつ振り込んでいたようなので、事情はわかりませんが、これは振込をしておかなければいけないだろうと思い振り込みました」
「そうだったのですね。ありがとうございます。現在母はここには住んでいません。施設におります」
「施設ですか?」
「認知症を患っておりまして、私一人ではどうしようもなく、滝沢さんにご相談したところ、施設を探して頂きました」
「そうだったのですね。ところで、父と久美子さんとは、どういう関係だったのでしょうか?」
俺が改めて聞くと、京香さんは少し考えてから説明をしてくれた。
父と久美子さんは大学時代からの付き合いだったそうだ。学生時代は付き合っていたそうだが、ささいなことで喧嘩別れして、それ以来会っていなかったらしい。二人が再会したのは大学の同窓会だった。20年ぶりの再会だった。その時に父が建築事務所を設立したことを話すと、今度家を建てる予定だから滝沢さんのところに頼むと言われ、名刺を渡していたら本当に依頼が来たということだ。その時に建てたのがこの家らしい。それから年賀状のやり取りが始まり、家を建てて2年ほどすると久美子さん夫婦は交通事故にあう。旦那さんが運転していた車に居眠り運転のトラックが前から突っ込んできたそうだ。その事故で旦那さんは亡くなり、久美子さんは右足が不自由になった。家のローンは団体信用保険で完済でき、生命保険や事故の賠償金もあったので当面の生活には困らなかったが、久美子さんは足が不自由になったことで、立ち仕事が主だったそれまでの仕事を辞めざるを得なくなった。座ってできる仕事を探したが40歳を過ぎてからの再就職は難しかった。喪中ハガキを見て慌てて家まで来た父に事情を話すと、自宅でパソコンを使ってできる仕事を世話してくれたそうだ。それから仕事上の付き合いが始まったということだった。その後うちのお袋が亡くなり、父も独身になったことから、二人が再婚すれば良いのではないかと京香さんは言ったのだが、お互い持ち家もあることだし、一緒に生活する必要はないだろうということで籍は入れなかったということだ。
久美子さんは60歳を超えたあたりから、言動がおかしくなり、同じことを何度も繰り返し言うようになった。病院でみてもらったところ、認知症だと診断された。進行を遅らせる薬などを服用していたが、症状はどんどんひどくなり、数年前から働きに出ている京香さん一人では面倒を見きれなくなった。父に相談したところ、老健や特養に入ることは難しく、民間の施設に入れることにしたというわけだ。民間の施設は費用が高く、毎月父が20万円援助すると約束してくれたということだった。
「そうだったのですか。父は久美子さんのことが好きだったのですね」
「申し訳ないです。でも、これだけは信じてください。康平さんのお母様がご存命のときに変な関係にはなっていません。ずっと仕事上だけの付き合いでした」
「父はそういうところはキッチリしていますから、そうだったと信じます」
「あのー、母に会いに行かれますか?」
「施設にですか?是非お願いします」
俺たちは京香さんの車で施設へ行くことにした。
施設の窓口で京香さんが受付の書類に必要事項を書き込み、俺たちは久美子さんの部屋へ行った。部屋に入るなり、久美子さんは俺を見てパッと明るい顔になった。
「昇さん、来てくれたのね」
親父だと思っているようだ。
「お母さん、昇さんの息子さんで康平さんというのよ」
京香さんが久美子さんのもとへ行き、そう説明した。
「初めまして、滝沢康平といいます」
俺が挨拶をすると久美子さんはニコッと笑った。
「やっぱり昇さんは、そういう髪型のほうが似合うわ。これからはずっとそういう髪型にしなさいよ」
近年の親父はすっかり髪が薄くなっていた。久美子さんからすれば若い頃の親父のほうがやっぱりいいのだろう。
その後も、京香さんは何度も説明していたが、久美子さんは俺のことを親父だと思い込んでずっと話していた。俺は京香さんに「もういいよ」と言って、親父になりきって久美子さんと話をした。
「あなたのお母さんは、本当に父のことが好きだったのですね」
帰りの車の中で俺がそう言うと、京香さんはチラッと俺を見てから言った。
「康平さんのお母さんには申し訳ないですけど、昇さんも母のことが本当に好きだったと思います。あの家だって、施工してくれた工務店の人が言っていましたけど、普通の家では使わないような上質の材料を使っていると言っていました。すべて昇さんが用意してくれたものです。費用も破格の金額でやってもらいました」
あの家を見たときに、それは俺も思っていた。かなり良い材料を使っていた。
「父が毎月送金していた20万円ですけど」
俺がお金の話を始めると、京香さんが緊張したのがわかった。
「これからも引き続き送金させてもらいます」
「いいのですか?」
「そうしないとあの施設のお金を払い続けるのは難しいのではないですか?」
「恥ずかしい話ですけど、私の収入と母の年金だけでは、到底無理なのです」
「これは父の遺志ですので、息子である私がその遺志を継ぎます」
「ありがとうございます。助かります」
「これからも、時々久美子さんに会いに来ます。父が来なくなったら寂しがるでしょう?私のことを父だと思っているようなので、ちょうどいいです」
京香さんが俺のほうを見てニコッと笑った。
後日、京香さんから連絡があり、親父の葬儀に行けなかったので、せめて線香をあげさせてくれと言ってきた。まだ納骨をしていなかったので、次の日曜日にお墓ではなく家にきてもらうことにした。仏壇にはお袋の位牌もある。遺骨は仏壇の隣に台を置き、遺影と一緒に置いておいたので、その前に位牌と香炉をおき、そこで焼香ができるようにしておいた。
部屋に上がった京香さんはその様を見て、まず仏壇に向かって線香をあげ、そのあと親父の遺骨に向かって焼香をした。
「一応お母様にもご挨拶させて頂きました」
「ご丁寧にありがとうございます。母は京香さんのことを歓迎していると思います。そして久美子さんにも、自分がいなくなったあと、父の心の支えになってくれたことを感謝していると思います」
「そうなら良いのですが」
リビングへ移り、俺が入れたコーヒーを二人で飲んだ。
「康平さんは、どうして結婚されなかったのですか?」
「親父は何か言っていましたか?」
「康平は俺と違って押しが弱いからと言っていました」
京香さんは笑いながらそう言った。
「確かに押しは弱いです。でもやっぱり親父と同居というのがネックになっていましたね」
「それはあるかもしれませんね。私も母がいたので、結婚はあきらめました。足が不自由な母を置いて出ていくわけにもいかないし、かといって同居してくれる男性はそうそういないですから」
1時間ほど話をしたあとで、俺は久美子さんに会いに施設へ行こうと提案した。京香さんは嬉しそうに「ありがとうございます」と言ってくれた。
京香さんとは月に2回くらいのペースで会うようになった。名目は久美子さんに会いに行くということにしていたが、実際は俺が京香さんに会いたかった。久しく親しい女友達もいなかったので、女性と色々話ができるのが楽しかった。何よりも京香さんは綺麗な人だったので、一緒にいるだけで心が弾んだ。3回目からは施設に行った後に、一緒に食事をするようになった。お互い独り身で、帰っても一人で食事をするだけなので、一緒に食べたほうが楽しいからだ。
親父の初盆を迎えるにあたって、それとなく京香さんに言うと、是非法要には参列させてくださいと言ってきた。参列と言っても、親戚も誰も呼ばないので、俺と京香さんだけだよと言ったが、それでも是非と言ってくれた。
法要が終わり、そのままお墓へ移動して納骨をした。京香さんは長い間お墓に手を合わせていた。
家に帰り、京香さんにも部屋を貸し、着替えをしてもらった。二人して普段通りの姿に戻ったところで、お斎代わりに何か食べに行こうと誘うと、出前をとってここで食べましょうと京香さんがいう。
俺はお寿司の出前を頼んだ。
「今日は昇さんの初盆ですし、飲みましょう」
「車の運転があるじゃないですか」
「大丈夫です。酔いがさめてから帰ります」
「今は厳しいですから、ちゃんと酔いをさまさなければいけないですよ。そうすると酔いがさめるまで時間がかかりますよ」
「その時は、ここに泊めてもらいます」
ここに泊まる?俺は歓迎だけど、本当にいいのか?
40分ほどして出前の寿司が届いた。ビールは冷蔵庫に数本入っており、親父が遺した高級ウィスキーもあるのでお酒は大丈夫だ。
ビールをコップに注ぎ、仏壇に向かって献杯した。
「康平さんは、まだお父さんが亡くなってそれほど経っていないので、具体的には考えられないかもしれないけど、独りになったことで結婚するという可能性もあるの?」
「人の縁というものは、どこでどうなるかわからないものです。良い人がいれば結婚するかもしれませんし、このまま独身で生涯を終えるかもしれません。そういう京香さんはどうなんですか?ネックになっていたお母さんは施設にいるわけですし、結婚しようと思えばできるのではないですか?」
「もうこの年だからね。相手がなかなか見つからないよ」
京香さんは俺よりひとつ上だから、現在44歳のはずだ。
「私ね、若い頃結婚を考えていた人がいたの。でもその人は一人っ子で、結婚したら向こうの家に入らなければいけなかった。お母さんのことがあるから、泣く泣く別れたの。それからは恋なんてできなかった。恋をしても結局は別れることになる。そんな辛い思いはしたくなかったから、好きになりそうな人がいたら避けるようにして、相手が言い寄ってきてもすぐに断るようにしてきた。まだ若かったから、男の人に抱かれたいとも思うけど、そんな関係になったら情がうつる。職場の人や、仕事関係で知り合った人とは、絶対にそんな関係にはならないようにした。私、お母さんを恨んでた。あなたのせいで、私は恋もできない。男の人に抱いてもらうこともできない。女手一つで育ててくれたかもしれないけど、私が大学卒業するまでの学費や生活費はお父さんが遺してくれた保険金や貯金でまかなえたはず。それなのに、あなたのために私は、女として人並みの幸せをつかむこともできないの?って、言いたかった。昇さんが現れて、お母さんといい感じになったとき、二人の幸せのためにというより、昇さんにお母さんを押し付けたかった。昇さんがお母さんの面倒をみてくれたら、私はお母さんから解放される。そうすれば、私は自由に私の幸せを探すことができる。でも、二人は結婚しなかった。お母さんの認知症が進んで、過去と現在がごっちゃになって来た頃に、お母さんが私に言ったの。京香、学校でいじめられてないかい?って。何言ってるのよ。私はとっくに学校は卒業して働いているよって言ったのに、お母さんは続けて言うの。お父さんがいなくていじめられていないかい?私がこんな足だからいじめられているんじゃないのかい?って。それを聞いて、私泣けてきちゃった。お母さんは、ずっと気にしていたんだ。自分がこんなだから、娘が不憫な思いをしているのではないかと、長い間気を病んでいたんだと思うと、それまでお母さんを恨んでいたことが申し訳なくなって、お母さんを抱きしめて、ごめんね、ごめんねと、ずっと泣いていた。お母さんを施設に入れるとき、これで私はお母さんから解放されると思う反面、もうお母さんの面倒を見られないのだと思うと、悲しくて、寂しくて、どうしていいのかわからなかった。あの家に一人で暮らすようになって、もう一度女としての幸せを探してみようかなと思った。でも私は、毎日は無理でも、週に1回はお母さんの施設に通うと決めていたの。それを理解してくれる人じゃないと、そして一緒にお母さんに会いに行ってくれる人じゃないと、私は幸せにはなれないと思った。毎月滝沢さんから20万円送金してもらっているけど、それとお母さんの年金を合わせても施設の費用には足らない。私の給与の中からある程度のお金がお母さんのために使われていることを理解してくれる人じゃなければ、幸せにはなれない。でも、そんな人は現れないとあきらめていたの」
その条件なら、俺はすべてクリアしていると言いたかったが、言えなかった。
「ところがね、そんな人が現れたの。私の事情をよく理解してくれていて、お母さんに会いに行こうと、率先して付き合ってくれて、それどころか、お母さんと楽しそうに話してくれる人が」
ひょっとして俺のことか?
「その人は、私のことをどう思っているのかわからない。でも、少なからず好意はもってくれているはず。でもね、その人は例え私に好意を持ってくれていても押しが弱いから、自分の気持ちを伝えられない人なの。だから、私決めたの。私のほうから積極的にアプローチしようって。だって、その人を逃したら、もうそんな人現れないもの」
京香さんはそう言って真っすぐ俺の目を見た。
「今日は、ここに泊まるけど、いいよね?」
俺は、一瞬ためらったのち、口を開いた。
「見せたいものがある」
俺はそう言って親父のパソコンを持ってきた。色々フォルダーを見ていて見つけたものだ。そのフォルダーをクリックして、ワードの書類を開いた。パソコンを京香さんの方へむけ、その書類を読ませてあげた。
その書類は
“お父さんは、いつどういうことがあるかわからない年になったから、この書類を残しておく。この書類は定期的に更新するので、今見ている書類が最新のものだと思ってもらっていい。また、この書類に気づかずパソコンを処分してしまったのならそれでも良いと考えている。”
という文章から始まり、家のどこに何が置いてあるかとか、仕事上の細かい注意とかが書かれた最後に、こういう文章が綴られていた。
“千葉に関根久美子さんと関根京香さんという母娘がいる。久美子さんはお父さんが良いお付き合いをさせてもらっている人だ。そして京香さんはその娘さんだ。京香さんのお父さんはすでに亡くなっている。現在久美子さんは認知症を患って施設に入っている。民間の施設なので費用も高く、お父さんは毎月20万円を送金して援助している。康平には申し訳ないと思うが、私に何かあったなら、その20万円は康平が毎月送金してほしい。あと何年必要なのかはわからない。会社の状況によっては送金が苦しい月もあるかもしれない。それでも、お願いだ。その20万円だけは何があろうとも必ず送金してもらいたい。久美子さんはお父さんにとっては、とてもとても大切な人なのだ。そして、その20万円の送金がないと、一番困るのは京香さんなのだ。お父さんにとって京香さんもとても大切な人なのだ。だから、くれぐれも宜しく頼む。送金先は下記に記しておく。あと、娘さんの京香さんはとても器量がよく、気立ての良い女性だ。お母さんのことがあって、いまだ独身を通している。康平に紹介しようと何度も思ったが、久美子さんのことを康平に知られるのが照れくさくて、紹介できなかった。康平がこの書類を読んだなら、関根母娘に会いに行き、京香さんがまだ独身なら、是非とも康平の伴侶として考えてみてもらいたい。久美子さんも同じ思いだと思う。私と久美子さんは訳あって結ばれることはなかったが、子供たちがそういう縁になれば親としてこれほどうれしいことはない。ただし、こういうことはお互いの気持ちなので、縁がなかった場合は、京香さんの良き相談相手となり、何か困ったことがあった際は、手を差し伸べてあげてほしい”
そのあと、振込先の口座と関根さんの住所が記されていた。
京香さんはそれを読んで、ハンカチで目元をぬぐった。
「私、昇さんたちの幸せなんか考えずに、お母さんを押し付けようとしていたのに、昇さんは私たち親子のことをここまで考えてくれていたのですね」
「この書類をみつけたのは、つい最近です。ですから、この書類を読む前に私は父の遺志を継いで毎月送金することを決めました。読む前に決めてよかったと思いました。そして、この書類を読む前から京香さんに好意を持っていました。でも、自分一人では、そこまでで終わったと思います。私は押しが弱い男ですから。だから最後はこの書類の力を借りて、父の遺志を尊重して言います。京香さん、私と結婚してください」
京香さんが俺に近づき、抱きついてきた。
「今日は、何が何でもここに泊まります」
親父が遺した大きな遺産 春風秋雄 @hk76617661
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